第15話 幸は己が決めるべし
「みんな! 天獄の門が溶けて三途の川に落ちる! 目的は冥界と地獄を直接汚染することだった!」
情報を手短に伝えながら、茜は空から眼下を眺めた。深い藍色の空に薄く霧がかかっているのはいつもの事だが、地上は須らく燃えていて赤く染まっている。普段は透明な三途の川も建物も、燃え盛る霊子で煌々と輝いていた。
紬が天使を直接地獄に送っている事は把握した。あの炎で落ちてくる汚染物を浄化できれば御の字だが、どうなのだろう。
「紬さん! 落ちてくる門の残骸、燃やせる⁉」
『ちょっとまって──できるけど、私の霊力じゃ足りない。誰かのバックアップが、ほしい』
『じゃ俺がいくわ。あんな速度で移動しながら戦われたら誤射しそうでいけんけんな』
今三途の川を燃やす炎は、紬が契約しているワカナの力だ。どうやら霊力の構成変化など浄化を得意としているらしく、詳細は知らないがアキヒコと同じくらいの特異性は持っているんじゃないかと思う。
が、元々狭間と冥界を直接繋げる大術式を使った上に、更に落ちてくる強烈な汚染物を浄化しろとは無理を言っている自覚はある。
が、彼女にしかできないのだ。今のところは。
『紬ちゃん、翔矢君だけで足りるなら、僕は茜ちゃんの援護に行くけど』
『大丈夫、捻りだせば、足りそう……終わったら、手伝ってもらう、けど』
魂の浄化は本来地獄で行われる行為だ。それを狭間で直接やろうなどと正気の沙汰ではない。
それでもやるしかないのだ。今現在、門の近辺には霊感のある人間が多くいる。例え狭間と現世で次元が違ったとしても、汚染物と重なってしまえばある程度の影響を受けることは明白だ。
「あの熾天使は、あたしが三途の川に押し込む! 邪魔なんて、させないんだから!」
『騎馬戦かな~? 慣れてないけど頑張っちゃうよー!』
フィアレスノヴァが狭間を飛びながら、首を上下させてやる気を見せる。改めて周囲を見回すと、報告通り翔矢が迎撃していた天使は綺麗さっぱりいなくなっており、残るは元凶の熾天使のみのようだ。
続いていたミサイルによる砲撃が止まり、狭間が静寂に満たされる。地上を照らしていた赤熱の灯りは消え、溶けおち始めた天獄の門の下部に集まって燃やし始めた。高く上る火柱が、どれだけの霊力を使用しているのかを示していた。
『小癪な──』
「間に合った! させないよ!」
熾天使に攻撃できる距離まで移動した竜久が、籠手の指先から鋼線をはじき出す。両の手から放たれた細い糸は熾天使の翼に巻き付き、動きを止める。
「いっけぇ──!」
鋼線を引き、思いきり熾天使を振り回す。一本釣りされた魚のようにビルの上へ高々と持ち上げられた熾天使を、竜久は勢いのまま手近なビルに叩きつけた。
ついで鋼線を切り離し、ビルに巻きつけて熾天使を縛り付ける。
『このっ、人間風情がァっ!』
体を絡めとったところで腕は動く。熾天使の掌が竜久へ向き、直後に熱線砲が放たれた。直撃を免れない太さの淀んだ霊力の奔流が、瞬く間もなく竜久へ向かって突き進む。
竜久に判断する時間はなかった。回避も反撃もとれず、咄嗟に両手を重ね、十本の指から生成した鋼線を一つにまとめて太い鞭を形成。爆風を伴って到達した熱線砲に、真正面から鋼線の鞭を叩きつける。衝突した熱線砲が真っ二つに裂かれて上下に射線を変え、竜久の立つビルを貫通する。分かれた上部はそのまま空高くへと突き刺さり、どうやら狭間と現世の入り口にまで届いてしまったらしい。
狭間全体が、地震が起こったかのように震えだす。熱で溶けた鋼線と、あまりの衝撃で痺れた両腕をぶら下げて、竜久は茜に念話を届ける。
「茜ちゃん、拘束はした! 長く持たない!」
念話で届いた竜久の声が酷く疲弊していた。熾天使からの二撃目をくらえば、もう身を守れないだろう。
