第12話 命を懸け、望みを預け、天を駆ける

 燃える水壁を真っ二つに斬り裂き、同僚たちと合流する。こちらも門から出てきた天使の処理は粗方終わった様子で、疲労はしているが軽傷で収まっている。


「……蓮は?」


 水壁の維持を解き、降り注ぐ細かな水滴を浴びながら紬が言った。


『下だァ。半分信仰に汚染されててな、刑務官の力じゃ、あれは助けられねェ』


 茜は静かに首を横に振り、代わりにアキヒコが答えた。


「……彼女さんの魂が熾天使に囚われてて、助けるためと……その場で殺されないために、取引を飲んだんだって。もうずっと前から、手遅れだったのかも」

「そう……こっちは、数が減っただけ」

「無尽蔵ってくらいに出てくるねぇ。これじゃジリ貧だ」

「消耗戦はよくねぇぞ! 拠点を叩かなきゃ話にならんで!」


 クラスターミサイルによる弾幕を張り、大多数を撃墜。潜り抜けてやってきた天使は竜久が鋼線で片付け。三途の川水の広範囲を活性化させ、落ちた天使を矢継ぎ早に地獄に引きずり込む役割を担っているのが紬。いくら戦うとなっても霊力に限度はある。特に翔矢の方は、大火力の攻撃を続けて消耗が激しいようだ。既に汗だくで、霊力も相当量を消費している。冥人くろうどの方も負担が激しいだろう。


 とはいえこちらは本拠地に乗り込めてすらいない。こちらの消耗を狙っているならやはり首魁を叩かなければ。


「手が空いたあたしがいくわ。元々そのつもりだったし、アキヒコが汚染からは守ってくれるし」

『つー訳だァ。決まりきった話だったが、茜が単騎で突っ込むぜ』


 突入できるのはアキヒコの協力な加護をもつ茜だけだ。巨大な天獄の門を単騎で攻略することは分かり切っていたが、ここで一つの問題が生じる。


「ところで、あそこまでどうやっていくつもりなんだい?」

「俺のミサイルに乗っていくとか言うなや? 危なすぎてやってやれんで?」


 足がないのである。ドームの頭上に浮いており、低層域でも高層ビルの数十階の高さにある。付近に建物がないため屋上を経由して侵入することはできないし、そもそもどこから入ったものか。


「入り口くらいなら、俺が爆撃して作れ―かもしれんけど」

「それでいきましょ。で、足をほんとどうしようかしら」

『安心しろ、機動力が必要になると見越して呼んである』


 口調を変え、アキヒコが言った。何のことだか見当がつかず、その場の刑務官たちは首を傾げてばかりだ。


『お前の知人だ、茜』


 声に応じて、茜の顔を動かしたのか視線が少し離れた川面に向いた。ボコボコと大きな泡が川底から溢れ、次第に大きな何かが見えてくる。夜なので分かりにくいが、かなり大型で、色は茶色で──もしかして、と頭に栗毛の馬体が過ぎった瞬間、水面から何かが飛び出してくる。軽々と飛び上がった人間より大きな存在は、ぷるぷると首を振って水を飛ばした。


『はぁーい、フィアレスノヴァ、お言葉に応じてやってきたよ~』


 人間より遥かに大きな尾花栗毛のサラブレッド。懐かしい姿に、茜は顔をほころばせて側に寄った。二度三度と撫でてやると、フィアレスノヴァは嬉しそうに耳を向けて鼻を鳴らす。


「フィアレスノヴァ! まだ居たのねこっちに!」

『そだよ~。へへー、ちょっとわがまま言って長居させてもらったんだー』


 地獄に転げ落ちてしまった茜の先導役を担ったフィアレスノヴァが、背中に鞍を付けている。頭絡も鐙も装備していて、完全に人間を乗せる装いだ。


 つまり、フィアレスノヴァに乗って天獄の門まで駆けろと。彼は最後方からの追い込みを得意とした脚質で、末脚の鋭さは折り紙付き。冥人くろうどであるから空だって飛べる。加えて茜とも知り合いなのだから適任だ。


