比良坂不動産

ありさと

第1話 山田愛梨の場合

「えーと、身分証明書と収入を証明するものがない、という事ですか。……そうなりますと、ちょっと。」


 幾つかの不動産会社を回り、希望の間取りや家賃を伝えて内見まで済ませ、いざ入居の申し込み…となった時点で毎回同じく、こうやって難色を示されてしまう。


「大丈夫です!これ見て下さい!!」


 今回も駄目だと思いつつも、私は持ってきた預金通帳を店員さんに開いて見せた。

 残高は100万ちょっと。

 勿論、名義人は私で、このお金は先月亡くなった祖母が毎月少しずつ十五年もの歳月をかけて私に残してくれた大切なお金だ。

 病室で誰にも見つからない様に手渡してくれた時には150万あったのだが、この一ヶ月半で私はここまで残高を減らしてしまっていた。 


「…いえ、現在お持ちの資金ではなく、毎月の支払いを確実に行えるという証明のために必要な書類でして。……というか、貴女、本当に18歳ですか?」


 店員さんは訝し気に、マスクで隠れた私の素顔を確かめようとこちらを見た。


「あ…あの、すいませんでした!」


 私は慌てて席を立ち、自動ドアを押し開ける様にして外へと飛び出した。後ろから店員さんの呼び留める声が聞こえたが、私は振り向かずに全力疾走で店から離れた。




「お帰りなさいませ。」


 素泊まりホテルのフロントのお姉さんは、私を見かけると、にこやかに挨拶をしてくれた。私はペコリと会釈だけして足早にエレベーターに乗る。

 マンスリープランを利用しているので一泊4500円と格安だが、それでも×日数をすれば20万を超える。

 食費は切り詰めて一日二食で500円まで。飲み物はもっぱらホテルの洗面台から頂戴している。

 部屋にはシャワーもあるし、ホテルの地下にはコインランドリーもあるので週に一度、まとめて洗っている。


 だが、しかし。そろそろ長袖ではきついシーズンだ。

 こんな事ならTシャツや短パンも鞄に詰めれば良かった。そうは思っても、あの時は少しの衣類と両親の位牌を持ち出すくらいしか頭が回らなかったのだから仕方がない。

 結果、私は自分の身分を証明すらできないホームレス家なし子だ。


「はぁぁ…。知らない街で仕事と住むとこを探すのって、こんなに難しいもんなんだなぁ。」


 私は見る気もなく点けたテレビから流れるニュースを聞き流しながら、大きな溜息を吐いた。


 この街で仕事を見つけるためには、住所が必要になる。

 しかし、そのためにアパートを借りるには仕事がいる。


(…矛盾してるじゃん。)


 私はもう一度大きな溜息を吐いて、ベッドにゴロンと横になった。

 ベッド近くの小さなテーブルの上には両親の位牌と、まだ彼らが元気だった頃に自宅玄関前で撮った写真がそのまま位牌に立て掛けてあった。

 写真の中の幼い私と両親は幸せそうに笑っている。まさかその半年後に両親が揃って事故死し、自分が親戚をタライ回しにされた挙句、あんな目に遭うなんて。この時の自分はこれっぽちも思わずに無邪気な笑顔を浮かべていた。

 私はそんな自分にイラついて枕を両手で殴った。

 軽い写真がピラピラと、巻き起こった風に飛ばされて床に落ちたが、例え100均であっても写真立を買うだけのお金も心の余裕も、今の私にはなかった。


「…とにかく、明日も不動産屋さんに片っ端から当たってみるしかないや。……もしかしたら、私に紹介してくれるとこがあるかもしれない。」


 私は空腹を紛らわすために水道水をがぶ飲みし、その日はシャワーも浴びずに早々にベッドに入った。




「…うーん、そうですねぇ。」


 そこは昭和感満載の小さな不動産屋だった。

 店員は目の前にいる瘦せぎすな中年男だけ。見るからに神経質そうだが、店員の男は満面の笑顔で私を向かいに座らせると、他と同じく必要書類に記入を促しながら、間取りや家賃の希望を聞いてきた。笑顔は胡散臭いし、糸目なのでなんだか少し怖い。