『今のうちだ』
「了解! 今やるわ!」
『回り込んでからとつげーき、するよ~』
フィアレスノヴァを駆り、熾天使が叩きつけられたビルの反対側に茜が移動する。
「なんて奴だ、霊力全部持っていかれた……!」
『貴ッ、様! 人間如きが俺の神意を拒むかッ!』
ビルに貼り付けにされた熾天使がもがく。竜久にできるだけの拘束は容易く破り、六枚羽根がを大きく広げた熾天使は、己の時間を奪った竜久に殺気を向けていた。
それでいい。全力で熾天使の敵視を取った竜久に内心で礼を言いつつ、茜は握った両剣を騎乗で掲げる。
「アキヒコ、最大出力!」
『オーライ! こいつで仕留めてやるよォッ!』
ビルを挟んだ反対側。白い塵をまき散らして、今にも竜久へ飛び掛からんとする熾天使の姿が見える。
全身から滲み出た霊力で体を覆い、準備が整ったところで茜は両剣を投擲した。
暗い霊力を纏い、両剣本体が暗黒の流星のように空を飛ぶ。狭間に現世を模して造られたビルのガラス窓を一撃で貫通した両剣は、勢いが止まらないまま次々と壁を突き破り、切っ先が熾天使の背部に直撃した。
「全身全霊で!」
『押し込むまでだぁー!』
『ぶっ飛びなァクソ天使ッ!』
フィアレスノヴァが一度後ろ足で立ちあがり、前足で空を掻いて激しく嘶いたのちに、強く後ろ足で踏み出す。フィアレスノヴァ自身の霊力に茜とアキヒコの力も上乗せして、輝いた尾花栗毛の馬体が、ビルを貫通した穴に突撃した。
ビルを破砕しながら、一瞬で熾天使の背後に到達した茜が舌打ちをして両剣の柄を限界まで伸ばして握る。切っ先が刺さったのは六枚の翼の付け根だ、このまま中心ごと付け根を穿ってしまえば一息に無力化できる。
『っぐ、おおおおおああぁぁぁッ!』
「抵抗しないで大人しく、しなさいよ!」
熾天使の翼から激しい熱光が放たれる。空間そのものを燃やし尽くす熱量をこちらも霊力の放出で無力化しようと試みるが、茜やアキヒコが動くよりも先にフィアレスノヴァが霊子を放つのが先だった。
「ちょっと……!」
基本的に、最も魂の強度が強いのは高い知性を持つ人間だ。いくら生前賢いと言われ、冥界で訓練を重ねていたフィアレスノヴァでも、熾天使の発する霊力には遠く及ばない。
茜とアキヒコの力を温存するため、無茶を承知で熾天使の霊力を打ち破る気だ。
『僕嫌だからね~、ヒトには、笑っててほしいし』
『おのれ、経済動物風情が──俺に、刃向かうか!』
『だからだよ、天使さん! 僕らサラブレッドはヒトが作った生き物だから、ヒトがいないと、生きられないんだ!』
フィアレスノヴァが言葉を発するたびに、練り上げられた霊力がぶつかって衝撃波が幾度も走る。宙を駆けるフィアレスノヴァの推進力で両剣の切っ先は徐々に熾天使の背に食い込み、ついに胴体を貫通した。
開いた穴から汚染物が溢れるが、サラブレッドの足は止まらない。
『僕らに優しくしてくれるヒトが変わってしまうのなんて、嫌なんだ──!』
熱光を打ち破る。霊力の放出点である翼の付け根を斬り裂いたことで一瞬生成が止まり、フィアレスノヴァが走るまま熾天使は両剣にくし刺しにされる。
『いっくよー!』
頭を下げ、フィアレスノヴァが加速。熾天使を対面のビルにぶつけ、何度もビルの壁に打ち付けながら、突進による打撃を繰り返す。暗い狭間で光の軌跡を幾重にも残しながら、使えるものは使ってしまえと言わんばかりにビルに叩きつけていく。
「ちょっと、無茶しないで!」
『茜ちゃん、信じてるから、頼んだよぉー』
茜がフィアレスノヴァを気遣い言うと、彼はいつものおっとりとした口調で言った。
直後、急激に失速したフィアレスノヴァの背から、運動エネルギーはそのまま放り投げられる。両剣を熾天使に突き刺したままの茜が空中で眼下を見ると、フィアレスノヴァが倒れ込むように三途の川へ落下していた。