『うふふー、久しぶりに鞍つけてもらって、なんだか懐かしいなぁー。茜ちゃん、ちゃんと馬には乗れるのー?』


 久しぶりに思いきり走れるとあって、フィアレスノヴァは上機嫌で茜に問うた。

 返事はとうに決まっていて、彼に歩み寄った茜はその首筋を撫でてやる。


「大丈夫に決まってるでしょ? あんたに会ったから、あたし乗馬なんて始めたのよ」

『そっかー。なにしてたのー?』

「障害馬術。飛ぶのもそこそこ慣れてる」


 ぽんぽんと首を叩いて、茜はフィアレスノヴァに飛び乗った。鐙に足をかけると、数段高い視線から仲間たちを見下ろすことになる。


「馬だ──馬だすっげぇ! 俺初めて見たんだけど!」

「……えっと、茜ちゃん、知ってるのその馬」


 突然現れた大きな馬体に、どこかあんぐりと口を開ける竜久と、子供のように興奮する翔矢の姿があった。ぽん、と首を叩いて、短くも挨拶するよう促してやる。


『初めまして~。ぼく、冥人くろうどのフィアレスノヴァっていいまーす。茜ちゃんとは、子供の頃に地獄で会ったの~。僕が狭間まで送ってあげてねー』

「……問題、解決した、ね」


 得意げなフィアレスノヴァを見やって、紬が鉄扇で天獄の門を指し示す。しばらく襲撃がなかったが、天使たちが湧き出る穴からは濃密な霊力が集まっていた。


「第六派、来るで。雑魚は俺らで捌くけん、突っ込め」


 茜が蓮と交戦している間、五回ほど天使の襲撃があったようだ。次は六度目の攻撃。天獄の門内部にいる天使も、少しは数が減っているだろうか。


「侵入口は俺が開けるけんな。あのバカでかい門の一番下になるけど、構わんよな?」

「侵入さえできれば、移動はどうにかするわ。みんなは外をお願い……って、そう言えば」


 簡単に作戦会議をしつつ、ふっと頭にとある疑問が湧いた茜は、心残りの憂いを払うために問うた。


「そういえばビルに入ってた武装集団の件は?」

「あれなら警察を呼んだよ。向こうも直ぐに確認してくれて、特殊部隊が抑えに行ったみたい。ドームの方も警察や警備会社が人員を増やして対応したって」

「そっか。なら問題ないわね」


 どうやら現世の方は問題なさそうだ。


「馬に乗るの久しぶりだわ……」


 特殊刑務官として勤めて以来、乗馬の機会は極端に少なくなっていた──門戸島に、乗馬ができる施設がないからだ。人工島のため、当然牧場などは作れない。


『そうー? ふふん、ぼく今すごく気分がいいからー、落ちないようにしてねぇー?』

「あんまりイレ込まないでよ? 障害競走やってたわけじゃないんだから、気を付けて」

『それはそうだねー、コケると痛いしー』


 競走馬の転倒はコケるどころではないが。フィアレスノヴァは既に死亡しているので、そういったツッコミは心の中に留めておいて。んじゃ、配置つくか、と翔矢が号令をかけて、茜の口がぱかっと開いた。


『待て、紬とやら。三途の川が飽和している。一時的に地獄と直接繋げることを許す』

「……冥王の、命とあらば」


 アキヒコと紬のやり取りを聞いて、茜は足元を覗き込んだ。確かに、川底には大量の天使の亡骸が沈んでいる。地獄に行くべき天使と、現世に戻っていく魂とでぎゅうぎゅう詰めだ。間違っても通常の魂を地獄に落とすなどあってはならない。


「魂への号令は、頼みます」

『承知した──茜、一瞬だが借りるぞ』

「えっ、ちょっ」


 事前に言ってくれるのは助かるが、やはり自分の体を勝手に動かされるのは慣れない。茜の体を動かすアキヒコは、両剣を頭上でくるくると回してから水面に突き立てた。放出された霊子で空間が震え、細かな波紋が水面に広がる。


『魂達よ、今しばし冥界に戻るがいい。これより狭間にて天使の大掃討を行う。分かっているだろうが奮えよ、地獄の者らよ』


 霊子を使って、冥界全体に伝達をしたのだ。しばらくすると川底を漂っていた魂の光は消え、三途の川には天使の亡骸のみが残った。地獄の魔の手はせっせと天使を引きずり込み、入れ食い状態の狭間に浮足立っているようにも感じる──この後、大量の天使を叩き直せるのが楽しみなのだろうか。


『さて行くぜェ茜。準備運動は済んでんだ、とっとと済ませるぜ』

「分かってるわよ……こんな大事やらかしてくれたんだもの、きっちり責任とってもらうんだから」


 作戦行動に使える時間は長くない。速やかに突入し、熾天使の位置を把握してから最短距離で道を開く。その後は──天使の重鎮と時期冥王によるデスマッチと洒落込もうではないか。


「よしじゃあ、しばらく腕に戻っててアキヒコ」

『鞭がないから~、口笛か口鼓か、足を使って合図してー? ちょっとしたジョッキー気分、味わわせてあげるー』


 両剣を持ったままでの騎乗は難しい。アキヒコを促して両剣を手放した茜が、どこか上機嫌なフィアレスノヴァの手綱をとる。


 かっぽかっぽと小気味いい音を立て、蹄鉄が川面を跳ね上げる。走りにくそうな様子はなく、足場の問題はないらしい。


 翔矢は既に射撃地点に向かったらしい。人っ子一人いない三途の川は本来道路であるため、車道の真ん中を堂々と闊歩していると、現世から魂だけの茜達に視線を向ける人々がいた。


