第14話 身を挺して遂行するべし

 天獄の門の深奥は、外周部に比べればそれらしい見た目をしていた。


 明るすぎる天井。白しかない空間。豪奢な柱が半球の天井を支え、石畳の床すら細部まで凝った彫刻が施されている。惜しげもなく労力と時間をつぎ込んだに違いない玉座の壁を破壊し、黒い鎧を纏った茜は親玉の天使の下へと躍り出る。


「こんにちはぁクソ天使! 地獄に落としに来てやったわよ!」


 両剣を取り回し、視界に入れた天使に突き付ける。


 六枚羽根の熾天使。金色の甲冑で身を覆い、純白の布を翻して立ち上がったソレが、自身よりも遥かに小さな茜を視界に捉えて立ち上がる。


『──してくれたな、冥王』

『ハ、何を言う。目を付けていたのはそちらが先だが、手を出したのはこちらが先だ』

『何のためにコレの親を洗脳したと思っている。なかなかに面倒だったのだぞ』


 魂の拘束を解かれ、本来の力を発揮している茜に、熾天使は全ての状況を悟ったようだった。冥王であるイザナミの狙い通りに物事が進み、目的を邪魔された事に腹を立てているらしい。


「それにしたって、違和感に気づいてるのにスルーしてたそっちも悪いんじゃない?」

『言ってやるな茜。霊力の放出量を九割近く削っていたのだ、普通の人間よりも天使になる素質はないと見込んでおかしくなかろう』

「元々目つけてたんでしょ? 気にせず捕まえればよかったのに?」

『我が魂に防衛機構を加えていた。あの状態の主を触れるのは、それこそ神くらいなものよ』


 二人で天獄の門の主を揶揄していると、しびれを切らした熾天使が腕を突き上げた。虚空に光が集まると徐々に槍の形を取り、数十本もの切っ先が一斉に茜を向く。


『面倒だ──面倒だ、面倒極まりない! 貴様、我らが神が仰ったのだぞ、次代は貴様において他にないと!』

「知らないわよ、っていうかあたしカミサマとか信じないし? 一方的に救いを与える人間になるように見える?」

『恐れ多くも神を侮辱するか、汚血にまみれた人間風情がッ!』


 浮かぶ槍が投擲される。弾丸のように飛んでくる槍もアキヒコのサポートがあれば視認でき、驚異的な動体視力でもって両剣を操り、叩き落していく。


 まさかこれで終わりではないだろう。次々際限なく襲ってくる槍の投擲を捌きながら、茜は両剣を分割して一本を柱の上部に投げつける。今はそれだけ、残った双剣の一本で尚も槍を弾き、己を襲い両親を狂わせた熾天使を睨みつける。


「侮辱もするわよ、あんたたち存在してちゃいけないんだから」


 茜は結局成り行きに任せて冥界側についたが、天獄側としても両親を操って狙ってはいたのだ。運とタイミングで立場が真逆になっていた可能性もある。


 とはいえ、後者を考えるとゾッとする話だ。一極化した思想に傾倒し、他者を排斥するどころか捻じ曲げてほとんど同じ存在にするなどと。


 同じ思想を持つなら、それは同じ人間でなくともいい。天使たちは思想を広めて芋づる式に数を増やしたいだけで、個人を尊ぼうという気概はない。


 であれば。天使のコピーでも作ればいいだけの話なのに、どうして人を巻き込むのか──決まっている、己の思想が正しいものだと信じているからだ。全て独りよがりな、自分たちだけが都合のいい救済。大勢を犠牲にして、何が神か。


「あんたに一つ聞いとかなきゃいけない事があったわ。あんたが取引した特殊刑務官の蓮、あいつのこと、初めから堕とすつもりだったでしょ」


 この強大な熾天使に狂わされた人間は、もう一人。蓮のことも聞きだしておかなければ気が済まない──後日の報告書に書けないのも問題だが、彼を地獄に落とさざるを得なかった者として、外敵の真意くらいは知りたいものだ。


 茜が問うと、熾天使はくつりと口の端を吊り上げた。したり顔の、忌々しい笑みだった。


『ハッ、あれは釣り針に掛かっただけだ。ちょうどいい迷い子が見つかったと思えば、無謀にも一人で現れただけではないか。少々不憫に思った故、取引してやっただけのことよ』

