罪人は静寂の中で恋を叫ぶ

犀川 よう

罪人は静寂の中で恋を叫ぶ

 あたしの父の趣味で、我が家の半地下の個室は、ミニシアターになっている。防音設備は完璧で、一度中に入れば、映画の世界へと完璧に入り込むことができる。


 あたしは幼い頃から、このミニシアターで、わかりもしない名作と呼ばれる映画を父から見せられ、感想を求められた。そんなことよりも絵本やアニメを見たいと、偽りのない気持ちを訴えるが、父は表情を変えずに感想を求め続けた。あたしは仕方なく、苦し紛れの言葉を並べて、父が満足するまで、延々と感想の答えを探していくのだ。


 ミニシアターはお仕置き部屋でもあった。小学生になると、あたしにもそれなりの自己主張が出てくる。そんなあたしに対して父は、映画の中の規範を家庭内刑法として、あたしを裁いていった。母は抗弁することなく、黙って父に従っていた。母は器用な人で、映画に出てくる女優のように、その場その場を演じて難を逃れていった。悲劇のヒロインになったり、女傑になったり、父の娼婦になって、父からの折檻を免れる。残念ながら、あたしの母親という役だけは演じてくれることはなかった。だから、あたしは弁護人不在のまま、父の歪な判決によって、何度もミニシアターに閉じ込められるのであった。


 音を出さないときのミニシアターは、人を狂わせるくらいの閉塞感と圧迫感を与える。映画を流されるのも拷問であるが、恐ろしい静寂しじまもまた、わたしの神経をすり減していった。だから、この半地下の牢屋は、あたしを殺そうとするための施設にしか思えなかった。


 中学に上がると、サヤという友人ができた。彼女は映画が大好きで、あたしの家によく遊びに来た。もしかしたら、あたしと友達になりたいからではなく、ミニシアター目当てで近づいてきたのかもしれないと思うこともあったが、結果的には、彼女があたしを、父とミニシアターから解放してくれる、罪深き王子様になってくれたのだった。


 ある穏やかな日曜日であった。サヤは初めてカバンを持って遊びにきた。その日は父に対して、父の好きな恋愛洋画が見たいと言った。父は大喜びで、是非三人で見ようと、提案という強制をしてきた。あたしと父の関係は、破綻どころか悲劇で組み敷かれている状態で、あのミニシアターに一緒に入ることは、地獄でしかなかった。それを知っているのに、サヤは父を交えて三人で見ようと、笑顔で言ったのである。


 ミニシアターの部屋のドアを閉めると、父は普段は使用しない高級なスピーカーを披露したくて、配線のケーブルを探す。サヤはそれを見ながら、そっと部屋の内鍵をかけ、カバンから結束バンドを取り出した。その後は、あたしが不思議に思う暇も与えない迅速さで、父が持っているケーブルを取り上げ、それを使って父の首を締め上げ始めた。


 声も出ずに呆然と立ちつくすあたしに、サヤは「結束バンド!」と大声で叫んだ。防音施設内である。外に声は漏れることはない。サヤは父をうつ伏せに押し倒すと、もう一度、「結束バンド! 早く!」と叫んだ。あたしは頭が真っ白になり、そこから先の記憶が今でもあいまいになっているが、おそらく、あたしは父の両手の親指を拘束したのだと思う。サヤは叫び苦しむ父の首を必死に締めた。まだ子供のような女の力ではなかなか父を絶命させることはできず、サヤは父の悪魔のような叫びを上回る声を張り上げて、締め続けた。映画のように父はすぐに死ぬのかと思ったが、あたしは、延々とサヤの奮闘と父が苦しむ様を眺めることになってしまった。


 ようやく、父が動かなくなった。サヤは何度も父が呼吸をしていないか確認する。あたしは映画以上に非現実的な光景をただ眺めていた。幼い頃より、映画について感想を求められてきたが、そんなものは何の役にも立たないくらいに、言葉にならない状況であった。父は動かず、首には太めの配線が絡みついているが、サヤは父の沈黙を信用せずに、執拗に締め上げている。サヤの目は力強かった。一切の迷いのない、正義感に燃え上がった瞳で、父の絶命を確実のものにしようとしていた。


 一時間くらい経ったのだろうか。ようやくサヤはケーブルから手を離し、結束バンドをカバンから取り出したニッパーで切ると、あたしを見た。そして、再び父を殺したときと変わらない形相になると、あたしの頬を思いっきり叩いた。

 あたしは何が起きたのか、更にわからなくなった。サヤは何度もあたしを叩くと、服を脱がそうとした。あたしはサヤの理解できない行動から逃れようと抵抗するが、サヤの決意に満ちた行動の前にはなす術がなく、叩かれ、衣服をめちゃくちゃにされた、上の服は伸び切り、ブラジャーは引きはがされ、ズボンも半分ずり降ろされ、いつものような――父に襲われた姿になる。


 サヤは満足したのか、手をとめると、内鍵を開錠してドアを開け、大声であたしの母親を叫んだ。ミニシアターを出れば、ただの家である。びっくりしているであろう母が、二階からダンダンと音を立てて階段を降りてくるのがわかった。

 

「あんたが父親から襲われているところを、わたしが助けた」

「えっ?」

「いいね。そういうことだから」


 サヤはそれだけ言うと、スマホで警察に電話をかける。到着した母は倒れた父を見て、奇声をあげながら近寄る。あたしはその様を他人事のように眺めていた。


「どうして、こんなことを?」

 

 我に返ったあたしは、警察を呼んだサヤに問いかける。


「わたしもね、おんなじだから」

「……知らなかった。お父さん?」

「――叔父さん。父も母も、見て見ぬふり」

「そうなんだ。なら、今度は、あたしがソイツを殺してあげようか?」

「そんなこと、やめてよ」


 サヤは悲しげな笑みを浮かべた後、父の死体にへばりついている母をミニシアターから摘まみだすと、また鍵をかけた。


「あんたを罪人にしたくないから、やったのよ」

「なんで?」

「そんなの――あんたのことが好きだからに決まっているじゃないの」


 サヤはあたしを抱き寄せると、泣き出した。防音壁に挑むかのように、大声で泣いた。あたしは「だったら、こんなことしなくても良かったのに」と言った。その言葉がサヤに届いたのかはわからない。サヤは、あたしに抱きついたまま、「元気でね」とだけ言うと、あまりにも短すぎる、あたしとのミニシアターでの恋を噛みしめるかのように、泣き続けるのであった。

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