「スノ!」
『茜、こっちが先だ!』
「分ァかってるのよぉっ!」
落ちながら、フィアレスノヴァがひん、と小さく嘶いた、気がした。大きな水柱を立てて三途の川に落下したサラブレッドを見送り、茜は握った両剣の切っ先に視線を移す。フィアレスノヴァよりも落下速度が遅いのは、背中を穿った熾天使がまだ浮遊しているからだ。
背中に一撃加えても、翼の根本を完全に破壊し切り離したわけではない。フィアレスノヴァ渾身の突撃で霊力も削げたとはいえ、まだ魂は健在だ。
背中から一撃入れられたのは幸運だった。翼による霊子放出は食らっても、手脚を使って直接攻撃されるわけではない。更に運良く三途の川の上にいる。
このまま川面に叩き落す。茜は両剣を両手で握り直し、飛翔できないよう翼を足で押さえつけた。
「大人しく堕ちなさいよ──!」
『たかだか、背を貫いた程度で──!』
熾天使が身をよじり、翼が輝く。強烈な熱風が着込んだ鎧を徐々に溶かしていくが、茜とて一歩も引く気はない。三途の川に落とせばこの熱も冷めることだろうし、それまで鎧が持ってくれれば構わなかった。
「アキヒコ、全部防御に回して! 落とすまででいい!」
『焦んな、やってるよ!』
このまま鎧を維持できれば。そう思いながら全力で熾天使の動きを拘束していると、不意に頭上に霊力を感じてちらりと視線を向けた。
空から槍が飛んでくる。背中を打たれているため狙いがつかないのか、金色の槍の何本かが茜の体を掠めて落ちる。
「マズ──⁉」
茜は熾天使の背の上から動けない。自傷覚悟の槍の掃射に、熾天使も随分追い込まれているが、直撃を食らって先に死ぬのは間違いなく茜の方だ。
当たらないことを祈るしかない。足や手に突き刺さったものの、動けはする。胴体を負傷しないだけで御の字だ。
『おのれェェェ──!』
熾天使が叫ぶ。再び見上げると、それまで生成されていた槍より遥かに巨大な刃が切っ先を下に向けていた。
数を撃っても当たらないから範囲で押しつぶす気だ。それこそ熾天使自身も肉体を裂かれて三途の川に落ちるだろうが、冥王であるアキヒコと、次期冥王の茜を狭間で汚染できれば構わないのだろう。
「死ね──!」
回避するべきか、どうにか弾き返すか。しかし両剣を熾天使から抜けば、ここまで追い詰めた状況が前に戻ってしまう。
「茜ちゃん! そのままでいいよ!」
どうする。一瞬の判断ができずに迷っていた茜の脳内に、竜久の念話が届いた。
直後、高層ビルの屋上から放たれた鋼線が巨大な刃を絡めとり、落下が止まる。
「堕ちろ──!」
危険はなくなった。茜は鎧に突き刺さった槍はそのまま、更に両剣を熾天使の体に押し込む。急速に迫ってくる水面に怯えることなく、もつれ込むように着水した。
「……っ! あと、ちょっと!」
大きな水柱を立てて三途の川に突入した茜は、一刻も早く熾天使を地獄に送るために川を潜る。川底から生え始めた赤い無数の手に向けて、一直線に泳いでいく。
『やめろ、止めろ! 何故だ、何故人を傷つける⁉』
「今更ッ! 崇高なこと言ってんじゃないわよ、誰がそんな口聞いてんのよ!」
『幸を得たくはないのか⁉ 楽に生きたくはないのか、死にたくはないのか! 報われぬ生であっていいのか⁉』
「……ああ、それ、聞くんだ。いいわよ、答えてあげる」
喋りながら、両剣で刺された熾天使の体を、一つの赤い手が絡めとる。契機として次々と魔の手にむさぼられ引きずり込まれる熾天使の胴体から、茜が両剣を引き抜いた。
「あたしはあんたらの言う事聞いてて、不幸せだった。幸せなんて他人から与えられるもんじゃないのよ」
今の方が、ずっと幸せ。呟く茜の眼下で、熾天使が闇に呑まれて消えていった。