『取引じゃなくて騙しての間違いじゃあねェのかァ? 端っから殺すつもりだったのによく言うぜ!』

『殺す? 勘違いも甚だしいな。我らはヒトを殺しているわけではない。身体を作り替え、同胞にしてやっているだけだ』


 熾天使はアキヒコの揶揄を、白々しくも鼻で笑い飛ばした。その言動が癪に触り、茜は続けて降ってきた槍をはじき返して叫ぶ。


「──殺したんでしょ? 連も、詩織さんも、ヒデアキも、あんたらが干渉してこなかったら死ななくてよかったのよ!」


 槍で穴だらけになった石畳を駆ける。双剣の一本を突き刺した柱と距離を取るように逆方向に走り、気取られない様ゆっくりと全身に霊力を込める。


 天使が生やしている翼は、強力な武器であり弱点でもある。切断すれば力を殺ぎ取れる代わりに、天使の大部分が翼を攻撃手段に変えていることが多い。


 父であれば障壁の発生装置として。母であれば羽の一枚一枚を鋭利な刃として。熾天使が生み出した槍は霊子で作られたもののため、その翼が持つ能力が分からない。ならば使用される前に、一枚でも多く斬り落とす。


『話にならんな……まぁいい、貴様が邪魔だな、冥王。なに、魂を弄れば、貴様もこの女に居つけなくなるだろう。ついでに殺してしまえば一石二鳥だな』

『ハッ、オレを殺そうってかァ⁉ 何百年も王やってんだぞ、たかだか転生して十数年の若造に殺せるもんかよォッ!』


 アキヒコの猛りに呼応して急停止。グリップの利かない石畳の上を滑りながら、茜は対面にある柱に刺した双剣に向けて指を鳴らす。


 茜の現在地と双剣を刺した柱の直線状に、熾天使がいる。合図と共にぐんと空中に引っ張り上げられた茜は、そのまま双剣を構えて熾天使へと突進した。


 一気に熾天使に取りついた茜は、勢いのまま片手で熾天使の襟首を掴んで反転する。熾天使の頭上で逆さま立ちしたまま、通りすがりに翼の一片に向けて双剣を振るう。


「っ……アキヒコもうちょっと強化!」

『あァん⁉ よっぽどだなこのクソ天使!』


 渾身の力で振るった双剣の切っ先は、翼を斬り落とすには至らず肉に食い込んだだけだ。通常の天使であれば骨まで斬り裂けるはずだが、耐久性は流石に高位の存在、というわけか。