 私はまず、店員の男に今の自分の状況を説明した。どうせこの後に話さなきゃならない事だ。駄目なら駄目で、初めに言っておいた方が効率がいい。 

 すると店員の男は他の不動産会社と同じく、眉間にシワを寄せて考える仕草をすると、「少々お待ち頂いてもよろしいでしょうか?」といきなり部屋の奥へ引っ込んでしまった。

 訳も分からず待たされる事約5分。

 やっぱり、また駄目か。私がそう思い始めていると、店員の男は一枚の紙を持って戻ってきた。


「ありましたよ!こちら何て如何でしょうか?」


「えっ?!」


 そう言われて渡された紙には簡単な部屋の間取り図と、私が提示した家賃の四倍強の金額が印刷されていた。それでも私は紙を流し見る。

 間取りは一人暮らしには贅沢な対面キッチンのある1LDK。築年数も5年と浅く、部屋のある階数は6階中の4階でエレベーターもある。


「…えっと、すいません、これって??」


 何故こんな手が届かない物件を渡されたのか意味が分からない私は、困惑しながら店員の男に問いかけた。

 しかし店員の男は私の戸惑いなど全く無視して、こう言った。


「…いいところでしょう?では、これからすぐにご案内しますね!」


「はぁ?!」


 思わず私の口から不審な声が出た。当たり前だ。

 すると店員の男は笑顔を深めて私に聞いた。


「もしかして、これからご予定でもございますか?」


「はぁ?!いやいやいやいや。ちょっと待って下さい。…私の話、聞いてました?この家賃は私には払えないし、しかも私には決まった仕事も住所も、それに身分証明書までないんですよ?……ぶっちゃけ、そこに書いた名前や年齢だって嘘かもしれないんですよ!?」


「はい?では申込書にご記入されました山田愛梨様というお名前も、18歳というご年齢も、山梨県不和町上山1-15-6という本籍地も、0H-BEST-YH01オー!ベストユースホステルNo.1という滞在先ホテルの電話番号も、全てが嘘なのですか?」


「えっ?!う、嘘ではないです。(年齢以外は。)」


「それなら全く問題ございません!…実を申しますと、山田様の様な少々訳アリ…いえ、込み入ったご事情がある方であっても、格安で直ぐにでもお部屋を貸して下さる大家様がおられるのです。」


「えっ?でも、私みたいな人を紹介して、その後に何かあった場合、仲介業者さんも色々と面倒な事になるって聞いて…。」


「ああ!それなら大丈夫です!私どもは山田様から仲介手数料を一切頂きませんので。…つまり、山田様がこれからご案内するお部屋が気に入れば、直接大家様と契約していただく事となり、私どもと山田様は全くの無関係。要するにそういう訳ですので、どうぞご安心下さい。」


 要するにどういう訳なのか、全く意味が分からない。そもそも、そんな事をしてこの不動産屋のなんの得になるのか。

 私が思いっきり不審顔をしたのを、マスク超しであっても悟ったのか、店員の男はこのおかしな提案の不動産屋側のメリットを教えてくれた。


「本日ご紹介する物件の大家様ですが、この辺り一体の不動産の多くをお持ちの大地主様なのです。実はこの大地主様と私どもとは、私の祖父である先々代の頃からの長いお付き合いがございまして、あの方にはこれまで多種多様に渡り大変お世話になっておりまして。…そのご恩に報いるために、今回の様にあの方の山田様の様なお客様がお見えの際は、損得度外視で物件のご紹介を致しております。」


「私が…なんですか?えっと、すいません。私って中卒であまり頭が良くないので、まだどういう事なのかよく分からないんですけど、これって大家さんにもメリットないですよね…?」


「いえいえ、そんな事はございません。本当のところを申し上げますと、これから山田様にご紹介しますそちらの物件は、その紙に記載されております様に、通常であれば山田様のご希望の金額の四倍程の家賃が必要なのですが、あの方は『将来有望な若者の支援』がご趣味でして。……そうですねぇ、端的に言いますと、あの方は物凄いお金持ちなのです。ですので、これ以上はお金を稼ぐ必要はなく、寧ろ今あるお金を使って社会に貢献したいと思っておられるのです。」


