仕事をするだけで運転できなくなる不思議

異動命令から10日。心の準備もできないまま、私はショートステイの管理者となった。介護業界と言えば女性が働く場所、というイメージは強いだろう。例に違わず、私以外は全員女性の職場だった。

31床の古い4階建てのショートステイは、お世辞にもいい施設とは言えなかった。事務方の実質管理者と言えるケアマネ資格を持つ看護師は事務所から出てこない。2階の事務所には何をしているかわからない元管理者の老看護師が週に2回ほど来る程度。


そんな中、管理者として営業回りをすることになる。とはいえ、前施設で管理者をやっていた経験値があり、他社のケアマネとは良好な関係を築けていた。だが、それも数社ほどであり、地元の事業所に目を向けることは少なかった。事務方のケアマネ兼看護師と営業回りを始めたのは、異動して2か月ほど経ったころだろうか。

車に揺られ連れられるままにいろんな事業所に行って、新しい管理者としての挨拶回りをする。その最中だ。「私は辞めるので、代わりにこの人に問い合わせをしてください」と看護師が言い出したのは。

いやいやいや聞いてない。聞いてないぞそんなこと。確かにあまり営業をしないと経営陣からはいじめられていたが、私が来たからといきなりそんなことを突っ込むのか。「現実は非情である」とは誰が言った言葉だろうか。非情すぎるだろう。

そして事務作業の引継ぎを行う羽目になった。てきぱきとパソコンのソフトを動かして「ここはこうやるんだ」と言われても、こちらはそんなソフトを見たこともないし動かしたこともない。そんな状態で、メモを取る暇もないうちに「頭のいい君なら大丈夫だよね」の一言とともに、半日とかからずに引継ぎという名の講習は終わった。その数日後、言葉通り事務方は去っていった。


さらに数か月後、元管理者が階段から落ちて足を痛めたという噂を聞いた。そしてそのまま、静かにフェードアウトしていった。待ってくれ。ちょっと待ってくれ。引継ぎらしい引継ぎを、私は全く受けていない。口頭だけの引継ぎを引継ぎと呼んでいいはずがない。五里霧中どころの話じゃない。一寸先は闇の世界だ。

ほとんど何も引き継がれないまま、ただただスタッフの言いなりになりながら仕事をこなしていく。事務所にこもりきりだったことが、今ならわかる。実務に追われて、全然営業や事務ができないのだ。そこにうつ病が加わって、事務仕事はどんどん積みあがっていった。

もちろん、経営陣からは怒られる。「お前の代わりなんてもう既に用意しているんだからな、いつでも辞めさせることはできるんだからな、ただし仕事は全部終わらせてからな」という呪詛が毎日のように飛んでくる。もう、電話で経営陣の名前を見ることも嫌になっていった。


それでも法令などを読み込み、自分なりに頑張っていった。頑張っていったが、必要最低限の人数でしか職員は配置されない。休みが出れば、ヘルプに入らざるを得ない。それは夜勤も同じであった。次第に、夜勤回数が増えていく。手を付けられない仕事が増えていく。

あれは異動になって3年目の2月の事だ。ほぼ夜勤で働いているスタッフの休みが重なった。当時は夜勤を一人で回していたのだが、休みが重なった以上は管理者であろうがそこにヘルプで入るしかなかった。ただ、それが10日間も重なったのだ。経営陣にヘルプを頼んだところで応援が来ないのはわかっていた。自分自身を犠牲にするしかなかった。


普通は夜勤の勤務時間が16時半~9時までだが、そこを無理矢理重ねる。夜勤に入って、明けたその日の夕方に再び夜勤として入る、という離れ業だ。労基署が喜んでやってきそうな案件である。それを、何回か繰り返さなければならなかった。

2月1日に夜勤で入り、2日に明けで一度帰って体を休めてその日の夕方にまた夜勤に入る。3日に明けで帰ったが、その間一睡もできていない。2月3日は節分、子どもが豆まきを楽しんでいるのを見ながら実家のリビングで微睡む。

次に目が覚めた時には、なぜか救急隊に囲まれていた。訳が分からないまま救急隊の質問に答え、次に記憶が戻った時には救急病棟の中にいた。後で両親から聞いた話によると、激しい痙攣を起こしたらしいのだ。当然のことながら、全く記憶にない。

退院までは約1週間を要したが、その間に形式的に経営陣がお見舞いに来てくれた。どうやら私が抜けた穴は、元々働いていて異動になったスタッフを一時的に呼び戻し、なんとか埋めているらしい。

退院日に受けた検査で、病名として「てんかん」を告げられた。そして残業・夜勤は禁止、というドクターストップも受けた。要は、過労によるてんかん発作を起こしたということだ。そしてここで、重大な事実が告げられる。


てんかん発作を起こした人間は、医師からOKが出るまでは運転は禁止される。車社会の僻地に暮らしている私にとって、それは致命的な宣告だった。入社して5年、私は医師からも心配されるほど壊れてしまっていたのだ。

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介護士に過労!~私がうつ病になるまで~ 有宮旭 @larjis

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