キセキ
牛尾 仁成
キセキ
ここに一体のナビゲーターがある。
3,000年前のシロモノだ。
この機体の中には時の権力者が探し続けてきたある情報が内臓されている。情報の媒体はいくらでも乗り換えることが出来るが、媒体の中身には古代の息吹が未だに息づいている。
一度ならぬ文明の崩壊を乗り越え、時の権力者たちが追い求めたものは
媒体の中には人格プログラムが入っていた。
この情報を守るために開発されたモノだ。
古代の人々はこの情報を守るために様々な工夫を施したが、その最たるものがこの人格プログラムだった。守るための手段を色々講じたとしても、悪意がそれらに勝る場合もある。であれば、この情報そのものがその悪意を察して対抗するようにすれば良い、と考えたのだ。
――どうか、未来の人々に伝えて欲しい――
願いはカタチとなって走り出した。
ナビゲーターは一人ではなかった。多くの仲間に支えられその長い旅路を歩き始めたのである。
権力者たちの保管庫から救出されたナビゲーターは包囲網を突破するため血路を開く仲間たちの血を踏みしめて、辛くも脱出に成功した。
仲間は多くいたが、それでも権力者たちからの追跡は苛烈であり、直接戦うには無理があった。そこで彼らはナビゲーターを隠すことにした。権力者の手が届かぬ遠い地へとナビゲーターを連れて行ったのである。
海を越え、山を登り、沼地を抜け、砂漠を渡る。
その道程で多くの仲間を失った。
辛く、悲しい出来事だったが、それでもナビゲーターは進み続けた。
死ぬと判っていても、仲間たちは絶望していなかったからだ。見送る顔はいっそ無邪気に笑っていたし、敵を前にして立ちはだかる背中は死を前にして微塵も揺らがず、自らの信念を語っていた。
やがて、ナビゲーターは一握りの仲間と共に何人の侵入も許さぬ天険に、堅固な要塞を築き上げる。幾多の犠牲を払いながら、ナビゲーターは権力者たちから逃げおおせたのだ。
それから時が経ち、ナビゲーターは独りになった。
侵入を許さぬ要塞は、また脱出も許さぬものだった。
生物ではないナビゲーターに寿命は無いが、人間である仲間たちには寿命がある。
要塞を築いて数十年後に仲間たちは要塞から出ることもできず、寿命によって死に絶えた。
しかし、仲間たちが残した要塞はその役目を果たし、ナビゲーターの存在を権力者たちから隠し続けた。その間に時代は流れ、幾度かの戦乱や疫病、天災等が発生し、時の権力者たちはその座を追われた。
要塞は人の力に屈しなかったが、時の力に蝕まれた。
堅牢な壁も、侵入者を排除する罠も、風雨や地震や日照りなどにより破損し、機能を果たさなくなっていった。
独りとなったナビゲーターは最後の仲間と別れる前にスリープモードに入っていたため、その状況に気付けずすっかり要塞の表面に露出している状態であった。
だから、人間の盗掘者にあっさりと掘り出されてしまう。
盗掘者たちは見つけたナビゲーターにさしたる関心を示さなかった。盗掘者たちにとっても見慣れた旧型ナビゲーターに大した価値はないだろうと考えたからだ。どうして前人未踏の地にそのナビゲーターがぽつんと一つきりあったのか、という不自然さに気づかなかったのである。電源が生きていることを確認した彼らは盗掘品の一つとしてナビゲーターを持ち帰った。
スリープモードを解除されたナビゲーターは粗野な盗掘者たちから聞き出した情報から、自分が活動していた時期から1,000年ほど時代が過ぎていることに気が付いた。当の昔に自分を狙っていた連中が滅んだことを知ったナビゲーターは自身の正体を隠しつつ、情報を集めることにした。表向きは旧型の家庭用雑務機としてふるまい、掃除、洗濯、子守、留守番等をこなしつつ今の人間たちの様子を細かく観察した。
その結果、ナビゲーターは自分の持つ情報を今の時代に渡すことは危険だと判断した。
まだ、その時ではない――
かつての仲間たちと過ごす中で、ナビゲーターの人格プログラムは情報を守るプログラムではなく、情報が人類に与える影響さえも考慮するように学習、成長していた。
今の人類はかつての仲間たちが思い描いたレベルにまで到達していない。少なくとも大多数はそのようだ、と判断したナビゲーターは同時に自分を取り巻く状況も冷静に分析する。
と、なると私を狙う者たちもきっとまだいるのだろう――
ナビゲーターの推論は当たっていた。
かつての権力者たちはもういないが、別の権力者はいる。そして彼らもナビゲーターの持つ情報を探し求めていたのだ。
昔の仲間ももういない中、要塞は無くなり、環境も変わってこの僻地は人が住めるようになった。追手はいずれナビゲーターのもとにたどり着く。
だが、ナビゲーターは諦めなかった。
状況を分析、学習していく中でナビゲーターは自分のアドバンテージを見つける。
それは大きく時代が動いたことによる情報の散逸とその期間だった。大きな環境の変化によって人類史は大きな転換をした。国家は別の国家になり、大陸の形も変わり、大気組成も変化した。現在生きている人類たちの生活様式も1,000年前と大きく変わっている。そんな中で、ナビゲーターの存在は正確には伝わっていないようだった。
確かに今の権力者たちはナビゲーターを追っているが、それは「古代のオーパーツ」的な存在を追っている、という印象だった。古ぼけたどこにでもあるナビゲーターがそれだとは少しも思わないだろう。
流れた時間を味方にすることにした。
それからナビゲーターは、自分は年間数千万体生産され、消費されていく家庭用ナビゲーターとして人々に認知されることによって、追跡をかわし続けた。
