異動先で地獄の蓋が開く

新しい施設が建設されて3年経ったころだろうか。併設の通所介護・訪問介護の実地指導が行われることになった。告知から指導日まで1か月半。余裕はあるように見えて、実際は書類の整備にてんやわんやであった。


法令上、やってないことをやったことにしないといけない。病院が新築移転されて併設となり、総務からヘルプを借りながら、とにかく書類を作りまくった。泊まり込みなんて当然のこと、家に帰らずランナーズハイ状態で、片っ端から指示されるまま書類を作った。

その中で、総務と対立したこともあった。法令に書かれていない、通所リハビリなどでは必要な「カンファレンスシート」というものが1種類あった。ご利用者の現状について3か月に1度会議を行い、その議事録を作るのだが、それを作るかどうかで2時間くらい激論を行った。…まぁ、結果から言うとこちらが折れたのだが。しかし、そのせいで新たに1種類作らなければならなくなり、辟易したものだ。

最後の1週間ほどは全職員投入で、とにかく書類を作り印鑑を押した。全ご利用者のファイルを点検されるわけではないが、数冊は完全なものを作らなければならない。囲い込みではなく外部からもきちんと受け入れをしているということで、その方の書類は念入りに作った。

総務など上層部は主に私の担当である通所介護を徹底的に叩いた。同僚が担当している訪問介護の指導に関しては10%も労力を割いていないのではなかったろうか。それほどまでに、私は追い込まれていた。


忘れはしない1月11日、県の指導が入った。

まずは通所介護、私の担当である。県からは2人、施設からも私と総務の2人で立ち会った。途中、書類点検の段になって、県の職員1人が私に「現場を見せてくれ」と言ってきた。書類点検は総務に任せ、私はマンツーマンで指導に挑むことになる。

最初の質問は「今日は何人のご利用ですか?」だったことを明確に覚えている。なぜならその時の私はそこまで頭が回っていなく、大体の数を答えたのだ。現場に到着すると、果たして数は合っていた。胸をなでおろし、施設見学に入る。そこでの指摘事項はなかった。全体的にも、書類について1枚だけ印鑑が押されていないという指導だけで、無事に終わることができたのだ。

続いては訪問介護、同僚の領域である。まぁここは問題ないだろう、と誰もがたかをくくっていた。だが。訪問介護を一番使っているはずのご利用者様の書類がない。いや、正確に言おう。ファイルごと無かったのだ。それを伝え聞いた現場サイドに戦慄が走った。よりによって一番大事な要が無いのだ。大わらわで書類を1から作る。指導されている別部屋ではなんとか時間を延ばしているが、それも限界がある。結果、こちらは別のご利用者様の減算を行うこととなった。失敗、である。明暗が分かれた。


そしてその日の夜、私は上層部に呼び出された。

「実地指導おつかれさま。ところで、ショートステイの管理者はどうかね?」

病院が新築移転された当時、ショートステイは離れ小島と呼ばれていた。私が病棟時代にお世話になった、全く職場で怒った顔を見たことがない聖人君子のような先輩が管理者だった。1月20日に訪問介護担当の同僚が異動される、という噂は聞いていた。その矛先がこちらに向いたのだ。

ほぼほぼ寝てない状態で、私に残された選択肢は無かった。離れ小島の経験は、現在の施設で2年間体験した。大体のことはそんな中でもこなしてきた。果たして今回実地指導を失敗した彼に、その役を任せてもいいのだろうか。

「わかりました。ここでの経験を糧に、やります。」

流れ作業のように口にした言葉が、後々になって強烈なカウンターとなることを、当時の私は知る由もなかった。

「引き受けてくれてよかった。引継ぎに関しては、現在の管理者から連絡が来るだろう。」


数日後に来た管理者は、10~20分くらいの簡単な引継ぎと言えるかどうかわからない言葉のみを残して、去っていった。後から聞いた話によると、彼は精神的に病んでいたそうだ。


そして老朽化した施設で、私はさらなる地獄を見ることとなるのだ。

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