呪いまみれの魔法使いたち

犀川 よう

呪いまみれの魔法使いたち

 十二歳の春。母が受けている呪いを解除するために、わたしは魔法使いになろうと決めた。呪いを解くには、わたしが成人を迎える前でないといけないと、師から告げられたからだ。

 師が言うには、母がかけられた呪いは熊の子殺しのようなもので、母と結婚できなかった男が、妊娠した母の前に現れてかけたものらしい。その呪いの効果というのが気色の悪いもので、わたしは成人になると死に、母は一人の女として発情をし始め、その男を好きになるというものであった。


 両親は最初、呪いのことに気づくことはまったくなかった。だけど、わたしが十歳になると母に異常が出てきた。父を遠ざけるようになったのである。

 わたしの住む村では仲の良い夫婦といえば父と母、というくらいの良好な関係の二人であったのに、ある日を境に徐々に不穏な間柄になってしまった。わたしの十一歳の誕生日になると、母はおはようのあいさつ代わりに離婚したいと呟いた。その目はうつろで、憎しみとも怒りとも区別のつかない顔で父に繰り返し言うのである。わたしが知った初めての呪いは、母の言葉であったのかもしれない。

 

 窮余の末、父は友人で魔法使いである師に「娘を預けるから妻の呪いを解いてくれ」と頼んだ。父はすでに心を病んでおり、母以上に壊れそうであった。わたしの家は男の呪いによって、家庭崩壊を始めており、父は最後の願いを師に託したのだった。

 わたしの家にやってきた師は、何もできずに泣いているわたしの頭を撫でると、母の呪いについて説明をしてくれた。そして、わたし自身の寿命があとわずかであることもを教えてくれた。

「成人?」

「ああ、そうだ。それが来ると、君の人生は終わることになる」

 師は優しい眼差しでわたしを見た。まだその言葉自体を知りようもないわたしの幼さを憐れんでいるかのような、慈愛に満ちた表情をしていた。

 師は大体の状況を把握すると、わたしを引き取った。父はわたしを笑顔で見送った。それが父との最後の思い出になった。翌年、父は自らを裁いて村の塵となったのである。


 師の家で修行することになったわたしが最初に思った疑問は、師が母の呪いを解けばいいのではないか、ということであった。当然ながら、それを師に向かって口にしてみると、師は困ったような顔をした。それだと母は助けられても、わたしを助けることができないという。だからわたしが魔法を習得する必要があるのだと言うのだ。わたしはいずれ訪れる死への恐怖に怯えながらも、魔法の勉強をするしかないのだと覚悟をした。


 師が言うには、魔法とは数式なのだという。てっきり呪文とか詠唱とかそういう類のものなのだと、絵本で読んだ知識から勝手に想像していたのだが、実際には難しい数式の羅列を記憶し、そこから出てくる数字をイメージすることで具現化をさせていくものであった。てっきり、最初の修行は絵本の世界のように野草採取や獣の肝を煮出すことだと思っていたわたしは、混乱しながらも数列の記号の意味から勉強することになった。この世のすべては数式によって支配され、数式を知ることが魔法を知ることだと、師は何度も優しい声で教えてくれたものである。


 十六歳になると、母がかけられた呪いの数式を理解できるようになった。あとはその逆の解析をしていけばいいと師は話してくれた。わたしは解析という言葉の意味もよくわからず、もう少しで母と自分を助けられると思いながら勉強を続ける。頭の中で数式が踊り、その中に必要な数字を入れていく。脳内で生成されたグラフを捉えてイメージのままに手をかざすと魔法は発動する。母の呪いを解除する数式自体は簡単なものであった。問題はそこに入れる数字がわからない。おそらく、入れるべき数字は人為的に考えられた暗号のようなものであり、男でないとわからないだろうと推測ができた。


 わからない日々がしばらく続いたが、やけになって適当に入れた数字がまさかの正解だと知ることになった。深夜にもかかわらず、わたしは慌てて蝋燭の火を消してしまった。その数字には悪意以上の恐怖を感じて、起きていることを知られるのが怖くなってしまったのだ。


 翌朝、わたしはいつも通り朝食の支度をした。師の好きなライ麦のパンと野菜スープを揃えた。師はいつものように部屋から出てくると、にこやかに朝の挨拶をしてきた。わたしはいつものように「おはようございます」と返した。

 師が食卓につくと、わたしたちは食事を始めた。ライ麦のパンを食べると、緊張からか、それを切ったナイフを舐めたような苦みを感じる。

「わたし、ついに母の呪いを解けるようになりました」

 師は喜ぶことも驚くこともなく、持っていたスプーンを静かに置いてから、立ち上がった。

「いつ、数字がわかったんだい?」

 その口調はいつも通りだった。魔法の意義を説いてくれるときも、数式の記号を紙に書いて教えてくれるときも、焦って泣き出してしまったわたしを励ますときも、師の声は慈愛に満ちたものであった。――それはわたしの勘違いであったことを昨日知ってしまったのであるが。

「昨日の夜です。貴方がかけたのですね、母の呪いを」

 テーブルの下で、隠し持っていたパン切りナイフを握りしめる。

「――君のお母さんは、なかなか私に振り向いてくれなくてね」

 何がおかしいのだろうか。師、いや男は笑いながらわたしの方に寄る。

「君がいなくなれば、また女として戻ってくれるのではないかと期待して呪い――いや魔法をかけたんだよ」

「どうして、そんなまわりくどいことを?」

「そうだね」

 男はわたしの方に寄ってくる。わたしはナイフを背に隠しながら立ち上がり、後ずさる。

「君の父上にもおしおきをしたくてね。もっとも、彼はもう死んでしまったが――」

 不気味な笑いをする男は隙だらけだった。わたしはある数字が入った数式をイメージして、それを男にめがけて魔法を放った。

「母の呪いを解く、というのは、貴方の魔法を解除することだったんですね」

「……よく気がついたね」

 男は床に倒れ込んだ。死んではいないだろうが、わたしの魔法によって母への呪いが解除され、自身への負荷が一挙にやってきたのだろう。

「何故、わたしに魔法を教えたのですか? 教えなければ、すべてうまくいったのでは?」

 わたしは上を向くこともできない男に投げかけると、男は慈愛だと思っていた声色で、わたしに言葉を吐いた。

「君と初めて会ったときに、母親そっくりな君を――好きになってしまったんだよ」

「……もし、本当にそうであるなら、あなたはとても愚かしいことをしましたね」

 わたしは持っているナイフを捨て、数式をイメージする。そして、男が母に愛を籠めて入れた男の誕生日ではなく、わたしの誕生日を数式に入れてから、自分に魔法を放った。わたしの恋を奪った男が、二度と母を愛さないように。――わたしだけを愛するようにと、魔法使いのわたしは、かつて師と呼んだ人に呪いをかけたのであった。

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