恋は蝶の羽ばたきに乗って消えた

石田空

繰り返される一週間

「……やっぱりここから先は進めない」


 俺は「むう……」と神社の境内の向こうに手を突っ込んでみた。本来だったら境内を突っ切ったら隣町に出るはずなのに、何故か手が跳ね返る。まるで薄皮一枚挟んだみたいで居心地が悪い。

 俺が何度も何度も境内の向こうに行こうとしている中、神社の巫女さんが笑った。


「おやめください。まだ留守神様るすがみさまが決まっておりません。ですから、まだ十月を終わらせる訳にはいかないのです」


 そう言われて、俺はますます居心地が悪くなっていた。


 俺はどうも、その「留守神」を決める戦いというものに、巻き込まれてしまっているらしい。


****


 最初は本当に唐突だった。

 神社の境内を突っ切って学校に行き、学校の宿題を学校の図書館で済ませてから、神社の境内を突っ切って学校から帰る。

 毎日のローテーション通りの、退屈な日常を繰り返している中、唐突に気付いてしまったのだ。


「あれ、同じ一週間を繰り返してない?」と。


 小テストの内容に見覚えがあったんだ。最初は本当にギリギリ及第点だったのが、知っているテストの内容だから、次に行ったときに満点を取ったら、周りからやけに驚かれてしまった。数学はそこまで得意じゃないから余計にだ。

 それから学習して、及第点よりちょっといい点くらいに留めるようにした。

 なんとなく見る動画サイトの内容を知っている。週刊連載の漫画の続きが読めない。

 最初はテストの点がよくなるのはいいなくらいだったのが、だんだん不満が溜まっていった。漫画の続きが読めないというのは大きい。


「どういうことなんだよ……」


 俺が普段通り神社の境内にあるベンチに座り込んでいたら、巫女さんに声をかけられた。


「お悩みですか?」

「あー……大したことじゃないんですよ。ははは」


 まさか同じ日を繰り返していて、いい加減飽きたから次の日に進みたいなんて言える訳もなく、言葉を濁していたら、巫女さんはにこやかに言った。


「この会話をしたのは、これで五回目です。ようやくループを繰り返していることに気付いたようですね。ようこそ。ようやくあなたに資格を認められます」


 それで俺は目を見開いた。

 巫女さんは、この街一帯で行われている留守神選定の儀、神無祭かんなさいの審判を務めていた。

 なんでも、神無祭は神が出雲に出かけて留守の間、この辺り一帯を守る神を選定する祭りらしい。

 そんなこと今まで行われいたなんて知らないと言ったら、巫女さんはさも当然のように言った。


「そもそも、普通の方は時間が繰り返していることに気付きません。知らない間に終わっていることなんて、理解ができませんから。神無祭の参加資格のひとつは、時間がループしていることに気付くこと、ひとつは留守神様としての能力に目覚めることです。あなたは両方を満たしているために、無事に参加者として認められました」

「いやいやいや、俺別に神様になんかなりたくないよ!? これ断ることはできないの!?」

「そもそも、神が決まらないことが、ループを繰り返している理由なんですが」

「なんて??」


 巫女さんはあっさりと言う。


「誰もかれもが、人任せにした結果、試合がはじまらないために、神無祭を終了させることができません。ですから、こうして繰り返しているんです。神様がお戻りになるまでに留守神様を選定しなければならないのに。これでは神無月を終わらせることはできません」

「えー……ちなみに、巫女さんが留守神になるっていう選択肢は……」

「審判が八百長をする試合を、あなたは応援できるんですか?」

「ですよね……」


 そんな訳で、俺は参加したくもない神無祭に、いやいや参加することとなってしまったのだ。

 参加者だったら誰でもいいから巫女さんの立ち合いの元で戦って、それで勝ち残った人が留守神様。

 試合の方法は参加者同士で決めればいいらしい。

 俺は自分の能力がわからないし、どうやったら参加者だとわかるのかも知らないけれど、ひとまず神社の出入りをしていたら目立つだろうと、一週間の間、神社の周りをうろうろとすることにした。

 最初の一日目はなにも起こらず、そのまま家に帰って寝たけれど。

 二日目になったらすぐに襲撃された。

 それは夕方の、日直で職員室を出ようとしたときだった。

 普段だったら校庭でどこかの部活の練習光景が見えるのに、今はテスト前だから、皆さっさと学校から出て行ってしまって、学校とは思えないくらいにガランと静まり返っている。

