娘と私

葉月りり

第三の人生

 主人が亡くなって七週間、今日は四十九日の法要でした。


 お寺に行き、お墓に行き納骨をし、会食を終えて家に帰って来たら、もうあたりは薄暗くなっていました。


 喪服も着替えずソファに座り込んだらなんだか動くのが嫌になってしまいました。一緒に帰って来た娘夫婦は、さっさと着替えて自分達の家に帰る支度をしています。ぼーっと部屋を見回していたら、今までお骨を置いていた白布で覆った座卓が目に入りました。今まで置いてあったものが今は無い。当たり前のことなのになぜか不安な気持ちにさせます。


「お母さん、私もう帰るね」


「あ、ああ。はい」


 そう答えた後、その後の言葉が出て来ませんでした。主人が余命六ヶ月と宣告を受けてからずっと私を支えてくれた娘です。主人の具合がいよいよ悪いとなってからは、ずっとここに泊まり込んで手伝ってくれて、私はただ主人の看病をして、見送ることだけに専念できました。葬儀の手配も娘頼り、葬儀の後も週の半分は泊まりに来てくれて、この数ヶ月娘に頼り切っていたのです。その娘があっさり帰るねと言ったことに胸がキュッと締め付けられたような気がしました。


 娘にはまだ小さい息子もいます。仕事もあります。あちらのお義母さんにも職場の方にも迷惑をかけたに違いありません。それはわかっています。わかっているのに涙がポロポロ落ちて来てしまいました。


「お母さん! やだ、どうしたの⁈」


 自分で自分がわかりません。いけないことだということだけ分かっていて、でも抑えきれなくて、大きな声で叫んでしまいました。


「これから一人でどうやって生きていけばいいのかわからない!」


 ソファーに突っ伏してしまった私を前に娘と婿さんが戸惑っているのが見なくとも伝わって来ます。でも、涙は止まりません。


「お母さん…」


 冷ややかな声がしました。娘が怒っている、そう感じました。次の言葉は「何言ってるの?」「子供じゃないんだから」「甘えないでよ」と言ったところかと覚悟した時、ちょっと落ち着きました。


 娘と婿さんが何やら小声で話していると思ったら、予想に反して優しい声で


「お母さん、私、今夜も泊まった方がいい?」


 急に恥ずかしくなって来ました。私、何をやってるんだろう。娘に一緒に暮らして欲しいと思っているわけじゃないし、夫が恋しくて恋しくてというわけでもありません。大酒飲みの夫には苦労させられてばかりで、娘にグチばかり言っていたのに、まるで悲劇のヒロインのような振る舞いをしてしまいました。これ、どう繕ったらいいんでしょう。


「お母さん、ごめん。お父さん死んでから私達、日取りだ、時間だ、香典返しは何にするとか、事務的な話しかしてこなかった。ゆっくり悲しむ間もなくて、お母さん、寂しかったよね」

 

 娘に謝らせてしまいました。私はずっと娘に支えてもらっていたのに。恥ずかしいどころか申し訳なくなって来ました。


「私はね、悲しいよりもお父さんを送ることができてホッとしてるの。お母さんが予想以上にお父さんの看病頑張るから、お母さんの方が倒れちゃうんじゃないかとずっと心配しながら手伝ってたから。それで後はやる事をきちんと済ませなきゃとばかり考えてた」


 私は当たり前のことと思って看病していたけど、娘にはそう見えていたんですね。


「でも、お母さんは悲しいよね。私にはそう仲のいい夫婦には見えなかったけど、夫婦は夫婦だもんね」


 悲しいだけでしょうか。私は自分の行く末の不安に泣いてしまったのだと思います。それを感情的に声にしてしまったのです。


「お母さん、寂しいだろうけど、まだ相続も途中だし、遺品整理も終わってないし、もう少しがんばろうよ。悲しかろうが寂しかろうが、お母さんの第三の人生はもうスタートしちゃってるんだから、ひとつひとつこなして行こうよ。それで全部終わったら一緒に旅行にでも行ってゆっくりしよう。温泉に浸かりながら、感傷に浸るなんてどう?」


 ソファーに伏していた私は思わず吹き出してしまいました。もう謝るしかありません。私はソファーに座り直しました。


「ごめんなさい。なんか疲れちゃって思わず大きい声出しちゃった。ホントごめんなさい。私は大丈夫だから早く健ちゃん迎えに行ってあげて」


「ほんと? 本当に大丈夫?」


 娘はまだ心配そうな顔してます。


「本当に大丈夫。もう今夜はお風呂入って寝ちゃうから。また休みの日に片付けを手伝ってくれる?」


 私が笑いかけると、娘はやっと八の字になった眉を解きました。


「じゃ、私達帰るね。なんかあったら電話して来てね」


 婿さんもホッとしたようです。荷物を持って廊下へ出て行きました。私もソファーから立ち上がって娘達の車を見送ろうと外へ出ました。


「じゃあね、お母さん。またこっちからも電話するから」


「うん、ごめんね、面倒かけて。今日はありがとね。お疲れ様でした」


 娘達の車が角を曲がるまで見送って、門を閉めたら、またどーっと疲れてしまいました。でもこれは多分、安心して力が抜けたのです。娘と険悪にならなくてよかったー。


 結婚前の私、主人との結婚後の私、そして娘の言うようにこれからが私の第三の人生なのでしょう。家には私一人きりになってしまいましたが、一人きりの人生ではありません。そう言い聞かせて少しずつ慣れていこうと思います。


おわり

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娘と私 葉月りり @tennenkobo

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