ソフィー

 南蛇井くんはギターを弾いて、歌も歌った。いわゆる弾き語りだ。

 最近は卒業式でも歌う有名な楽曲 だった。

 ぶっきらぼうな彼の歌声は荒削りでもあり、甘く優しかった。歌詞のひとつひとつを大切にして歌っていることが伝わった。

 ギターの演奏は見事なものだった。右手と左手は全く違うように動いている。指の一本一本が独立した生き物のように、動き回っている。

 大したものだ。


「……」

 南蛇井くんは演奏を終えて、僕を無言で見た。言葉はなくとも感想を欲しがっているのが分かる。

「実によかったよ。ギター上手いね」

 僕は素直に賞賛の拍手を送った。


「他には?」

「いい声してたよ」

「お世辞はいらねえ。はっきり言えよ」


 僕は音楽に精通している人間ではないのに、いいのだろうか。南蛇井くんの顔色を伺いながら、恐る恐る言ってみる。


「ギターは上手い。でも歌は下手だ。僕の方が上手いと思う」

「どのへんが下手?」

「ええっと……」


 南蛇井くんは腕を組んで、僕の言葉を待っている。続けろ、ということらしい。


「全体的に高音域の音程が取れていない。張り上げようとして、だみ声になっている。地声よりも裏声でビブラートを利かせた方がいい。『瞳を閉じればあなたが』は感情がこもっていていいと思った……」

「なるほどな」

「音楽も何もやっていない素人だから、あんまり気にしないで」

「いや、助かる」


 南蛇井くんはうーんと伸びをして、ギターを丁寧にギターケースに仕舞うと、ソファーに寝っ転がった。


「ど、どうしたの」

「疲れた。俺はライブ会のやつら以外の前で、弾き語りをしたのは初めてなんだよ」


 このクッション気持ちいな、と南蛇井くんはソファーにあったクッションを抱きかかえ始めた。

 仮入部の僕以上に、くつろいでいるのは解せない。


「あんた名前は?」

「山本だよ」

「下の名前は?」

「……詭弁」

「じゃあ、詭弁学派のソフィストから取って、ソフィーな」


 ソフィー。耳慣れない。


「ソフィーというのはやめてくれないか? 自分の名前じゃないみたいだ」

「悪い、じゃあ詭弁で。俺のことは寵児でいい」


 アーティストにとって、自分の演奏を披露した相手は友達になるのだろうか。

 先刻までの態度は嘘のように、南蛇井くんは友好的になった。


「それじゃあ、回り道しちゃったけれど、君の話を聞こうかな」

「ああ、いいぜ」


 南蛇井くんは起き上がって、姿勢を正した。ことの経緯を話してくれる気になったらしい。


「俺の現在の技量を見極めたくて、詭弁には演奏を聴いてもらった」

「僕は音楽を全くやらないんだけど、こんなのでよかったのかな」

「音楽に詳しくない人間からも下手と言われるんじゃ、自分の実力を認めざるをえない。やれやれ完敗さ」

「……」


 僕は沈黙する。素人目に見ても南蛇井くんは下手だった。カラオケに行けばどこにでもいるような、こぶしを利かせて歌っている人のレベルだろう――僕は友達が少なくて、カラオケに行ったことは数えるくらいしかないけれど。

 でも南蛇井くんのギターは上手だったし、声色を使った感情表現はよかった。

 長所を伸ばしていければ、技量も上達していくに違いない。


「ライブ会の人たちは、君にどんなアドバイスを?」

「『下手でもいいじゃない、プロになるわけじゃないんだから』だとよ」

「………なるほど」

「ろくに活動もしていないやつらに下手だって笑われてもなんともねえよ。でも、どうやったら上手くなるのか、教えてもらえないのは堪えた」


ライブ会の人たちは部長を筆頭に、非公認サークルである現状維持を望んでいた。彼らはやる気のある新入生を持て余しているのかもしれない。


「俺はやるんなら一番になりたい。切磋琢磨できるメンバーとバンドを組みたい。高校三年の夏に、ボン・ジョヴィと出会っちまってから、ずっとそう思ってきた」


 南蛇井くんは夢を熱く語った。ナンバーワンになれると信じて疑っていない、挫折をまだ知らない人間特有の輝きが眩しくて、目が眩みそうになる。


「ライブ会の人たちに、もっと真剣に活動しようと言ったことはある?」

「言ったよ。誰も真剣に聞いてくれなかった。部長は親身になってくれたが、もともと仲間内でゆるく楽しむやつらの集まりだからな」


 ふむ。南蛇井くんが身を置きたい場所と、ライブ会はギャップがあるように思える。


「どうしてライブ会に?」

「もともと軽音楽部に入るつもりが、俺が入学をした時には解散してた。それで困っていたら、先輩に勧誘されてライブ会に入った」


 軽音楽部。はて、最近誰かから噂を聞いたような気がする。

 それからしばらく南蛇井くんと雑談をした。南蛇井くんはマルサーの部室がいたく気に入って、窓からの景色をのぞいて口笛を吹いた。

 大学の各棟の屋上や、ガラス張りの窓が見える。隣の棟 にはヘリポートがある。

 ヘリコプターが飛んで来たら、プロペラ音がうるさいだろうな。


「流石にこの高さから落ちたら、ただじゃ済まねえだろうな」

「十階だから、普通に死ぬでしょ」


 南蛇井くんは高所が好きらしく、ちょっとはしゃいでいた。彼が機密情報の詰まったファイルを見つけたらと思うと、僕は気が気ではない。

 いまだに何が大事なのか分かっていない、仮入部の身の上である。

 部室のパソコンのパスワードも、まだ教えてもらっていない。


「大体話は聞いたかな。待っていれば、猿島さんたちが戻ってくるだろうけど、どうする?」

「俺、そろそろバイトの時間だから帰るわ」


 南蛇井くんは腕時計を見て、帰り支度を始めた。ギターケース以外に、彼は何も荷物を持っていない。

 とても身軽に思えた。


「それじゃあ、また」

「また」


 連絡先を交換していなかったことに、扉が閉まってから気が付いた。

 まあ、今日のように出くわすだろう。

 なんの根拠もないままに、そう思った。

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山本詭弁の冒険 泉野帳 @izuminuma

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