第13話 仇敵に預けることなかれ
フィアレスノヴァの側方で、翔矢の子弾が炸裂した。茜に襲い掛かろうとしていた天使は翼をもがれて墜落し、素早く前方に意識を戻す。
接近したことで明瞭に見えてきた天獄の門の外装は、見るに堪えないものだった。形状からして蜂の巣に例えたものの、実際その通り。模様に見えていた部分は、全て貼り付けになった人間でできた段差だ。蠢いているのは腕だろう、表面に拘束された誰も彼もが逃げようとして手を伸ばして呻いている。
人間の魂と誤認させるカモフラージュは完璧ということか。極力汚染をさせず、その場に留めておくなどどんな拷問だ。
『みんな強いんだね~、思ったより大変じゃなかったやー』
フィアレスノヴァがのんきに言った。確かに想像よりは溢れ出る天使の数は少ない。翔矢のミサイルで処理できるだけの量だ。周辺を見回す余裕もあり、高速で駆け抜けるフィアレスノヴァの背で、茜はやっと翔矢が開けた突入口を見つけた。
「あとちょっと……入り口は、あそこ⁉ 溶けてるんだけど!」
『避けて通ればいいんでしょ~? できるんじゃないかなぁー』
言うと、フィアレスノヴァが首を低めて重心を下げた。地を這うような体勢で走るのは、彼が末脚を発揮する時だったはず。合図は舌打ちか口笛で出せと言われても、茜は騎手でないのだから合図のしようがなかった。飛越するのでもあるまいし。
ひとまずこの速度に食らいついていく。鞍から腰を上げ、鐙の上に立って手綱を纏めた。一完歩後に急激に速度が上がるも、進路上に天使の一群が見えた。このまま走ると激突する。茜は咄嗟に口笛を鳴らして合図を出すと、察したフィアレスノヴァが応じて右旋回を始める。柔軟な体で苦も無く急旋回する間に、襲撃者に向けて飛んでいた天使の集団が飛来したミサイルで撃墜される。
至近距離での爆撃だ。耳を轟音がつんざき、僅かにフィアレスノヴァの速度が落ちる。
「メンコも必要だったんじゃない……⁉」
『そうかもー、ちょっとうるさ~い!』
『潜り込めば迎撃は来ぬ。先に直下に行ってしまえ』
『僕馬ですよ~? 垂直移動はできないです~、飛んでるんじゃないんですからー!』
爆発を越え、ぐんぐんとフィアレスノヴァが天獄の門へ近づく。しかしスタミナが尽きかけたのか、フィアレスノヴァの速度は落ちていた。
「あとちょっと、頑張って!」
『魂だし持つと思ったんだけどなー、うおー根性~!』
鞭があればくれてやるのだが、あいにくと手元にない。代わりに叱咤激励を入れて、フィアレスノヴァは力を振り絞って速度を維持。後方からやってきた天使が再び撃墜され、爆風を後押しに天国の門への入り口に駆け込んだ。
『はい~とうちゃーく! はーつかれたー!』
どろどろに溶けた門の構成物質はすでに冷えて固まり、溶岩が固まったように規則的な模様を作っている。内部の眩しさに目を細めながら、茜はフィアレスノヴァの背から降りる。
近辺に息も絶え絶えの天使が転がっている。ミサイルに巻き込まれて負傷したのだろう。ひとまずこれも地獄送りだ、呻くだけの天使の腕を掴み、空いた大穴の中に放り投げる。
『僕はここで待ってるよぉ~』
「先に戻っててもいいのよ? また迎えに来てくれればいいんだし」
『意外と天使もいないみたいだしー、待ってようかなぁ』
「汚染されたりしないの?」
『だいじょぶだよぉ~。人に転生するために、霊力とか溜め込んでたから~。その分を使うよー』
「それじゃ人間になれないかもしれないじゃない」
『ふふ~。また馬になって、人を乗せて走るのもいいかもって思っちゃったー』
フィアレスノヴァはどこか楽しげに言いながら、クールダウンのためにそこら中を偵察ついでに歩き回っている。屈強な肉体には血管が浮き、少々汗をかいているようだ。全部終わったらシャワーとブラッシングでもしたいほどである。