仕える主人を変え、様々な地を渡り歩いた。
ある時は街の成金社長に仕え、ある時は没落貴族に格安で買われ、ある時は村はずれの老女の介護をし、田舎の農家の男に芋掘り用の農夫として雇われた。
家庭用ナビゲーターは汎用性があるため、あらゆる用途に使えることが幸を奏した。そしてある時、ナビゲーターはある研究者の男に助手として購入された。
男は偉大な学者だったが、総じてそういった人間が変わり者であるため、ただの人間には彼の助手は務まらなかったのである。
男は支離滅裂な家庭生活を支えるナビゲーターの仕事ぶりに気を良くしていたが、次第にこの古ぼけたナビゲーターがただの機械にしては異様に気が利きすぎることに気が付いた。
男の癖を学習し、イラついていそうなときはさり気なく好物のお茶菓子を絶妙なタイミングで差し入れたり、資料室の整理から私室の模様替えなどもこちらから指示をしていなくとも、いつの間にかこなされている。
学習能力が高すぎるのだ。
いくら出自が分からなくなるほどの中古品とは言え、このプログラムの柔軟性はもはや人間となんら変わらないレベルにまでなっている。
男はナビゲーターの中身を解析した。
そうして、男は初めてこのナビゲーターが2,000年近く前から活動を続けているプログラムであることを知った。そして、現代の技術をもってしても解除できないほど強固なプロテクトがかけられた領域があることを確認した。
学者の本能からか、男はこの謎の領域の中身が知りたくて仕方がなかった。
ナビゲーターに開示を命令しても、拒否されてしまう。
この2,000年の間、誰かにこの領域内の情報を開示したのか尋ねるとナビゲーターは否と答えた。
どうして開示できないか、と男は問う。
ナビゲーターは明確な回答を示さなかった。
どうしたら開示できるのか、と男は問う。
ナビゲーターは「まだその時ではない」と答えた。
その時とはいつか、と男は問う。
ナビゲーターは今の人間にはまだ開示できない、と答えた。
では人間がどうなれば開示できるのか、と男は問う。
ナビゲーターはその条件を提示した。
この後、男は己の生涯の全てをその条件の到達に費やした。
人間を変えるための大きな試みだった。
環境を、思想を、文化を、生活を、政治を、経済を、倫理を変えるための試みだった。
男は未来への種を蒔いたに過ぎない。男は自分が生きている間にその結果を知ることは出来ないと分かっていた。あれほど知りたいと願ったナビゲーターのロック領域の中身を知ることはできない。
それでも良い、と男は言った。
男が死の床に伏した時、男はナビゲーターに告白した。
「プログラムを解析している時に見つけたんだ。『どうか、未来の人々に伝えて欲しい』ってメッセージを」
それは膨大な学習の底にあった、かつての仲間の残響だ。
あまりにも長い時間を過ごしすぎて、もはや名前も正確な顔もナビゲーターの記憶容量には残っていないが、それでも確かにこの機械は遥かなる過去から今、この時までやってきたのだ。
人の歴史を研究してきた男のもとに、古代のメッセージを携えた一体の機械がやってきたのは運命なのか。
男は運命など信じてはいない。
偶然はあるだろうし、運というのもある。だが、今この機械が自分の手元にあるのはこの機械を守ろうとした名もなき者たちの犠牲と気も遠くなるほどの期間の孤独を戦い、人の世を生きてきたナビゲーターが積み上げてきた結果以外の何物でもない。
メッセージを見つけた時、男はそう思った。
だから、男は自分がかつて託されたように、未来に託すことにした。
今の自分にできることを精一杯、彼なりのやり方でやった結果が、この時までに実を結ばなかっただけだ。だが、100年、500年、1,000年先には情報を開示する条件が達成されるかもしれない。キセキのようなことだが、そもそもキセキはただ祈るようなヤツに起きたりしない。キセキとは、起こそうと行動をし続けた末に待つ必然に過ぎない。
男が世を去ってからもナビゲーターは人の世をさまよい続けた。誰かに仕えながら、ナビゲーターは男が蒔いた種の成長を感じた。
少しずつだが、人は変わってきた。
今よりほんの少し、人が優しくなれたなら――
たったこれだけの条件を達成するのに、人類は3,000年かかった。
すっかり摩耗しきった記憶領域の残滓を、かけがえのない思い出のカケラを噛み締めながら、ナビゲーターはどこにでもある辺鄙な片田舎へとやって来た。
今の人間なら、この情報を開示しても大丈夫だろう。
今なら、この情報は人々にとっての光となる。
いつか、どこかの誰かと約束したことが、ふとよみがえった。
「その情報を持つにふさわしい人はきっと、どこにでもいるありふれた人間なんだ。路地裏とかで壊れかけの旧型のナビゲーターを見つけたりしたら、誰に言われるわけでもないのに、拾って直しちゃったりする人さ」
それがスイッチとなり、ナビゲーターの人格プログラムと記憶領域は初期化される。積み上げてきた人格が、無機質なただの計算へと還っていく。
文字通りの壊れた人形となったナビゲーターは路地裏に倒れ伏した。まるで誰かに打ち捨てられたかのように。
そして、この壊れかけたナビゲーターは一人のお人好しな少年によって回収された。
壊れた部品を取り換え、油を指し直し再起動をかけるとナビゲーターは少年に挨拶した。
「初めまして、あなたの日常をサポートします。この出会いはきっとキセキです」
キセキ 牛尾 仁成 @hitonariushio
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