4,意味が足される時


 レイコのたどたどしい説明を踏まえると、次のような経緯になるらしい。


 その一。親ドラゴンから、はぐれてしまった迷子のドラゴンが、この森に現れた。

 その二。迷子のドラゴンを見かけた村人から討伐依頼が出され、俺が森にやって来た。

 その三。迷子ドラゴンと俺が遭遇し戦闘。互いに引き分けとなる。

 その四。親ドラゴンから迷子捜索の依頼を受けたレイコが、この森に来た。


 そして今。俺と迷子ドラゴンの手当てをレイコが行っているというわけだ。


 レイコが言うには、俺の足の傷は悪化している、とのこと。実際、刺すような痛みが戻っているし、包帯には赤黒い染みが滲んでいる。レイコを探して森をさまよい、ドラゴンから逃げようと走ったのだから当然かもしれない。


 ただ、レイコの見立てでは、ドラゴンの翼の傷の方が急を要するとのこと。

「手当てが遅くなっているぶんだけ、状態が良くないんだよね。悪いけど、剣士さんはちょっと待っててくれるかな」

 ドラゴンの翼に薬を塗りながら、レイコが言った。


 ヤツも傷が痛むのだろうか。

 レイコの手が触れたとたん、ドラゴンの翼はピクリと痙攣。低い唸り声と共に、大きな牙をむき出している。


 俺は反射的に長剣に手を伸ばした。


 一方のレイコは、怪しげな呪文を唱え始める。その言葉の意味は、俺には分からない。でも、聞き覚えのある響きを纏った言葉だった。たしか、俺の足に包帯を巻いていた時に唱えていた言葉だ。

 そうだ。あれは、レイコの故郷のまじないだ。


 その呪文がもたらした変化は、俺にとって衝撃的だった。

 俺の身の丈の二倍はありそうなドラゴンの巨体が、レイコのかたわらで子猫のように丸まってしまったのだから。


「本当に……それは何の言葉だ? ドラゴンを服従させる呪いか?」

 目の前の光景が信じられず、俺はかすれた声で問いかけた。


「だから、呪いじゃないって。痛みを和らげるためのまじないだよ」

 大人しくなったドラゴンの翼に薬を塗りながら、レイコが苦笑いした。

「私の故郷の言葉はね、この国の人間には意味が分からないようなんだけどさ。彼や私の依頼主は、ちゃんと分かってくれたよ。そして、この国に来たばかりの私を助けてくれたんだ。私の命の恩人だよ」


「お前は本当に旅の薬売りか? それともお前は――……」

 俺は長剣の柄を握りながら問いかける。でも、その先の言葉が出ない。

 お前は魔女か、それとも……。どのような言葉でレイコに問いかけるべきか。俺には判断ができなかった。


 俺が言い淀んでいると、森の向こうから、微かな鐘の音が聞こえてきた。村の教会の鐘が、朝の祈りの時間を知らせているのだ。

 鐘の音につられて見上げた東の空は、いつの間にか白んでいた。


「あぁ、もうこんな時間か。すまないがもう少し待ってね、剣士さん」

 レイコがドラゴンの翼に包帯を巻きながら言う。

 どうも苦戦しているらしく、なかなか作業が進んでいない。彼女の身の丈よりも巨大な翼が相手なのだから、当然かもしれないが。


 澄んだ鐘の音を聞きながら、俺はぼんやり考えた。

 レイコは患者に薬を塗り、包帯を巻き、奇妙な呪文を唱えていた。相手が見ず知らずの俺だろうが、己よりも巨大なドラゴンだろうが、それは変わらないらしい。

 そんな人間に出会ったせいだろうか。

 レイコの正体が魔女であろうが、何だろうが。どうでもいいのかもしれない、なんて俺が思ってしまうのは。


 俺は長剣から手を放した。

 そのまま俺は右手に魔力を込める。そして、ちょっとためらってから、足の傷に右手をかざした。


 俺の口が唱えたのは、レイコの故郷のまじないだった


 こんなバカげたことをするなんて。正直、自分でも驚いている。

 たぶん、疲れているせいだろう。あるいは、悪化した傷の痛みに耐えられなくなったのかもしれない。意味も分からない呪文を試してしまうくらいなのだから。


 やはり、というべきか。呪文の効果は何も無かった。傷は相変わらず熱を帯び、ズキズキとした痛みは、足を穿ったままだ。

 俺は小さく毒づいた。やっぱり無意味な言葉だったのか。


「それじゃ意味ないんだよ、剣士さん」

 背後でくすぐったそうな笑い声が聞こえてきた。

「その呪文は、自分ではない誰かの痛みを和らげる時に一番意味を持つんだよ」


「自分ではない、誰かの痛みを……?」

 さっきの、見られていたのか。少し気恥ずかしくなりながら、俺は問い返す。


 レイコは俺のかたわらに座りながら頷いた。

「さて、お待たせ。今度は剣士さんの手当てをしよう。傷を見せて」


 慣れた手つきで俺の傷を確認したレイコは、見覚えのあるピンク色の軟膏を、俺の傷に塗った。

 反射的に俺の足がピクリと痙攣する。


「痛いかい? しみるよね」

 レイコが申し訳なさそうに呟いた。


「少し」

 俺は小さな声で言う。

「だから――例の呪文、試してみてくれないか?」


「えっ?」

 レイコは弾かれたように顔を上げる。

 その瞬間、レイコのフードがぱらりと外れた。


 フードの下から現れたのは、サラサラとした長い黒髪。そして朝日を反射し輝く大きな黒い瞳。

 どちらも、この国では見たことが無い髪と目の色だった。


「いいの?」

 かすれた声でレイコが問いかける。

「無意味かもしれないよ?」


 俺は頷いた。


 レイコは、躊躇いがちに、奇妙な言葉を唱え始めた。

 やはりその言葉の意味は、俺には分からない。でも、よく聞くと分かる。これは、呪いじゃない。むしろ、祈りに似た響きを纏った穏やかな言葉に聞こえた。


「どうかな? 痛みは和らいだ?」

 おずおずとレイコが問いかける。


 俺は足の傷を眺めた。

 やっぱり傷は治ってない。薬はしみるし。足を穿つ痛みもそのままだ。

 でも。


 俺はレイコの顔を見る。

 白いフードの下で、黒い瞳が不安そうに揺れている。


「少しマシになった」

 ぶっきらぼうな俺の答えに、レイコの口元がほころんだ。

「よかった。やっと意味が足されたか」


「まぁ、ほんの少し――爪の先くらいの変化だがな」


「厳しいなぁ」

 レイコが頬を掻きながら言う。

「じゃあ、ダメ押しでもう一度唱えてみようか」


 ――いたいの いたいの とんでいけ。

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その言葉に意味を足したい 芝草 @km-siba93

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