そしてフィアレスノヴァが言ったように、想定よりも天使の数が少なかった。別口で開けた突入口のため、大多数の天使が本来の入り口に固まっているか、それとも内部にいないだけなのか。
次々と半殺しにされた天使を穴に突き落とし茜は入れ墨の形で収納していたアキヒコを呼び戻す。大きな両剣の形に戻ったアキヒコを握り、まず行うべきは熾天使の索敵だ。
「どこら辺にいるの?」
『しばし待て、探る』
捜索はアキヒコに任せてしまって、茜は再び周囲を見回す。
初めて侵入した天獄の門は、そこら中が光り輝いていて明るく眩しいくらいだった。濃密な霊力が異物を感知して茜の肉体に入り込もうとしているが、アキヒコの鎧に阻まれているのが嫌でも感じられる。
意外だったのは、考えていたより殺風景だったことだ。神殿じみた彫刻や柱などで装飾されているかと思ったがそうでもなく、天井の低い一空間が広がっているだけ。格子状に組まれた床は所々穴が開いていて、これが上下移動の要になっている。
複雑な構造でない以上、探し出すのも最短距離で突撃するのも簡単そうだが、これでは本当に蜂の巣の様だ──そう考えた茜は、あることを思って床を足で小突いてみた。
こん、とグリーヴの踵が床を鳴らす。乾いた軽い音が響くが、天獄の門を構成する床材や壁面の中は空洞のようだ。強度こそあれ、軽量化を目的としているのだろうか。
茜は訝しみながらもう一度床を叩いた。蜂の巣と形容したこの天獄の門が、本当に天使の巣だったとしたなら。天使は一体どこで、人間の魂を汚染するのか。
『んー? どしたのー?』
床の一か所をじっと見つめている茜を不思議に思ったフィアレスノヴァが近寄ってくる。首を傾げて視界に頭を入れてきたので、茜はさっと周囲を見回して、壁面のある一点を指さした。
「ねぇスノ。あそこ、後ろ足で蹴れたりする?」
床も壁も、ハニカム構造を重ねたものだ。かかる力を分散する耐久性のある構造で、加えて空間に無駄がない省エネ設計。重力や重さなどは狭間にある以上関係ないだろうが。
このハニカム構造の床に詰められるのは、食料となる蜜か、蜂の子だ。床はともかく、壁面は本来蜜蝋で固められているもの。ここまで床と同じ構造にする意味はないはずだ。
『蹴るのぉ~? いいけどー』
二つ返事で了承したフィアレスノヴァが、とことこと壁沿いに歩いて行って後ろを向いた。
『えーい』
間延びした声を上げ、ノーモーションで強烈な足蹴りが繰り出された。現実なら軽く人間の骨を折る威力の足蹴りで、破片が飛び散り壁に穴が開く。その割れた亀裂から粘着質な液体が溢れてきて、フィアレスノヴァは慌ててその場から離れた。
『わわわ! これなに~⁉ すっごい汚れてるんだけどー!』
『……こうやって天使を造っていたのか』
アキヒコが低く唸る。規則的に並べられた六角形の部屋の中は汚染液が詰まっており、更にその中に、人間の魂が詰め込まれている。
「……引きずり出すのは危ないわよね」
『そうだな、あれは人間でいう硫酸のようなものだ。いくら我による防御があるとはいえ、触れれば容易く溶けると心得よ』
「助けることは、できないか」
天使が人間の魂でできている事は知っていた。が、てっきり汚染する方法は魂を染め上げる程度だと思っていたのだ。まさか魂自体の組成を変え、全く別物にしているとは思うまい。
これは、地獄の
あの溢れてきた汚染液も、元々は詰め込まれている人間の魂の一部だったはずだ。
蓋が割れた六角形の穴から、白濁が流れ出している。中から塊のようなものが出てきて、茜は数歩後ろに下がった。
白濁にまみれたシルエットが、人の形に見える。ずるりと零れ落ちた人型の何かは、頭と思しき部位を持ち上げると、周囲を確認するように首を回す。
「……れ、くん、ど──」
白い人型が茜に手を伸ばす。ぱたぱたと雫を溢すそれの言葉に、茜は目を伏せた。
今、蓮君と、呼ばれた気がする。ならばこの汚染された魂の正体は、彼の恋人の詩織ではないか?