 夕焼けに照らされた廊下を、俺はさっさと後にしようと足を速めたときだった。


「いた……!!」


 それはクラスメイトの目立たない女子だったと思う。たしか、彷徨かなたさんだったか。

 日頃大人しい女子だし、出席番号も遠いせいでしゃべったことも当番が一緒になったこともない。

 彼女が持ってきたのは、木刀であった。それで俺をぶん殴ろうとしてきたのだから、俺は驚いてそれを避けた。少しだけ掠ったけれど、その痛みが焼けるように痛い。


「いっだ……!」


 彼女はなにも言わずにまた木刀を振り被ってこようとするので、俺はとっさに鞄を盾にする。真剣白刃取りなんてこと、できなかった。

 これが巫女さんが言っていた、神無祭の参加者ってことか。


「お前、そんなに留守神になりたいの!? 俺別になりたくないから、ここで危険ってことじゃ駄目!? というか、審判の巫女さんまだいないじゃん!」

「……巫女が来る前に終わらせないと、意味ないでしょう!?」


 授業の朗読のときも、こんなに声を張り上げてたっけ、彼女は。俺はどこか冷静な顔で彼女を見る。

 丸い頬、釣り上がった印象的な瞳、髪はキューティクルつるつるで傷みひとつ見つからない……はて、彼女はこれだけ可愛いのに、どうして今ここでやり合うまで地味で目立たない女子だと思っていたんだろうと首を捻った。

 彼女を印象的に見せているのは、まるでしなやかな肉食獣のように木刀を振り回すその腕、その気迫だった。どうしてこれを今まで地味だと思っていたのだろうと今更思い至った。


「……お願い、死んで!」

「おま、なんで人殺しになりたいんだよ! わかってるのか!?」

「ねえ、覚えている?」


 ふいに、先程までの気迫が消えた。その間に逃げればいいのに、急にか細い声を吐き出すので、思わず立ち止まってしまった。

 彼女は再び木刀を構え、足を踏み出す。


「……あなた、私の大切な人を殺したのよ。それなのにのうのうと生きているあなたを、どうして許せると思っているの?」

「な……」


 そんなこと覚えてない。心の底から思ったけれど。巫女さんは言っていた。あの人に声をかけたのは、これで五回目だと。

 もしかして、彷徨さんは俺より先に、毎週ループしていることに気付いて……俺がこの子の好きな人を殺しちゃったのか? 不可抗力……だとは思うけれど。

 彼女の木刀が、俺の頭蓋を叩き割ろうと迫る。


「……大丈夫、神無祭は、まだ終わらない。また会えるから」


 頭蓋が割れる音と同時に、彼女の囁きとすすり泣きを聞いたような気がする。


****


 バタフライエフェクト。

 蝶の羽ばたきひとつで事象が変わると言われている力学用語は、SFにおいては、歴史を変えてしまうひずみとして知られている。

 私がたまたま久里浜くりはまくんを知ったのは、学校の図書館でSF小説を読んでいる中、次の本を取ろうとして、一生懸命爪先立ちで本を取ろうとしているときだった。

 図書委員が台を使って返却本を片付けているから、身長の足りない私は一生懸命手を伸ばして本を取るしかなかった。ようやく指が引っかかったところで、他の本にも触れてしまった。


「あ」


 そのまま一段の本が全て私の上に落ちてきてしまい、私は次から次へと本を頭で受け止める羽目になってしまった。痛い。とにかく目的の本以外は棚にしまわないと。

 おろおろと床に散らばった本をかき集めていると、ひょいと散らばった本に伸ばす手に気付いた。


「大丈夫か?」

「あ、ありがとう……」


 久里浜くんとは同じクラスでも、ちっともしゃべったことがない。出席番号が絶妙にずれているから、同じ班にはならないし、席替えで近くの席に座ったこともない。

 でも彼は図書委員ではなかったはずなのに。私がそう思っていたら、彼は私の抱えていた本を拾い集めて「そこに立てればいいの?」と空っぽになった一段を指差した。

 私が頷くと、集めた本をひょいひょいと棚に差し込んでいってくれた。

 それから私は、彼とたびたびしゃべるようになった。

 久里浜くんが図書館によくいるのは、家に勉強部屋がないから、学校の宿題は全部図書館で済ませているから。家族が多過ぎるせいで、勉強するとなったら学校の図書館や公立図書館の自習室を使うしかないらしい。久里浜くんが私を珍し気に見ていたのは、勉強や宿題をせずに、純粋に本を読みに来ているのが珍しかったらしい。