「つまり、noblesse obligeノブレス・オブリージュ……みたいな事ですか?」


「ほぉ!難しい言葉をよくご存知で。ええ、ええ。その様に考えて頂いて結構ですよ。」


 去年まで中学の休み期間中はずっと閉館まで図書館に入り浸り、そこで暇つぶしに読んだラノベにそんな言葉があったのを思い出して私が聞くと、店員の男はポンっと手を打ってニコニコとそう同意した。

 なんというか、この店員。やっぱり胡散臭い。あと、その足長おじさんを語る貴族?的な大家さんも、この上なく胡散臭い。

 

 とは言っても、今の私の状況でこの話を逃せばどうなるか。私は眉根を潜めながらこの提案について思考を巡らせた。


「取り合えず、内見だけでもしてみませんか?……お部屋を見てからご決断いただくのは如何でしょうか?」


 考え込む私に店員の男はそう切り出した。しかも、私が承諾の返事をする前に勝手に花柄の布とレースで飾られた昭和レトロな黒電話で、さっさと件の大家さんに内見を申し入れたのだ。


「お嫌でしたか?」


 困惑する私に店員の男はニッコリと、あの胡散臭い笑顔でそう聞いた。


 結論から言うと、私は内見してすぐに祖母から通帳と共に渡された黒水牛の銀行印で、気が付けば契約書にポンと判を押していた。

 私が出せる金額の四倍が相場だという部屋は凄かった。


 オートロックにインターフォン付きとセキュリティは万全。トイレと風呂は別で、洗濯機が置ける洗面所があり、しかも風呂は追い炊き機能と浴室乾燥機まで付いていた。日当たりも良好で、プランター栽培が出来そうなベランダもある。収納も寝室になりそうな6畳の洋室に大きな作り付けのクローゼットがあり、加えて一階のエントランス横には各室専用の外部物置まであった。


 これぞ私が思い描いていた一人暮らし!その理想そのままの部屋に、私は終始興奮しっぱなしだった。

 しかも―――


「良かったですね。お隣さんと気が合いそうで。」


 アポを取ったはずなのに結局、足長大家さんとは直接会う事が出来ず、書類手続き諸々を店員の男経由で行った後、無報酬であるにも関わらず店員の男はついでだからと、右隣の角部屋に住んでいるお隣さんに私を紹介までしてくれたのだ。


(ヤバい!ヤバい!ヤバいーーー!)


 紹介されたお隣さんは、物凄くフレンドリーなイケメンお兄さんでした。

 歳は多分20代前半。おそらく大学生?平日の昼間に部屋にいるくらいだから社会人ではなさそうだ。

 彼は気さくに、こんな何処の者かも分からない私を部屋へ招き入れ、(間取りは2LDKでかなり広い!)お茶とお手製のお菓子までご馳走してくれたのだ。

 そればかりか「僕、料理が趣味なんで、もし良かったら僕の手料理を気軽に食べに来て下さいね!」とお誘いまでしてくれたのだ。


(ここは天国ですか?!!!)


 思わず廊下でジタバタする姿を店員の男に見られて恥ずかしかったが、彼は変わらずあの胡散臭い笑顔を崩す事はなかった。


(今まで本当に色んな事があったけど、これまでが悲惨だったぶん、きっと神様が幸運をドバっとお返ししてくれたんだよ!)


 私は降って湧いたこの奇跡の様な出会いに心から感謝して早々にベッドに入ると、昨日とは替わって幸せを噛み締めながら眠りについた。眠りに落ちる寸前、そう言えば大家さんは一体私の何処が気に入ったんだろう?と疑問に思ったが、眠気と共にすぐに忘れてしまった。