「詩織さん?」
呼びかけると、白い人型が腕を支えに身体を上半身を持ち上げた。
「──れん、ん……たす─に、き──」
だから蓮に言ったのだ。天使が詩織を人質にしているとは限らないと。
そもそもこの天獄の門の中に幽閉されては、何をされずとも空間にある霊子で徐々に汚染される。
「アキヒコ、決戦の前に、もう一仕事よ」
『……あァ。そうだなァ』
蓮は既に地獄に落とした。ならば彼女も、冥界に帰してやらなければ。
茜は両剣をくるくる回すと、白い人型の横に立って切っ先を振り下ろした。柔らかい肉に凶刃が深々と突き刺さり、引きずりながら突入地点に戻る。
呻く人型を運び、床に白濁の線を残して、入り口に戻った茜は両剣を持ち上げる。両手でしっかりと両剣を握り、爆撃で溶けた穴の縁に辿り着くと、詩織の体を振り落とした。なすすべもなく、溶けた人体は燃えたつ三途の川へと落ちていく。
結局、天使はその場を取り繕うだけで蓮と正当な取引をするつもりはなく。蓮も詩織も天使に落とすつもりで──或いは神の器とされた茜を捜すために利用するつもりだったのだ。
「……ねぇアキヒコ」
『なんだァ?』
「これじゃまるで、蓮が犬死にみたいじゃない」
『──言ってやんなよ。あいつだって薄々分かってたんじゃあねェのか』
果たして、蓮が死ぬ必要はあったのか? なんて、考えてしまうものだ。
『寿命が延びただけだったんだよ。テメェだって気づいたろ、どうにもならなかったってなァ』
「……そうね」
話を聞く限り、確かに状況は詰んでいた。茜が冥王の力を借りてやっと単騎で挑める相手だ、一介の特殊刑務官でしかない蓮では太刀打ちができまい。
「ま、良かったのかもね。完全に天使になる前に、二人とも冥界に落とせて」
流石にカミサマ云々言い始める蓮は、見たくないわ。
未練を断ち切るように、茜は踵を返して門の中に戻っていく。
「で、索敵終わった?」
『とうに終わってらァ。ここから四階上の中央部。他の天使の気配はするが、とるに足らねェ相手だ』
アキヒコが言い切った直後、頭上から大きな物音がして茜は天井を見上げた。壁を破損させたことで防衛機能が作動したのか、壁や床を塞いでいた蓋の幾ばくかが内側から破裂し、中から天使が飛び出てくる。
仕事の時間だ。
『僕、ここでちゃんと待ってるからねー! ちゃーんと帰ってきてね、茜ちゃん!』
「分かってるわ、帰りも乗せてよね」
返事代わりに嘶いたフィアレスノヴァに手を振り、茜は両剣を分割させて両手で持った。よく周囲を見渡せば、壁と床のハニカム構造の内、半数程度に内部から破られた痕跡がある。今回飛び出てきた天使は新たに破って生まれた個体のため、既に生まれていた天使は狭間での迎撃に向かわされたのだろう。あっという間に周りを取り囲んだ天使も、視線は虚ろで得物を握る手も落ち着かない。恐らくは突貫作業で形だけを作り上げた半端な個体だ。
であれば、さほど脅威にはなり得ない。
「一気に四階まで突破するわよ」
『おうさ!』
まずは一階と二階を繋げる穴へと向かう。行動に気づいた天使が武器を構えて襲い掛かってくるが、茜はその内一体を双剣の一撃で両断した。
あまりに脆い。常温に戻したバターの様だ。力も入れずに斬り裂いた天使が床に落ちるのを見送って、もう一方の剣を穴の近くに投げつける。刺さったのを見てから指を鳴らし、剣に向かって跳び上がった。
『あァん? なんだぁ、この間のガキの天使の方がまだ歯ごたえあったぜ⁉』
「どうせ適した形に変態する前だったんでしょ? 楽でいいわ!」
剣を支点に身体を捻り、振り子の要領で二階へ。雑魚の掃討と双剣を使った上下移動を繰り返し、四階まではあっという間。これまでの階層と違い中央部分には大きく膨れた球状の空間があって、親玉の熾天使がいるのはこの場所だろう。出入口を探すのもいいが、そんなおしとやかな事はしていられない、フィアレスノヴァを侵入口に残したままだし、狭間で天使を処理し続ける同僚たちもいる。
ここは強行突破と行こう。双剣を繋げて柄を引き延ばし、くるくると回しながら投擲の構えに入る。以前とは数段違う出力の霊力を込め、両剣が僅かに黒いもやを発した。
『気合いれな、茜ェ!』
「分かってるわよアキヒコ!」
会話を終えて、茜は思いきり両剣を投げた。真っ直ぐに飛んでいく両剣の切っ先は球体の壁に突き刺さり、溜めこんでいた霊力が炸裂する。爆発でできた大穴の中に、茜は身を飛び込ませた。
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