第16話 定めには死すれど抗えず

 ふっと体に力が戻る。指を僅かに動かしながら目を開けると、狭間に突入した時と同じ室内が待っていた。違っているのは、足元にみたらしが座り込んでいたことと、膝の上でホイップが眠っていたこと。二匹とも茜を守っているつもりなのかと、茜はふっと表情を緩めた。


 ゆっくりとホイップを撫でながら壁掛け時計を見やる。時刻は深夜を回り、丑三つ時に近かった。


「よかった……無事に帰れた……」


 熾天使を地獄に送った後、茜は狭間に戻った。両手に宿ったアキヒコの入れ墨も、依然と変わりなく体に居ついている。


 狭間での仕事はひとまず終わった。あと気になっていたのは──茜はローテーブルの上に置いていたスマートフォンを手に取った。ニュースの配信アプリを起動すると、一面に〝門戸島のライブ会場襲撃未遂事件〟の記事が踊っていた。号外として、どこのメディアも大きく取り上げている。


 内容をざっと確認すると、ライブは無事に終わり、被害者はなし。カルト宗教が絡んだ事件としては最大規模だが、襲撃情報のリークがあったおかげで未然に防ぐことができた、という話になっているようだ。当然、リークをしたのは狭間で誰よりも早く襲撃に気付いた茜たち特殊刑務官である。


 なんとか無事に済んだか。深くため息をつくと、物音で起きたのかみたらしが立ち上がって伸びをする。大丈夫かと言わんばかりに膝に両手を置いて尻尾を振るみたらしに微笑んでいると、今度はホイップがソファーの肘起きに移動した。そこからとことこと移動したのは寝室に繋がる扉だ。早く寝よう、と言いたいらしい。


 ローテーブルに広げていたハンバーガーとポテトはすっかり冷えきっていた。


「ごめんね、ごはんもお風呂もまだなのよ。先に寝てていいわ」


 ぐう、とお腹が鳴って、茜は苦笑いしながら立ち上がった。

 やっぱり、今の生活が幸せだ。



 *



 案外、命はあっけなく死ぬものだ。実感していたことだが、己もそうなるとは。


 茜が再び冥界で目を覚ますと、案の定仄暗い玉座の間だった。奥の椅子には大きな体躯のイザナミが座っていて、茜の姿を見つけると大きくため息を吐く。


「……いくら何でも、来るのが早すぎるんじゃねェか」

「仕方ないじゃない、麻疹ってこれだから怖いのよ」


 もうちょっとくらい生きたかったわ、とアカネはぼやいた。


 急性型の亜急性硬化性全脳炎。幼少期にかかった麻疹の合併症で、簡単に言うと早死にする結果となったのである。


 幸いだったのは、知的障害が大きな症状として挙げられるこの病気で、死後魂になって起きてからは意識や思考が発症前と変わらずはっきりしていたことだ。発症してからの数か月間の事は、実はほとんど覚えていない。


 何となく、病床にはずっと叔父たちや仲間がいてくれた気がする。誰かに見守られながら逝けたのなら、十分な死に方だと思う。


「ま、あたしがあたしで居られる期間は多いっぽいし? やっとあんたも輪廻に戻れるんでしょ? もっと喜びなさいよ」

「お前に早く死んでほしかった訳じゃねェよ、子供も作らずに死にやがって」

「残念、あたし子供産むつもりなかったの。怖いし、親には向いてないわ」

「どうだかな」


 アキヒコと雑談するのも久しぶりに感じるが、人間と冥人くろうどとしての契約関係も今日で終わり。茜は冥王の座を引き継ぎ、アキヒコはしばし休息を取った後に現世に戻る。


 アキヒコとの契約は、脳炎を発症してすぐに解除するつもりだった。が、アキヒコ本人が拒んだため、体と思考がまともに動かなくなる直前までずっと彼も側にいた。その後は死後に備えて引継ぎの準備をしていたはずだ。


「約束通り、王様になってあげるわ」

「……いいのか」

「良いも何も、あんたがお願いしてきたことじゃない。今のところあたししかやれる人間いないんでしょ?」

「まぁ、そうだが」

「安心して、もう一回くらい人間満喫してきなさい」


 茜は微笑んで、玉座の真下まで歩いた。兜の裏から覗く銀の瞳が細められたのち、アキヒコが立ち上がる。一歩二歩と玉座に繋がる階段を降りて、立ち位置が逆になった。


「王の仕事は自然と分かる。心配せずともよい」

「そう。じゃあ任されたわ」


 アイコンタクトを入れて頷きあう。するとアキヒコが身に纏っていた鎧が霊子に分解され、茜に向けて移動し始めた。冥王としての莫大な力が魂に宿っていくのを感じながら、徐々に小さくなっていくアキヒコの体を見やる。


 そうして、茜の体が豪奢な着物に包まれたところで、アキヒコは元々の魂の形に戻っていた。


 何度か見た短髪に、くすんだ淡褐色の瞳。どうやら銀の瞳はイザナミの証らしく、アカネの双眸が銀灰に輝いていた。


「んじゃ、あと頼んだぜ! はぁ、やっと寝れるなァ」

「ちょっと、現世に戻るんじゃないの?」

「何百年王様やってたと思ってんだよ、ちったぁ労われ」


 アキヒコは言って、名残惜しそうな風も見せず、あっけらかんと背中を向けた。


「アキヒコ」

「なんだァ?」


 肩の荷の下りた元相棒に、アカネが呼びかけた。いつの間にかアカネの体躯も魂の強度に応じて大きくなっていて、玉座に座った後に言う。


「お疲れ様、元冥王。後は引き継いだわ」


 現冥王として、元冥王の任を解く。


「おう。また死んだら会いに来てやらァ」


 アキヒコは振り返ってアカネの姿を確認すると、後ろ手に手を振りながら玉座の間を去って行った。


「直ぐに戻ってきたら怒るから」


 苦笑した呟きがアキヒコに届いたかは分からない。一人になった玉座の間で、自然と脳内に溢れてくる冥王の職務を浮かべながら、アカネは肘起きを使って頬杖をついた。


 確かに暇だ。仕事は他の冥人くろうどがやってくれるようだし、以前アキヒコが言っていたように座ることしかほぼ仕事がない。冥界と地獄の要である場所が綻ばない様、楔となる人柱だ。


 アカネと契約して狭間と現世で生活できていたアキヒコも、案外思った以上に楽しんでいたのではないだろうか。こんな生活を何百年もしていたのなら、相当な刺激になったに違いない。


 早死にした結果、特殊刑務官として職務半ばで三途の川を潜ってしまったから、その点は少々申し訳ないと思いつつ。アカネは大きく息を吐いて、玉座の上で姿勢を崩した。




 了

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冥府の守人 露藤 蛍 @tsuyuhuzihotaru

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