第6話

 僕は村に入ってすぐに気づいたことがあった。それは村の人たちが僕を避けていることだった。村の人たちは僕を見かけると、地面が頭につくほど低くお辞儀をして家の中やかげに逃げてしまう。僕は嫌な気持ちになって、呼び止めて理由を聞こうと思った。だけど誰も僕の話を聞いてくれそうにはなかった。いっそのこと腕をつかんで止めてみようかとも思ったけど、それは暴力になるのかもしれないからできなかった。


 しばらくとぼとぼと歩いていると、家と家の隙間からもめている声が聞こえてきた。僕は気になって覗いて見ると、一人の男の子が三人の別の男の子に殴られていた。僕は驚いて、その光景から目が離せなくなった。

 そんなことをしたら処分されてしまわないのかな? 昔の人たちは僕らと違って何をしても許される? でもそんなはずないよな。管理人さんはここでもきまりを守るように言ったんだから。

 僕がそんなことを考えているうちに、殴られていた男の子が僕のことを指さした。すると、いじめていた子たちは顔を真っ青にして逃げ去ってしまった。僕はまたかと思った。どうせこの子も同じように走って逃げてしまうんだろう。それなら僕の方から去ってやる。僕は路地から出ようとして後ろを向いた。


「ありがとう」


 僕は固まった。声をかけられた。それに感謝までされた。僕はゆっくりと振り返り、立ってこちらを見ている男の子のことを見つめ返した。男の子は僕よりも少し背が低く、ブロンドの髪に、大きすぎるまん丸の目を持っていた。


 どうして声をかけてくれたのだろう? 僕はそのことが気になって仕方がなかった。それに聞きたいことは他にも山ほどある。あの祠は何なのかとか、この世界はどこまで広がっているのかとか、雨はどんな感じなのかとか。とにかく聞きたいことだらけだった。


「きみはどうして声をかけてくれたの?」


 僕は聞いた。男の子は首を傾げて言う。


「助けられたから……。助けられたらありがとうっていうものでしょ」

「それは……」


 僕は何も言えなかった。そして不思議な子だなと思った。だからいじめられていたんだなとも思った。はっきりとした理由は分からなかったけど、ただなんとなくそう思った。


「きみは逃げないのかい?」

「逃げないよ。ぼくは逃げない」


 僕はその言葉に強い意志を感じた。僕はいつの間にかその子のことが、空や草木のことよりも気になり始めていた。僕は男の子の近くまで行った。それでも男の子は逃げないばかりか、手を出してきた。


「ぼくはアルビーって言うんだ。みんなはアルって呼んでる。きみは?」


 僕は差し出された手を警戒しながら握り返した。アルは笑顔を浮かべるだけで何もしなかった。その手は柔らかくて、初めての感触がした。


「僕はJAEGER5255。みんなからは255って呼ばれている」

「おかしな名前だね」


 僕はむかっ腹が立った。会ったばかりなのにそんなことを言うなんて信じられない。僕は握っていた手をぱっと放した。そして、アルをにらんだ。


「255だと呼びにくいからなあ……」


 アルは僕が怒っていることなんか気にも止めないで、しばらく考え込むと手を叩いて顔を上げた。


「そうだ!」

「なんだよ」

「ビーにしよう」

「B?」


 僕はやっぱりこいつは変な奴だと思った。何を言い出すのか分かったもんじゃない。


「なに言ってんだよ」

「きみのニックネームだよ。ほら、アルファベット順」


 僕はまだアルが何を言っているのか理解できなかった。そんな説明じゃどう考えても理解できない。それがまだ分からないんだ、きっと。


「君の言ってること、まったく分からないよ」

「ええとね。Bはさ二番目だろ。Eは五番目だ。だからBEEでビーだ」


 アルはあのまん丸の目をキラキラさせて大発見でもしたみたいに僕を見上げていた。僕はアルの説明をもう二度、繰り返して返ってやっと理解した。僕の名前の255をアルファベットの順番に置き換えたんだ。初めからそう説明してくれればいいのに。


「そういうことか。やっとわかったよ」

「ビーって呼んでいい?」


 僕は不思議とそう呼ばれるのに嫌な感じはしなかった。むしろ初めてちゃんとした名前で呼ばれたような気さえした。意外と気に入っている自分を悔しく思いながらも僕は「いいよ」と言った。こんな小さなことなのにアルはとても嬉しそうだった。それを見てなんだか僕も嬉しくなって笑った。


 僕らは笑い合いながら、その場に座り込んで話をした。アルは地上世界のことに興味があったし、僕はこの地下世界のことに興味があった。互いに聞きたいことだらけだったから、僕らは一つずつ交互に質問し合うことにした。

 アルの話によると、この世界は無限に広がっているように見えて、遠くまで行くと壁にぶつかるそうだ。先にはずっと草原や森や、空が広がっているように見えるのに、絶対にその先には進めないらしい。それは僕にとっては当然なことに思えた。だって、ここは地面の下に合って、動物園なのだから。僕がそのことを教えると、アルは物凄く驚いていたし、怒っているようでもあった。僕はその態度に驚いた。だけど、怒ってはいけないと分かっていても、なぜだか今はそうするべきだと思った。そうしなければいけないとも思った。

 他にも、祠の中の石像は僕らをかたどったものであるとか、その祠に祈りを捧げているとか、あの大きな木が神樹と呼ばれているとか、近くにある森のささやきき声や、湖や川の水の冷たさ、野菜があまりおいしくない話や、牛の糞の臭さ、朝に一斉に鳴き出す鶏のうるささ、そんな動物たちの肉や卵は美味しいなど、そんな話を聞いた。