 彼としゃべっているのは、不思議と楽しかった。


「ああ、今度彷徨さんのお勧めの本を教えてよ」


 そう言われ、私は大きく頷いた。

 でも……その約束は果たされなかった。

 次の日学校に行くとき、私は鞄を漁っておかしいなと思った。たしかに昨日入れたはずの久里浜くんに勧めるはずの本が入っていなかった。

 図書館に行ったら、久里浜くんは相変わらず学校の宿題をしていたから、私は「あ、の……」と声をかけた。久里浜くんはきょとんとした顔をした。


「ええっと……同じクラスの彷徨さんだっけ? どうかした?」

「ごめんなさい、久里浜くんに貸すはずだった本、忘れちゃって」

「え……? それ、人違いじゃない?」

「ええ?」

「ええっと……俺たちどこかで接点があったっけ」


 そう言われた途端、恥ずかしさのあまりに「ごめんなさい!」と頭を下げて、図書館に近付けなくなってしまった。

 どうしてこんな勘違いしたんだろう。久里浜くんとしゃべったことがあるなんて。

 そう思っていたけれど。だんだん私は同じ日が繰り返していることに気付いた。

 立ち寄るコンビニで並んでいる雑誌の内容を、すっかり暗記できるくらいに覚えてしまっている。ネットのSNSで見覚えのある記事が出回っている。先生が私を当てるタイミングがわかる。

 同じ一週間を繰り返していると気付いた途端に、愕然としてしまった。

 一時期SFの中でも、タイムループと呼ばれているものはたくさん物語として書かれていた。でも、自分が巻き込まれたらこんなに途方もないことだなんて思いもしなかった。

 それでも私は、今まで読んだSF小説の主人公のように、原因究明や犯人特定をする気にはなれなかった。セオリーとして、どう考えても怖いことに巻き込まれるのが目に見えていたからだ。

 怖くて仕方がなかったけれど。私はこっそりと久里浜くんを眺めるようになった。ストーカーにならないよう、できる限り遠巻きに眺めた。SNSは怖くて特定するような真似はしなかった。

 普段からざっくりとした性格で、友達が多い。部活には特に入っていない。それでいて人に一線を引いて踏み込み過ぎない。

 そんな姿を観察していたところで。彼は町の神社の境内を通って帰るのを見送ってから、帰ろうとしたとき。

 巫女さんに「どうかなさいましたか?」と突然声をかけられた。

 私が思わず肩を跳ねさせると、彼女はにこやかに言う。


「甘茶でも出しましょうか」

「え? ええっと……はい」


 彼女に勧められるまま、境内のベンチに座って、甘茶を飲みはじめた。巫女さんはにこやかに言う。


「参加者ですね」

「はい? 参加者?」

「神無祭の」


 それに私は大きく目を見開いた。

 彼女に聞かされたのは、この町には神無月の間、不在の神に替わって治める神がいないらしい。留守神がいない町は大変危険だからと、神無月の期間中に留守神を決める祭りを執り行っていると。

 神が未だに決まらないせいで、一週間を繰り返し続けているとも。


「そんなこと言われても……私、戦うとかよくわかりません。それに神様になれと言われても……困ります」

「少なくともあなたは充分神無祭に参加する資格があるかと思いますが。繰り返す日々に気付きましたし、能力も得ていますから」

「能力なんて……知りませんよ?」


 私は何度も巫女さんに口説かれたものの首を振った。

 向いている人がやって欲しい。私には向いてない。私はただ、何度目か繰り返した久里浜くんと、どうやったら近付けるかしか、それしか考えていなかった。

 一週間の内に、本棚の前でへまをしたら、あれでお節介な彼は助けに来てくれる。そこから本の話や家の話をして、お勧めの本を勧めたり、公立図書館に遊びに行く約束を取り付けたり、一緒に宿題をする約束を取り付けたりしても、ループが巻き戻ったら、やってきた努力が全部無駄に終わってしまう。

 サリサリ。サリサリ。

 少しずつ神経はすり減っていたけれど、他のいるという参加者と戦うのは怖かったし、知らないふりをしていようと、神無祭がはじまる場所にはできる限り近付かないようにしていた。

