冷やしゾンビ、はじめました
黒味缶
冷やしゾンビ、はじめました
うだるような夏の日。個人でやってそうな食堂っぽい店の入り口に張り付けられた、A4コピー用紙でできたPOP。
大学帰りのこの道で違和感に気づいているのは俺だけかもしれないと感じるほど、自然に、おかしな文言が書いてあった。
"冷やしゾンビ、はじめました"
冷やし中華みたいなノリで変な事を書いてるんじゃねえ。心の中に浮かぶのはそんなツッコミと、それと同量以上の好奇。
気づけば俺は、ゾンビを始めたという怪しい店の中に踏み入っていた。
引き戸タイプの入り口を開けて客の出入りを知らせる鐘の音とともに中に入れば、クーラーがガンガンにきいた小さな食堂と言ったたたずまいの内装が目に入る。
儲かってなさそうな寂れた雰囲気と、常連客はいるのだろうなと感じさせる、染みついた飯の匂い。
「すみませーん……」
「はいはーい!おまたせしましたー! おひとりですか?」
「あっ、はい」
「好きなところ座ってくださいねー!メニューとお冷もってきますんでね!」
出てきたのはこれまたどこにでもいそうな中年の女性で、ハキハキとした声での対応だった。
内心ほどには人に強く出られない俺は、言われるがままに目についた席に座って待つ。ほどなくして、その女性がメニューと水を持ってきた。
「はい!これおかわり自由だからね、あっちのピッチャーにあるやつね。んで、これがメニュー」
「あっ、あのっ」
「何です?」
「表に貼ってあった……その、冷やしなんちゃらって、どういう意味なんですか?」
「あら、そっちの方のお客さんだったのね!じゃあごめんね!これは引かせてもらうわね!」
あわただしく、俺のテーブルに来た水とメニューは女性によって取り上げられた。
何もかもがわからずまごついているうちに、ひょこっとテーブルの向かい側に人影が現れた。
「えっ?」
小さな子供。顔は青白く、すでに血の気が通っていないように見える。
しかし、その顔には見覚えがあった。幼い頃は毎日のように、鏡越しに見ていた顔だった。
どうすればいいのかわからないままでいる俺の正面、その子供は妙にはっきりした声で話しかけてきた。
「どうも、冷やしゾンビです」
「あっ、えっ、ど、どうも……」
「俺の正体に、心当たりはある?」
頭の中を探る。ない。
実は双子だったとかいう話は聞いたこともないし、親戚にこのぐらいの年頃の子もいない。
ぐるぐると可能性が巡る中、やはりこいつは自分自身ではないかと思い至った。
「俺?」
「そう。正確には、忘れた思い出。この店ね、もともとそういうの料理で出してたんだけど、思い出の方だって一言二言ぐらい言いたいことがあるって聞いて、ゾンビとして出してくれるようになったんだよ」
「じゃあ、俺に待っているのは目の前の忘れた俺からのお小言なのか……」
「そうだよ」
そうらしい。
俺が俺自身に言いたい事は、いくつも思い浮かぶ。
内側にある熱や夢を忘れることで、ようやく日々呼吸をしているような生き方をしている自覚はある。
「わかってるじゃん。そうだよ、お前は生きてるんだから、ちゃんとやるべきことを始めなよ」
「……そう言われてもなあ」
「いいから。死ぬ気で頑張る事をしてみなよ。お前は忘れてるけど、俺みたいに現状に小言を言うような思い出ができるぐらい、本気になれてたこともあったんだぞ」
そう言って、顔色の悪い子供の俺は手をのばしてきて俺の額に手を乗せる。
そのまま冷たい手で頭をわしゃわしゃと撫でられているうちに、俺はここが夢の中だと気づきだしていた。
「現実にちょっとでも持ち帰ってくれよ。だらだら生きてる後悔を」
ゾンビは俺から手をはなすと、懐から財布を取り出してみたこともない貨幣を抜き取る。
お代を徴収された俺は、そのままゾンビと裏から出てきた中年女性に見送られて店の外に送り出された。
「もうこないでねー!」
中年女性のハキハキした声が幼い頃に亡くなった伯母の声だと気づいたときにはもう、俺の目はゆっくり開いていた。
俺が目を覚ました時に見えたものは、知らない天井だった。どうやら、俺は熱中症で倒れていたところを救急搬送されたらしい。
説明と注意をしてくれた医者や看護師にぺこぺこと頭を下げ、金を支払った俺はタクシーで安アパートに帰ってきた。
そうやって現実に戻ってきた後も、なぜだか見ていた夢が妙な質感を伴っている。
結局あれは何だったのか。ただの夢なのか、あるいは臨死体験だったのか。
いずれにしても、俺が今の生き方を知らず知らず後悔しているのは本当なんだろう。
「……本気になるか、就活。命も拾ったことだしな」
そうつぶやいて、俺は片っ端からコピーをとるだけとって放置していた求人票に手をのばした。
冷やしゾンビ、はじめました 黒味缶 @kuroazikan
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