 仕切り直したほうがいい。飛んでくる槍は双剣を振るった衝撃波で弾き落としながら、もう一本の双剣を刺した柱に留まり、呼吸を整える。


『調子はどうだァ、持つか?』

「持つわよ、全ッ然平気」

『なら全力でやるぜ、歯ァ食いしばれよ!』

「しないわよそんなの!」


 二本の剣を連結し直す。全身を覆った鎧に濃密な霊力が満ちていく。脚力だけで空を跳べそうなほどなので、双剣を使った立体移動をする必要はない。


 両剣を抜き、柱に両足を付けて踏み込む。黒い霊子を纏った足が柱にめり込み、一気に飛び出した。


『俺の翼に、傷を入れたか?』


 熾天使が呟いた。


『貴様……貴様、貴様、貴様ァッ!』


 目を剥いて茜を睨みつけた熾天使が手をかざす。同時に六枚の翼が眩く光を放ち始め、茜は咄嗟に足の裏から霊力を放射して突進角度をずらした。


『その魂ッつ、焼き払ってくれる───!』


 熾天使の掌から莫大な熱量を伴った熱線砲が発射された。放たれた熱光の塊は茜の側方ギリギリを通り過ぎ、濃密な霊子が鎧を掠めて溶かしていく。


 両剣で斬り捌くこともできたが、回避を選んで正解だ。側を通り過ぎただけで鎧の組成を崩すなら、アキヒコ本体である両剣が無事かどうか定かではない。


 熱線砲は豪奢な彫刻の彫られた壁に直撃すると、容赦なく壁を溶かして貫通する。天獄の門の外壁すら貫き、狭間に一閃の光を残して空に大穴を開けた。


「やっば……!」


 熱線砲を躱して床に降りた茜は、大穴が開いた壁を見て思わず呟いていた。


 狭間の空の上は、現世だ。今の一撃で現世に異変が起こりでもしたら──一大事だ。


『よそ見をする暇があるのだな』


 頭上から熾天使の声がした。はっと顔を上げると、再び槍の大群が切っ先を下に向けて待機している──先ほどと違い、顔をしかめるほどの光を纏って。


 間髪入れずに落ちてきた槍をはじき返す。数段威力の上がった投擲に、両剣を握る手が痺れるほどだ。


『野郎、なりふり構わねェつもりかァ?』

「ちょっと、集中、してよ! アンタの強化がないと、押し負けるんだけど⁉」

『それはやってんだよ! よく考えろ、自分の本拠地を構わずぶっ壊す奴がどこにいんだ⁉』


 この熾天使の翼に宿った力は、恐らく霊力の集束だ。光とは熱を伴うもの、自然と天使が扱う攻撃は炎や熱波などが多くなるが──茜に槍を振るい、熱線砲を放った熾天使の力は別格だ。


 槍が突き刺さる度、床が溶けて燃え始める。こいつ何のためにこんな大きな門を準備したんだと若干呆れながらも、一瞬でも気を抜けば熱波に巻き込まれて即死しそうだ。


『その汚れた鎧を剥ぎ、利己的な思想を取り払い、浄化の光で清めた後に貴様を神に奉じよう! この俺の翼に、傷を一つ入れられたのなら、やはり贄には相応しい!』

「──ッ、絶対断るわよ変態! なに、あたしがアンタらの聖女様にでもなると思う⁉」

『なるさ。貴様の自我は必要ないのでな──!』


 多数の槍が背後に突き刺さる。柵の様に退路を塞がれ、熾天使自らが巨大な槍を握って突進してくる。


 両剣で受け止めはしたものの、巨体と霊子放出で威力を増した突進を受け止めきれない。力負けして吹き飛ばされ、背後の槍の壁に思いきり背中を打ち付けた。


「────っつう……!」

『ッ野郎、クソ……!』


 背中が焼けた。勢いは止まらず壁を砕き、球体の広間の外まで飛ばされる。

 床を転がって両剣を突き刺し体勢を立て直すが、天獄の門の内壁ぎりぎりまで飛ばされていた。


『来るぞ!』


 まさか吹き飛ばすだけでは終わるまい。アキヒコの叱咤に応え構えると、球体の壁を破って熾天使が槍を構えて再度突撃を慣行する。


 吹き飛ばされた瓦礫を両剣を振るった衝撃波で弾き返し、振り下ろされた槍を両剣で受け止める。激しい衝撃に身体が軋み、踏ん張った脚が床にめり込みそうだった。


「っ──あんた、こんなデカい門呼んで何しに来たのよ!」


 アキヒコは、自分の本拠地を壊す奴がどこにいる、と言った。確かにそうだ。天使を量産するためのプラントと言って過言でなかったこの門は、破壊されれば痛手にはなるはずだ。それを自ら壊しながら戦うなど正気の沙汰ではないのに。


『何を? ──ハ、何をと問うか。決まっているだろう。初めから小物を量産するためではないわ』


 翼を輝かせ、熾天使が茜を嘲笑う。熾天使は至近距離で茜に向けて手をかざし、一瞬で収束した光が爆ぜる。咄嗟にアキヒコが鎧に霊力を回したことで威力は削がれたが、反動によって更に崩壊しかけた外壁に叩きつけられた。


 茜は痛みを堪えて熾天使の槍を蹴り上げ、一度距離を取る。


 じりじりと肌が焼かれるようだった。熾天使が放出した霊力で、天獄の門全体の温度が上がっている。壁面は融解し、ハニカム構造の部屋の蓋が溶けて変態途中の魂が溢れ出ていた。


 何となく合点がいった。理性がある天使が両親の二騎だけだったこと、壁や床に詰め込まれた天使は中途半端な成りかけだったこと、加えて小物を量産するためではない、という物言い。


 茜たちはこの門と、出現場所が大規模なライブ会場だったことから、天使側の人員補充のためだと考えていたが、それがついで、或いはこちらを欺くためのフェイクだったとしたら。


