スタート日和は常日頃

平賀・仲田・香菜

スタート日和は常日頃

「一緒にやりませんか?」

 サッカーボールを差し出す少年の表情は西陽に影して窺いしれない。声色から判断する限り、悪意や皮肉は見つからない。

 ひとけのない公園のベンチに冷やされた尻は重い。立ち上がりもせず、言葉を返す。

「私が? どうして?」

「だってお姉さん、ずっと僕の練習を見てるんだもの。一緒にやりたいのかと思ってた」

「私は社会人よ。中学生だか高校生だか知らないけど、あなたと一緒にサッカーをやるような年齢にみえる?」

「サッカーをやるのに年齢が関係あるの? まあいいや。やりたくなったら声をかけてください」

 それだけ言うと、少年は夕陽の下でリフリティングをしたり思い切り壁にシュートしたりと自分の世界に戻っていってしまった。

 私といえば、鬱々とした気分を掻き回されたようで気分が悪くなってしまった。少年が発した「やりたいのかと思った」「年齢が関係あるの?」という言葉が耳から離れない。その言葉が脳を揺らして延々と頭蓋骨で反響しているような気分だった。

 学生の時分からそうであった。学業や部活動、恋愛に友情と、何にも夢中になれず、夢中になるどころか何も始めずに歳だけとった人間が私である。

 そのくせ言い訳だけは一人前。才能がないからと辛い練習から逃げ、傷付きたくないとリスクを負うこともしない。

 少年はボールを空高く蹴り上げた。それをリフティングの皮切りにしたいようだが、勢いを殺せずに何度も失敗している。先ほどから十数回は繰り返している動き。ボールは明後日の方にばかり飛んでいき、追いかけるその背中は息があがっていた。

 思わず心の中では『いい気味だ。失敗し続けろ』などと考えてしまう。私はそこまで成功者が憎いのかと自らの心持ちに絶望を覚えるが、憎むべくは成功者ではない。成功者をみて盛り上がるギャラリーなのだ。

 最年少名人? 世界一の野球チーム? オリンピック金メダル? 他人の成功に興奮する人間ほど空虚な者はいない。なぜならば彼らの栄光は彼らのものであり、ギャラリーは何も関係ないのであるから。自分自身の感動を掴もうともしない人間は空っぽである。

「そして何もしない私もまた空虚な人間」

 独りごちた言葉は言霊。ずんと心臓を鎖で締め付ける。鎖は心臓にとどまらず、私の手足を縛り付ける呪いのよう。自由に動けない束縛はここにまあるのかと自嘲してしまう。

 身動きも取れず、公園のベンチに縛りつけられた私は虚ろな目でぼうっと少年を見ることしかできない。何度も、何度も失敗を続ける少年を見ることしかできないでいた。

「諦めればいいのに」

 そう呟き、どうせできないんだからと続けようとしたのと同時であった。少年はボールの勢いを胸で殺し、器用にポーン、ポーンと身体上を弾ませる。数十のリフティングの後、少年はボールを両手でキャッチ。

 私に目を向け、真っ直ぐな瞳で少年は叫んだ。

「やっぱりお姉さんもやりたいんじゃないのー?」

 言われて気が付いた。私は彼の成功につられ、無意識のうちに立ち上がっていた。

 人の成功に興奮するなどと嘯いた考えをしていたばかりでばつが悪い。しかしそれは彼には関係のないことである。成功者とギャラリーは何の関係もないはずである。

 一歩一歩と少年の元へ歩み寄ってみると、最初は重かった足が少しだけ軽くなったような気がする。

 すっかり暗くなったが、公園の電灯は彼の表情を照らす。頬が真っ赤になるまで息をあげて、涙ぐむくらいに挑戦して成功して。

 少年私にボールを投げる。描く放物線は架け橋のよう。じゃりじゃりとした砂に塗れたボールの手触りは悪いし、服も汚れたが、それもまた悪い気がしない。

「少年」

「はい?」

「私は昔、テニスがやってみたかったんだ。そしてその気持ちは今も同じ」

「それなら」

「素振りでもしてみようか。スクールを探してみるのもいいかな」

 思い切りボールを蹴り上げてみようとしたが、思い切り空振ってしまった。大の字に転んで見上げた宵の空はまだほんのりと明るかった。

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スタート日和は常日頃 平賀・仲田・香菜 @hiraganakata

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