 そうしているうちに僕らは気が付くと大人の文句を言い合っていた。大人は自分たちのことを完璧だと思っているし、何でも言う通りにさせたがる。そのことは地下でも地上でも同じみたいだった。


 時間はあっという間に過ぎていった。僕らは何時間そこで話していたか分からないけど、とにかく楽しかった。放課後みんなでサッカーするよりも、テレビで昔の映像をみるよりも楽しかった。初めて本心を話せたし、理解してくれた。僕もアルの悩みややりたいことを理解できた。これが、心が通じ合ってるってことなのかなと僕は思った。僕らは住んでいる場所は違っても、いつでも外を見ていたんだ。


「そうだ! 外を見に行かない?」

「そりゃあ見に行きたいさ。でも……、むりだろう」

「そんなことないさ。まかせて!」


 しょんぼりするアルの手を取って僕は走った。


「待ってよ! 速いって! どこに行くんだよ」

「だから外だって!」


 僕は鳥になって空に飛んでいってしまいそうな気分だった。自分でも驚くくらいすごい方法が思いついたのだ。この方法なら絶対にうまくいく。もう大人たちの言うことを聞くなんてうんざりだ。


 僕は神樹の下につくと、アルの耳元に口を近づけた。アルはゼーゼーと息を切らして大粒の汗をかいていた。


「ビーは足が速いんだね。汗もかいていないし。ハア、ハア」

「聞いて。僕が君に外の世界を見せたいってあの管理人さんに言うから、そしたら二人で外に出てそのまま逃げよう。そして二人で生きるんだ」


 アルは大きな目をさらに大きくした。


「無理だよ! そんなの絶対むりだって。だってぼくは外だと、息ができない」

「大丈夫。僕を信じて!」


 僕はアルの目を力強く見返した。この想いがアルになら伝わってくれる思った。


「分かった。信じるよ。その代わり約束して。ふたりで生きるんだよね」

「もちろん、ふたりでだよ」


 僕らはしばらくの間、互いに見つめ合った。そしてうなずいた。もう僕たちに言葉はいらなかった。


「じゃあ行くよ」

「うん……!」


 僕たちは神樹の、大きな穴が開いている場所まで来ると、そこに立っていた管理人さんに話しかけた。


「管理人さん」

「どうかしたのかな?」


 白衣を着た管理人さんは顔だけを僕の方に向けて聞いてきた。


「この子が外を見てみたいって言うんですけど、見せてあげちゃダメですか? 少し見るだけですから」


 僕はできるだけ丁寧に、アルのためにお願いをしている優しい子どものように演じた、つもりだった。


「──分かった。君はいい子だ。それくらいのお願いなら聞いてあげられる。ただその子には特別なスーツが必要だ。上に行ったら受け取る必要がある」


 管理人さんは少し考えた後にそう言った。僕らは互いに顔を見合わせた。アルの目はキラキラと輝いていた。


「ありがとうございます! 行こう、アル」

「うん!」


 僕らは神樹の幹の中に入った。入るとすぐに扉が閉まり、上がり始めた。


「ほら、うまくいったろ」


 僕は胸を張って言った。鼻の穴も膨らんでいる。これは威張るってやつなんだろうけど、もう僕には関係ない。それにアルは全然嫌そうじゃない。


「いった! こんなにうまくいくだなんて。ビーは天才だね!」

「絶対にうまくいく気がしてたんだよ! それよりも走れるかい? 外に出たら逃げるんだから」

「任せて。今度はちゃんと走るから。ビーにも負けないくらい走るよ」


 アルは腕を激しく振って見せた。僕らは笑い合ってエレベーターが地上に付くのを待った。


 扉が開くと、そこにはもう一人の白衣を着た管理人さんがいた。その人は、金魚鉢みたいなマスクが付いた灰色のスーツを持って立っていた。


「これがスーツだ」


 管理人さんは折りたたまれたスーツをアルじゃなくて僕に手渡してきた。僕はスーツを広げてアルに渡した。アルが着てみるとちょうどいい大きさだった。


「すごいや。ピッタリだ」


 アルは手をグーパーしたり、飛び跳ねて見たりして、灰色のスーツのあちこちを見た。


「それじゃあ行こうか」


 管理人さんは扉を開け、ドアが四つあるだけのエントランスを抜け、外に繋がる扉の前に立った。


「外に少し出ることは許可する。しかし遠くに行ってはいけない」

「分かってます。ありがとうございます」


 僕ができるだけ元気よく言うと、扉が開き始めた。僕らは自然と手を繋いでいた。アルが緊張で震えているのが伝わってきた。僕はアルの大きな目を見た。アルも僕の目を見た。そしてうなずき合って灰色の世界に一歩踏み出した。





 僕らは走った。とにかくがむしゃらに走った。後ろのことなんか気にせずに、ただ前だけを見て、必死になって走った。だからいつの間にかアルの手が離れていたことに気が付かなかった。

 僕はそのことに気がついたとき驚いて振り返った。そこには灰色の大地の上で倒れている、灰色のスーツを着たアルの姿があった。アルの金魚鉢みたいなマスクの中は濃い灰色の空気で満たされている。僕はその場に立ち尽くした。まるで自分の体の一部が欠けたみたいだった。これまで何人もの友だちが処分されてきてもこんな気持ちになったことはなかった。肌がじんじんとする。胸が痛い。苦しい。この気持ちは何なんだろう。この感情は何なんだろう。


 すると突然目の前に真っ赤な文字が映った。


偸盗ちゅうとう・虚言』


 その文字を見た途端、僕は立っていられなくなった。体が膝から崩れ落ち、頭から落ちた。


 最後に見えたのは灰色の空と、僕自身の灰色の腕だった。

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灰色の世界 光星風条 @rinq

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