 野次馬の人数は思ったよりも多かった。明日になったらオカルト掲示板がとんでもないことになっていそうだが、そうしたネットに対処するのは茜たちの管轄にない。


 成すべきことは天使の駆逐のみ。ぼそぼそと複数人で会話をする野次馬に見向きもせず、元競走馬と特殊刑務官が水面を歩く。


 さぁ、決戦だ。各員配置についたのを確認して、最後方からミサイル発射の轟音が轟いた。



 *



「さぁやるで! 冥界製のトマホーク、食らってみぃや!」


 巨大な多連装ロケットミサイルシステムに変化させ、翔矢は号令を出して第一射を放った。爆音を轟かせて着火された推進剤で空を飛ぶミサイルは、作戦開始の合図であり、天獄の門に大穴を開けて侵入地点を確保するためのものだ。ゴーグルの内側に見えるロックオンカーソルで狙いをつけたのは天使が溢れる出入口そのもの。既に第六波の多数が外に飛び出ているが、内部を丸ごと焼き払って、雑魚の相当と侵入口の確保をする。


 ミサイルを追尾するロックオンカーソルが重なり、天獄の門下部に数発が直撃する。内部の破砕物が門の外装を打ち砕き、爆撃によって起こった火炎が一端から伝播する。開いた大穴からはどろどろと溶けた門の構成物質が流れ落ち、これはちょっとしまったな、と眉根を寄せたが時すでに遅し。こちらの対処は紬たちに任せるか。


「悪い! 門の外装が溶けて落ちそうだ! 砲撃は続けるけど、後頼む!」


 霊力を練り上げて砲身に詰め込み、再度点火。数を増やしたロケットミサイルが次々放たれ、天使たちと接触する前に弾頭をパージ。内部から現れた数多くの子弾が、一つずつ天使に狙いを定めて吸い込まれていく。


 翔矢の眼下、広範囲で爆発が起こる。花火が炸裂したようなけたたましい音と共に、炎と煙が空を彩った。射撃地点に定めたビルからは天獄の門が見えにくくなったが、かけたゴーグルで歪み切った天使の魂だけを選別し、多数をロックオンしたまま矢継ぎ早に次のミサイルの生成に入る。


 ゴーグルの裏は天使に狙いを付けたロックオンカーソルで埋め尽くされ、視界が悪い。


「数は多いが、出てこんな……これで最後だったか、ついとるわ!」


 一言呟いてから深く息を吐いて、砲身が詰まった金属の箱に手を添える。


「入り口は開けたぞ! 後頼む!」


 要望通り連絡を入れる。途端、ビル階下の川面から赤い光が放たれ、夜闇を怪しく照らし始めた。




 侵入経路は確保できた。後は茜とアンナ、レオナが突入して熾天使を討伐するだけだ。


「さぁいくわよフィアレスノヴァ!」

「お願いね」


 後ろ足で一度立ち上がり、嘶いてから駆け出したフィアレスノヴァが宙に跳び立つ。


 それを見送ってから、上空で現れた天使たちが羽を焼かれて墜落してくるのを確認し、紬ははらりと手脚を伸ばして鉄扇を開いた。


 ぱん、と硬い音を立て、鉄扇の先端に付けた二本の飾り布が揺れる。


「はじめよう」


 冥王の指示通り、ここからは天使の処理を最速化する。


「記すは贖罪、慈愛を掃い凍結氷河に錦を飾れ。彼岸を手折り、虚正に束ね迎え火と成す」


 指先、足先の一端にまで神経を行き渡らせ、しゃなりと鉄扇で空気をうち払うと、三途の川の水面が一瞬で沸き立った。川底から溢れる泡が狭間で爆ぜると、霊子がほどけて火花に散る。


「滅びに賛歌を、再生に名残を。束の間汝を徒花に返さんと、今冥神にかしこみ、かしこみ申す」


 三途の川が、地獄から溢れた霊力で赤く染まる。これより底は地獄と冥府への直通便だ。次第に凪いでいた川の流れが激しくなり、立ち並ぶビルの壁面に叩きつけられた水が高く波を打ち上げる。


「ふう……できれば、早く、閉じたいところだけれど」


 水面に地獄の炎が揺れている。その場で三途の川の制御をしながら、構わず紬は天獄の門を見上げた。


 爆音と煙がひっきりなし。その中を斬り裂いて、尾花栗毛の馬が空を駆ける。上昇する一騎とは裏腹に、翼を焼かれた天使は続々と三途の川に落ちていた。


 視線を地上に戻す。水面に天使が堕ちると、揺蕩っていた炎が勢いを増して天使を包み込み、地獄へと引きずり込んでいく。


 断末魔と、怒号と、悲鳴が耳に突き刺さる。全て天使の絶叫だが、誰がそんな口を、と他人事のように右から左へ受け流す。混沌とした叫声を与え続けていたのは、どこの誰だろう。


「後は、おねがいね」


 小さく呟いて、紬は溶けて穴の開いた外壁に突っこんでいった一騎を見送った。


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