*
ぷはっと息を吐いて、三途の川から頭を出す。暗がりの中で周囲を見回すと、ビルの上から竜久が飛び降りてきた。
「茜ちゃん、大丈夫かい⁉」
「あぁ……大丈夫。竜久さんも、援護ありがとう」
膝をついた竜久の手を握り、引き上げてもらう。深く肩で呼吸をしている竜久は既に武装を解いており、彼も
「間に合って、よかったよ……本当に、よくやったね」
制御を担っていた熾天使が地獄に落ちたことで、天獄の門の崩壊は止まっていた。半分程度が既に溶けおち、内部を晒したまま燃え残っている。
あれもそのまま破壊してしまいたいが、疲労が凄まじい。茜たちは満身創痍で、門の対処までできない。しばし休息をとって、日を改めて処理する他ないだろう。
『お疲れさん茜ェ。よくやったな』
「フィアレスノヴァは? 大丈夫なの」
アキヒコの労いを聞きつつ、茜は水面の上から三途の川の中を観察した。地獄の番人たちの姿はなく、紬も術式を解いたのか、門の真下で起こっていた火炎も収まっている。
ひとまず、元凶は倒した。これ以上事態が悪化することはない。
『呼んだ~?』
間延びした声と共に、川面から尾花栗毛の馬体が顔を出す。汗だくで息も荒いフィアレスノヴァが、首だけ出して応答した。
「よかった……無事だったのね、あんな無茶して……!」
『まぁ無茶はしたけど~。みんな死んじゃったら意味ないし~』
ぶるる、と鼻を鳴らしたフィアレスノヴァは、どこか得意げだ。そのまま水面の上に立った馬体は疲れたように腰を下ろして、茜の側に寄り添った。
『武装、解くぜ。あーオレも疲れたなァ』
「冥王ともあろうお人が、このくらいでなに疲れてんのよ」
『ばァか、特殊刑務官と契約して戦うのは初めてだったんだよ。武器化すんのもお前の体を媒体に現界すんのもな。こんなに霊力持っていかれるとは思ってなかったぜ──契約を終えた
「っていうかあんた、あたしの口使わないと喋れないわけ?」
『発声器官なんぞねェんだよ。念話じゃお前以外に聞こえねェしな』
自分の体を使われるのにも、慣れたものだが。呆れたように息を吐いている間に、鎧がほどけて普段の格好に戻る。素手でフィアレスノヴァを労わるように撫でていると、水を跳ね上げる足音が二つ聞こえてきた。
「茜、おっさん! 無事だったかや!」
「門の崩壊が止まったから、一旦術式を解いてきた……二人とも、もう限界」
翔矢と紬が、これまた息を切らしながら小走りで駆け寄ってくる。川面に座り込んでいる二人と一匹を眺めた紬は握っていた鉄扇を入れ墨に戻し、既に武装を解いていた翔矢は汗だくで、両膝に手を置いて体を支えた。
「一旦仕切り直しね……流石に、これ以上はみんな無理だわ」
茜はゆっくりとフィアレスノヴァに近寄り、大きな栗毛の馬体に背中を預けた。
「ま、まだ問題が残ってるけど、一件落着かしら」
ビロードのような毛並みを片手間に撫でながら、茜は夜空を見上げた。霧でかすんだ空の上に、ぽっかりと暗い穴が開いている。熾天使の熱線砲で開いた穴だ。時間が立てば塞がっていくだろうが、その間は狭間に誤って落ちてしまう魂が多くなるだろう。少し仕事は増えそうである。
まぁ、とにかく。両親と蓮を堕とした天使は消え去った。
「……一人減っちまったな」
「そうだね……」
誰が言うでもなく呟いた。初めから魂が抜けていた詩織はともかく、蓮は心臓発作による急死として扱われるだろう。仕方がなかったとはいえ、心残りがなかったわけではない。
「……葬式は、出ないとね」
「そう、ね」
全員が霊力がすっからかんで、自然回復して安全に現世に戻れるまで、しばらくその場に待機していた。
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