 でも。私はそのあと、激しい後悔をすることになったのは、何度目かのループのあとだった。

 もうすぐまた巻き戻ってしまうな。そうしんみりしながら久里浜くんと一緒に、学校を出たときだった。


「最近さあ、地震が多くね?」

「ええ?」


 それに私は内心ギクリとした。

 神無祭で能力をもらった人たちが、大乱闘を行っているのだ。これは参加者以外目撃しても、主催である神社関係者の人たちが怪しげな術を使って記憶を改竄してしまうし、情報統制が行われているから、ネットニュースにすら載らない。だからなにか起こっても、変だと思っても、知らない人にはわからないはずなんだ。


「そんなことないと思うけど……」

「ん-……なら俺が疲れて揺れている気がするだけかなあ。ちょっと家族に夜だけでも大人しくしとけって言うべきかな」

「そのほうがいいよ、きっと」


 あなたはなにも知らなくってもいい。

 ただ、平凡なあなたでいてほしい。私の願いは、脆くも崩れた。

 いきなり歩いている道のアスファルトが、ベコンと折り曲がったのだ。そこから出てきたのは、鉄パイプを持った女性に、バットを持った男性。

 捲り上がったアスファルトから、折れた剥き出しの水道管が見え、そこから噴水が上がる。

 なにを見せられたのかわからない久里浜くんは、驚いた顔をしている。でも私には、目の前の光景がなんなのかよくわかる。

 ……神無祭の、参加者だ。今日が最終日だから、今日中に決着をつけるために、あちこちで乱闘しているんだ。


「な、なんだ!?」

「……逃げよう、久里浜くん」

「彷徨!?」

「危ないよ! 逃げよう!」


 私は久里浜くんの手首を掴んで、このまま走り出した。

 この町でしか、戦いは行われていない。だったら隣町に……! 隣町の境界に出たものの、そこから一歩も前に出ないことに気付いたのは、このときだった。


「嘘、なんで!?」

「おい……あの女の人、まずくないか?」

「なに言ってるの!」


 さっきから久里浜くんが見ているのは、アスファルトを捲り上げた女の人だった。その人が戦いの最中に、鉄パイプをへし折られてしまったのだ。

 手持ちの武器がなくなってしまった彼女は、このままだとバットで殴り殺される……。


「ごめん彷徨。ちょっと待ってて」

「久里浜くん!?」

「荷物よろしく!」


 彼はそのまま女の人を助けに、私と自分の鞄を持って置いていってしまったのだ。

 でも。彼は参加者じゃない。力もない。当然ながら、いきなりの場外乱闘者で、簡単に頭をかち割られてしまったのを、私は目の前で見てしまった。

 ああ、ああああ、ああああああああ……!!


「……私、間違ってたんだ」


 繰り返す日々の中で、なにもせずに、ただ日々をやり過ごしていたから、久里浜くんは死んだ。

 神無祭に参加してない人すら殺して。そんなに神様になりたいのか。なにする神様なのか、巫女さんはひと言たりとも言ってないのに。そんな訳のわからないもののために、簡単に人を殺すのか。参加者以外、生きてちゃいけないのか。

 ……参加者は、全員殺す。

 私のほの暗い欲が芽生えたのは、間違いなくこのときだった。


****


 シャンシャン


 神社の鎮守の森。

 人目の届かないこの場所で、鈴を鳴らして巫女が踊っていた。

 未だ定まらぬ留守神に替わって、この町の結界を守っているのがこの神社の巫女の務めだった。


「今回もまた、留守神が決まりませんでしたね」

「はい。ただ回数を追うごとに、どんどん参加者たちの動きが活発になってきています。特に顕著なのは、久里浜十里と、彷徨遥です」


 顔布で面を隠した神主に見せられた参加者名簿に、鈴を鳴らして神楽を踊る巫女は微笑んだ。


「防衛戦一位に、殺害数一位ですか。このふたりが対戦したときに、ようやく留守神が決められそうですね」

「しかし……よろしいのですか?」

「なにがですか?」

「ふたりは同級生のようですが……」

「過去を断ち切らねば、人は前に進めません。片や戦うことを拒む者、片や過去の束の間の幸せにすがる者。どちらが留守神になるにしても、きちんと心を砕かねばなりません」


 留守神が決まるまで、何度も何度も繰り返す日々。

 それは任を務めるためには、神に心は必要ないと、心を砕く作業に他ならない。

 既に参加者たちのほとんどは、参加を志した記憶など、何度も何度も心が摩耗するまでに繰り返して覚えていないだろう。


 蝶の羽ばたきは、本当にわずかな変化しか起こさない。だが。

 それを繰り返し起こせば、それは嵐になりうる。

 嵐に流された心は、もう戻ってくることはないのだから。


<了>

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