造花の本音
空峯千代
造花の本音
べっ、てしてみて。
言われるがままに、あっかんべえをするような感覚で舌を出した。
そこに唇が降ってきて、突き出した舌は彼女の舌で絡めとられる。
売れないアイドルを卒業して、見事フリーターになった冬。
店先でゴミ袋を両手に持った俺を見て、百花さんは声を掛けてきた。
「生活費、大丈夫なの?」
「無名でも一応アイドルだったから、大丈夫」
「コンビニバイトに元アイドル関係ないじゃん」
百花さんは唇を尖らせてみせる。
分かりやすく顔に出る人だなあ、と唇を見つめながら入れてもらった紅茶を飲んだ。
「顔補正で給料上げてもらってるんです~」
「またテキトーなこと言う」
「まあね。でも、この顔好きでしょ?」
百花さんのパッチリとした二重を見つめると、「もちろん」と返ってくる。
似たような会話を前もした気がする、なんて頭の片隅で考えながら、どちらからともなく唇を重ねた。
リップのせいか、会う直前に甘いものを食べていたのか、唇から砂糖のような味がする。
顔を離すと、百花さんの瞳が切なそうに潤んでいた。
「まだギリギリ十代だから」
これ以上はいけない。
お互いに何も言わなくても、暗黙の了解になっている。
百花さんは名残惜しそうにこちらを見るけど、俺は視線に答えずスマホの画面を見た。
「もう時間だから、また遊びに来る」
それじゃあね、と玄関で手を振る百花さんの瞳はもう潤んではいなかった。
寒いと人は不安になる。
不安になると、人は誰かが恋しくなる。
人が恋しくなると、体温を求めてしまう。
人間である以上、生理的なことでしょうがない。
このしょうがなさを煮詰めて、今の関係が出来上がった。
アイドル辞めて、ちゃらんぽらんな自分。
自分の顔を好きでいてくれる百花さん。
日々生きているだけで摩耗していくなら、お互いに擦り切れた部分を重ね合わせればいい。
この日もそんなくだらない考えで身体が先走った。
「どうする? 先歌いたい?」
店先を掃除していたら、通りかかった百花さんが泣いていた。
どうしよ、と思っているうちに気付いたら彼女の手を取っていて、カラオケのパーティールームに二人で通されていた昼下がり。
明らかに二人だと広すぎる部屋で、俺はデンモクとマイクを机に用意する。
「.......
「見えない。先歌うね」
デンモクに曲名を入力して予約する。
すると、イントロが流れ始めた。
「俺がこの曲歌ったら、泣かなかった女の子いないから」
テキトーも、テキトー。
口からでまかせだろうが、かまわない。
要は、悲しみが生まれる間さえ埋めてしまえばそれでいい。
アイドル時代にボイトレでよく課題で歌わされたポップス。
きらきらしい歌詞と単調なメロディーは今の時代に正直合わない。
味気無ささえ感じるこの曲は、大多数には刺さらないと思う。
でも、目の前の女性には唯一の
カラオケを出て、百花さんのアパートにお邪魔する。
昨日も来たのに、今日も。
部屋に置いてあるものの位置はまったく変わっていない。
「ありがとね」
「.......何が? イケメンに生まれてくれて?」
「カラオケ」
百花さんの柔い手が、自分の肩に置かれる。
これから起こる一連の流れが嫌でもわかった。
彼女の顔が近づくにつれてストレートの髪から花の香りがする。
「あのさ」
「うん?」
何?、と。
尋ねてくる百花さんの瞳に自分の顔が映っているのだろう。
「好き」
沈黙が落ちた。
「ずっと前から、好き」
数秒の告白。
口にした言葉は思いの外軽くて、なんでもない言葉みたいに思えた。
そう思いさえすれば、彼女の瞳に映る顔が誰でも大丈夫な気がしてくる。
「噓」
「.......え」
「この顔に口説かれても、しんどいでしょ」
ブーッ ブーッ
着信音が鳴り、百花さんのスマホ画面が明るくなった。
ロック画面は見知った人の顔がアップになって映っている。
俺が「出た方がいいよ」と促すと、彼女は頷いて電話に出た。
百花さんはベランダで誰かと話している。
俺は部屋に置いてあったメイク用の鏡で、自分の顔を見た。
鏡に向かって笑って見せると、いつかの兄によく似ていた。
東京は住むところじゃない、と言われたことがある。
その通り、とは言わないが今の自分には住む理由がない。
アイドルでもコンビニ店員でもなくなったから、東京にいる理由はもうない。
電車の中は、そこそこ暖かくて快適だ。
花冷え対策に羽織っていたパーカーを脱ぐ。
車窓からは梅の花が見えていて、確かな春を感じさせた。
トークアプリを開くと何件かメッセージが来ている。
俺は画面をスクロールして、兄とやり取りした履歴を開いた。
ユーザー名の欄に「メンバーがいません」と書いてあるけど、数か月前に送られてきたメッセージがそこには残っている。
『美咲は優しいから、アイドルになっても噓つけなさそうだよな』
俺は、もっと正直でいたかったよ。
メッセージを送ろうとして、「相手がいません」の表示に指を止める。
その時、窓から入り込んだ風で、あの時に香った花の名前を思い出した。
造花の本音 空峯千代 @niconico_chiyo1125
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