3,魔女の噂


 夜の森は魔物の支配する世界だ。

 今回、討伐を依頼されたドラゴンをはじめ、森には人にとって天敵たる魔物たちが潜んでいる。

 こんな場所に夜、単身で乗り込むなど、正気の沙汰じゃない。


 そんな無謀が許されるのは、ごく限られた上級の冒険者。……あるいは、数年前に都で噂になった魔女くらいだ。


 公には何も伝えられていないが、国中の人間が、陰でひっそりと語っていたのはこのような内容だ。


「異世界からの聖女召喚は失敗に終わったらしい」

「聖女ではなく、魔女を呼びだしてしまったそうだ」

「魔女は、回復魔法を使えないらしい。それどころか、聞いたことも無い怪しい言葉で魔物を惑わし、使役するそうだ」

「魔女は都にドラゴンを呼びこみ、逃亡したらしい」


 ……などなど。どこまで信じてよいかも怪しい噂話は、飽きるほど聞いてきた。

 だが、逃亡した魔女がどうなったのか、という話は少ない。


「ドラゴンに食われたのでは」とか「神への生贄にされたのでは」とか。

 耳にするのは憶測ばかりだ。

 噂話に共通しているのは、魔女はハッピーエンドを迎えたわけではないらしい、ということぐらいか。


 しかし、このままでは俺も魔女と大差ない最後を迎える可能性が高い。

 手負いのドラゴンの潜む夜の森を、足を引きずりながら徘徊しているのだから。

 早くレイコを、そして迷っている子供を見つけないと。俺を含め、全員の身が危ない。


 長剣にすがるような姿勢で、俺は夜の森の奥へと進んでいく。

 一歩進むごとに、寿命が縮む心地がする。

 どこかにレイコの足音が聞こえないか、怪しげな木箱が見えないか。

 必死に耳をそばだて、闇に目を凝らした。


 そして、俺は見つけてしまったのだ。

 川のほとりの、ゴツゴツした岩場に、ヤツがいる。


 闇の中でも、ランプのように光る黄色い目。

 森の空気に混じる、錆びた鉄のようなニオイ。

 わずかな月明かりが照らしだす、コウモリのような形のボロボロの翼。


 じわり。

 不快な汗が俺の全身から滲みだすのを感じた。

 間違いない。昼間に戦ったドラゴンだ。


 ドラゴンは、まだ俺に気付いていないらしい。深緑色の鱗におおわれた巨体が、ヤツの呼吸に合わせてゆっくりと上下している。


 俺はグラグラする足を踏ん張り、静かに長剣を構える。

 万全の状態でないのが悔やまれるが、出会ってしまった以上、これ以外の選択肢は思いつかなかった。

 今ならヤツの隙をつける。ここで、仕留めてやる。


 俺は荒い呼吸をなんとか整える。

 茂みの中から飛び出そうとした瞬間だった。


「剣士さん?! どうしてここに?」

 俺の背後で甲高い声が静寂を破った。

 ドラゴンの頭がピクリと持ちあがる。


「くっそ……!」

 俺は小さく毒づいた。もう奇襲はできない。

 作戦変更だ。


「逃げろ! バカ野郎!」 

 俺は振り向きざまにレイコの手を取り、走りだした。


 今は足の傷がどうこう言っている場合じゃない。下手をすれば俺もレイコも命は無い。

 死ぬ気で走る。それだけだ。


「ちょっと待って! 剣士さん!」

 俺に引きずられながらレイコが叫んだ。

「あの子が、私の探してた迷子なんだよ!」


「……はぁ?」

 あまりに予想外の言葉に、俺の足は止まってしまった。


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