 そして翌朝。

 私は初めてこのホテルの最上階にあるレストランで追加料金を支払うと食べる事が出来る朝食ビュッフェを堪能した。

 素顔を晒して外で食べる事に抵抗があったが、私は幸せ過ぎて明日にでも死ぬんじゃないかと思うくらい幸せな気分で、ご馳走をお腹いっぱい頬張った。




『ピロン』


 夜見のスマホに取引銀行の口座に新たな入金があった通知が届いた。確認すると、この間紹介した物件の家賃一か月相当が振り込まれていた。

 今回の正規報酬の分だ。


「…そいやぁ、やっと決まったらしいな、あそこ。」


 迎えに座るのは先代である父。60歳を境に引退し、今は気楽なご隠居の身だが時々こうして様子を見に来る。


「ええ。昨日が入居日でした。」


「確か『黒髪で純真無垢な十五歳以下の美少女』だっけ?条件に合う子がなかなか見つからなかったんだろ?」


「はい。これまで三人ほどご紹介しましたが、どれも顔を盗み見るなり梨の礫でして。…今回は事前に本籍地が手に入りましたので、彼女の生い立ちと共に植松様にご紹介出来ましたのでそれが良かったのかと。……それにしても、植松様がお求めの『美人』の定義がまさかあの様な…。」


「ま、人の好みは千差万別だからな。…で、どんな子だったの?」


「なんといいますか、あの部屋でマスクを取った彼女を見た瞬間……っ!」


「……はぁ。お前、その顔絶対に外でするなよ。というか、お前も、あの坊ちゃんも本当に人間のクズだよな。」


「それは心外ですね。…そもそも、私がこちらの裏家業でしっかりと稼いでいるので、お義父さん達は自分達の好きな事が出来るんじゃないですか。……やっている事はほぼ同じなのに、まさかの正義者ヒーロー気取りですか?」


「おお!怖っ!…すまん、すまん。そう怒るな。……結局、俺らは自分の欲望に忠実なクズの集まり。これからもまぁ、お互いに協力しあっていこうや。」


 先代は肩を竦めてそう言うと、お気に入りのハットを片手に立ち上がる。その所作に思わず目が惹き付けられた。


「それじゃ俺はもう行くな。……お前はこれからがだろ?」


「ええ。…あ、ついでに閉店札を表に掛けておいてもらえます?」


「了解。俺が出たらちゃんと施錠しろよ。」


 先代はそう言うとヒラヒラと手を振って店を後にした。

 勿論、言われなくてもそうするつもりだ。これから起こる愉しみに邪魔が入るのはいただけない。

 夜見は店の引き戸ガラスを施錠しカーテンを引くと、全ての光源を落として奥へと引っこんだ。



「それでは植松様。私を満足させる報酬をきちんとお支払い下さいね。」


 目の前には四台の大型モニターがある。

 中央に設置してある一番大きなモニター以外は、それぞれ角度は違うが映し出しているのは全て同じ人物。もう寝ているらしく室内が暗いので、夜見は画像補正をかけて見やすく調整を行う。

 一番大きなモニター画面はブレが酷い。ウェアラブルカメラなので仕方がないが、もう少し視聴者の事を考えるべきだと夜見は思った。


(ま、今回がデビュー戦だから大目に見るか。)


 夜見はそのカメラが拾う音声を最大に引き上げた。


『ハァ、ハァ、ハァ。』


 聞こえてくるのは荒く押し殺したような息遣い。それと同調する様に夜見の心拍数も上がる。胸と同じく下半身が痛む。

 

(ああ、いけない。中継をつなげないと。)


 ダークネットを使った生中継。

 それが夜見が行っている副業だ。視聴者は全世界にいる。

 本業である不動産業より、こちらの裏稼業の収入の方が遥かに多い。そしてその収入の殆どを、父とその仲間達が奪っていく。

 それについて少々思う所があるが、こんな居心地の良い環境を手放す気はさらさらなく、夜見は左手でゆっくりと窮屈な自身を外へと解き放った。


 ブレブレのカメラはゆっくりと明るい室内を出て、玄関へと進む。玄関ドアを開け、廊下に出る。そして、隣の部屋のドアが映し出される。

 

 そこで夜見はタイミングよく中継ボタンをクリックした。

 こうして、定期的に開催される臨場感あふれる生中継が、特定のウエブサイトを経由した者達だけに公開され始めた。





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比良坂不動産 ありさと @pu_tyarou

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