2,闇に溶ける
俺は厳しい口調で問い詰める。
「レイコ。あなたは何者だ? 本当に薬売りか?」
長い沈黙が訪れた。
夕日照らされた小川が、サラサラと静かに流れている。
夜の気配の混じった風が、辺りの木々を揺らして低いうなり声を響かせた。
「……あぁ、そうだよ。私はただの薬売りさ。回復魔法なんて使えないからね」
深いため息の後、レイコが言う。
俺は正直、少し驚いていた。彼女のため息が、まるで老女のように重々しいものに聞こえたから。
「……気を悪くさせてすまない。疑り深くなっていたようだ」
小声で呟く俺の謝罪に、レイコは「大丈夫。怪しまれるのは慣れてるよ」と手を振った。
「それに、体が弱ると用心深くなるものだよ。でもね、薬の効果は本物さ。信じられないなら、お代は傷が治ってからでいいよ。私はこの森にしばらくいるからさ」
そう言いながら、レイコは俺の足に包帯を巻き終えて立ちあがった。
「さて。手当てしたとはいえ、毒をくらったんだ。剣士さんはゆっくり休んでなよ。野営の準備は私がするからさ」
☆☆☆
レイコが旅をしているのは、どうやら本当らしい。あれだけ疑っておいて、面目ないが。
火おこしの手際の良さ。
ありあわせの具材で作った薄いスープに「今日はごちそうだね」などど弾んだ声で言う様子。
これらを見れば、レイコが旅慣れているのは想像に難くない。
ついでに、彼女は野営地の魔物避け対策にも心得があるらしい。
「これは魔物が嫌がるニオイなんだ」
例の木箱の中から取り出した黒い粉末を周囲に撒きながら、レイコが言い訳がましく言う。
「まぁ、人間に好かれるニオイでもないんだけどね」
俺は鼻を摘まんで「だろうな」と唸った。
野営の準備を整えたレイコは、いそいそと火のそばに座り込む。
俺は、彼女にスープの入ったお椀を無造作に差し出した。
「……剣士さんの足を傷つけたの、ドラゴンでしょ。どこで会ったの? どんなやつだった?」
お椀によそったスープを「ふー、ふー」と冷ましながら、レイコが俺に尋ねた。
「……どうしてドラゴンだとわかった?」
慎重に聞きかえす俺に、レイコはスープをすすりながら答えた。
「私、ドラゴンの毒には馴染みがあるんだ」
「馴染みだと? ドラゴンにか?」
俺は眉間にしわをよせる。
「旅人はもちろん、大半の冒険者でも、ドラゴンに出くわしたら生きて帰れないぞ?」
とたんにレイコはスープにむせた。
「えーと、ほら。私は薬売りだからさ。毒に馴染みがあって当然だろう?」
「……ヤツに遭遇したのは、ここからもう少し上流の岩場だ」
俺はレイコをじろりとにらみながら言う。
「成体のドラゴンではなかったが、それでも俺の二倍くらいの背丈だった」
「本当に?」
レイコが素早く俺に向き直った。予想以上に関心がある話題らしい。
「剣士さん、戦ったの? そのドラゴンと?」
「あぁ」
「ドラゴンは? どうなった?」
「無傷ではないが、まだ生きているだろう。今はお互い休戦中といったところか。俺はヤツの翼を破ったが、毒爪をくらってしまった。お互い遠くまで移動はできないだろう」
「そっか……」
レイコはたき火を見つめながら、消え入りそうな声で呟いた。
「ところで、あなたはどうしてこの森に来た?」
スープのお椀を片手に俺は、レイコに向き直って尋ねた。
「さっき言ったが、この森には今、危険なドラゴンがいる。俺がヤツを討伐するまで、村人はおろか旅人も近寄らないはずだ」
「うーん……」
何か考え事でもしているのだろうか。レイコは言いにくそうに口を開いた。
「……私も急ぎの依頼があってね。どうしてもこの森に行かなきゃならなかったんだ」
「依頼?」
「私の命を助けてくれた方から頼まれたんだ……はぐれてしまった子供を探して欲しい、とね。近隣の村の噂では、その子はこの森に居るらしくてさ」
ガチャリ。俺の手から滑り落ちたお椀が、マントに熱いスープのシミを作る。
「なんだって? 俺はそんな話聞いてないぞ!」
俺は叫んだ。
「この森に子供が? 危険すぎる!」
「お、落ちつきなよ、剣士さん!」
レイコが早口で言う。
「子供と言っても、その子は強い! 並の冒険者にだって負けないよ」
「……冒険者に負けない? 子供が?」
意味が分からない。オウム返しに聞きかえすと、レイコが急いで頷いた。
「そう。剣士さんでも、勝てないんじゃないかな。……今は怪我してるし」
俺の顔を見て、マズイと思ったのだろう。レイコが最後の一言をつけ加えた。
「しかし、子供がいると知った以上、じっとしているわけにはいかない」
俺は長剣を手に立ち上がろうとして――ぐらりと傾いた。
右足が震えている。力が入らない。
俺は小さく毒づいた。
時間と共に足の痛みは確実に引いている。それでも、まだ歩けるわけではないらしい。
「ダメだよ! 剣士さんの傷は深いんだ。毒もあるし。無理に動くと悪化するよ」
レイコが俺の腕を掴んで言う。
「子供探しは私が行くよ。もとより私の受けた依頼だ。剣士さんはここにいて」
「は?」
俺は、レイコをまじまじと見つめた。
この不格好な子亀のような薬売りの旅人が?
手負いのドラゴンが潜む夜の森へ?
冗談でも笑えない。
「安心して、剣士さん。魔物避けの結界があるからここが襲われることはない。ゆっくり休めるよ」
すっと立ち上がったレイコは背筋を伸ばし、例の怪しい木箱を背負った。
まるで、近所の店までお使いに行く子供のような軽い口調だ。
「じゃあ、行ってきます。夜明けまでにはここに戻るよ。剣士さんの包帯を交換しないといけないからね」
黒いローブを翻し、レイコは夜の森に飲み込まれていく。その後ろ姿を見て、俺はぞっとした。まるで、闇に溶けていくみたいだ。
「おい!」
レイコに言うべきことはたくさんあった。
夜の森は危険だぞ! とか。
手負いのドラゴンが居るんだぞ! とか。
お前、丸腰だろ! とか。
でも、俺が言葉に詰まっている間に、レイコの姿は見えなくなってしまった。
結局、俺の口から出たのはごく短い言葉だった。
「……くっそ!」
長剣を杖代わりに立ちあがった俺は、レイコの後を追って夜の森に飛び込んだ。
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