『茜ちゃん! 天使の掃討は終わったんだけど、門が崩壊して三途の川に落ちてる! このままだと汚染されてしまうよ!』


 白い壁が溶けていく。どろどろに何もかも巻き込んで、天井から純白の瓦礫が次々と落ちてくる。


 茜は竜久からの念話に、思わず階下を眺めた。まだフィアレスノヴァが、茜の帰りを待って待機していたはずだ。


「スノ! 聞こえる⁉ 今すぐそこから退避!」

『──うぅん? なんだか大変そうな感じ? おっけーわかったぁ。出るときは言ってね~』


 念話で指示を出すと、いつものゆったりした口調で返事が返ってきた。


 これで仲間の安全確保はできた。後は目の前のクソ天使をどう調理するか、だ。


『……大きく出たな、偽神の使いめ』


 アキヒコが呟き、破損していた鎧に霊力が集まって修復されていく。何かに感づいた彼の言葉を、熾天使は機嫌よさそうに笑い飛ばした。


『ふは、ははは、ハハハハハ! 助かったぞ冥王! 貴様が不在の冥界に、神の威光を流し込めばどうなろうなァ!』

『ヒトが滅んでもよいのか。主等が救う相手すら滅するか』

『ヒトは救わねばならぬ愚劣なモノよ、救われる価値しかないモノよ!』

『ならば主等自体に価値がない!』


 アキヒコが猛る。


 この熾天使の目的は、門戸島周辺の狭間と冥界を仕切って分離させることだ。何も冥界を神の力で汚染しようとまではいかなかっただろうが──冥王であるアキヒコと契約した茜が狭間にいる以上、冥界も地獄もある程度は無防備な事に変わりはない。冥人くろうどがある程度のアクシデントに狼狽えないだけであって、強烈な力を直接流し込まれれば冥界にいる魂まで汚染される。


 熾天使にしてみれば、幸運に幸運が重なった形だ。神の力とは意志を捻じ曲げる思想に近い。


 そして思想や思念は、魂を伝播する。さながら目に見えない細菌やウイルスが、体の中に侵入するように。己が歪に汚染されている事にも気づけないのだ。蓮も同じく、気づいた時には遅かった。


 門戸島は日本における対天使の最前線だ。そこを抑えられると、せっかく天使の進出を食い止めた地域に広がってしまう。新しい命に生まれ変わる魂が初めから偏った思想を宿して現世に戻ってしまったら──信仰は爆発的に広まってしまう。

 既に熱によって溶け始めた天獄の門を再び硬化させる方法などない。元通りにできないなら、全て消し炭にするしか方法が考えつかない。


 ──外はどうなっているだろうか。この天獄の門は門戸島に破棄する前提で、天使になり切らなかった信仰不足の魂を、せめて活用するために現れたものだ。天使を増やすのでなく、度々邪魔をする特殊刑務官と冥人くろうどの数を減らすために。茜たちに打つ手立てがないのなら、勝負など初めから決まっていたようなもの。


 この白い泥をどうにかしないと、大変な事になる。組成が溶けて変形を始めた天獄の門の外壁が、蝋人形のように白く溶けた魂と混ざり合って下へ下へと落ちていく。茜の得意分野は一対一での戦闘だから、こうした環境変化への対応は不得手だ。一番得意なのは紬だろう。次点で翔矢だが、彼も破壊に特化しているので現状では時間稼ぎしかできない。


 どうする、どうする。思考をフルスロットルで回すものの、使えそうな案など一つも出て来ない。


『茜! 外に出ろ、巻き込まれるぞ!』


 自分の口から飛び出したアキヒコの言葉にハッとして、茜は壁面を両剣で斬りつけた。熱されて強度が落ちた壁は容易く穴が開いて、出来た出口から躊躇なく飛び降りる。


「スノ! 来て!」


 真昼のように明るい門の中から、夜闇と炎の輝く狭間へ躍り出る。足元から霊力を放出して落下速度を落としながら叫ぶと、待ち構えていたように尾花栗毛の馬体が駆け寄ってきた。


『大変なことになったねぇ~』


 フィアレスノヴァが背負った鞍に跨り、両剣は持ったまま片手で手綱を握る。茜を追った熾天使が門を破壊しながら外に出ると、天獄の門から明るい光が狭間に走った。

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