見知らぬ土地

金谷さとる

目覚めれば見知らぬ土地

 いつもと違う目覚めだった。

 鼻につくのは覚えのないにおい。こなれていないリネン。暗い中、体を起こせばぎしりと慣れない振動がかえる。

「どこだここ」

 まだ暗い室内でぐぐっと体を伸ばす。見渡す部屋に見覚えは薄い。

 横に使われていない寝台が有り、その上には見覚えのある旅行鞄がひろげられている。母のものだ。

 一気に下がるテンションを抱えつつ、旅先の朝であると思い出す。

「知らないわけだ」

 寝台から抜け出し、ざらついた感触に靴を探す。雑に放り出した靴を足に引っかけ億劫になりながら重いカーテンをめくってみた。

 深い群青から赤が滲みだす光景にずいぶんと遠い場所にいると感じた。赤はまだ遠いのかと思えば、群青は見る間に遠ざかり白んでいく。

 急に来た母親に連れられ気がつけば見知らぬ土地のおそらく宿。途中までは移動する車窓から外も見れていたが、繰り返される乗り継ぎに見知らぬ男達が運転するトラックの幌の中とかになればまわりは見えないし揺れで具合が悪くもなるしで、記憶が曖昧になったのだろうと思えた。

「あらぁ、起きたのね。コレ、食べていいわ。アタシはすこし眠るからあんまり騒ぐんじゃないわよ」

 大きくあくびをしながら酒とタバコの匂いが染みついた服を投げすてていく母親を呆れつつ「ちょっと待て。クソババァ」未使用の寝台の上で開放された旅行鞄を自分が使っていた方の寝台に移しておく。

「ぁあ。邪魔だと蹴落とすもんねぇ」

 なにが楽しいのかケラケラ笑いながらポイっと投げ捨てられたブラが手元に落ちてくる。最後の慎みは残して寝台に潜り込む母親からはすぐに寝息がこぼれ出した。

 旅行鞄をざっと見た限り、金銭はなく隠しに用心に入れている金額はたいした金額ではない。移動に使った時間交通機関を思えば単独で帰るなら今かとも思わなくもないがまぁ、知らない場所だ。

 カーテンで明かりを遮った暗い部屋で食うのもウザいのでコレと言われた皿を持って部屋を出た。パサついたパンに放置時間が長かったのを感じさせる黄みの強い卵ソースとチキンのサンドイッチだった。

「肉み足りねぇわ」

 部屋を出ればそこは外で振り返れば同じようなドアが並んでいる。自分が出てきたドアの上に書かれた数字を記憶してすこしむこうにあるベンチにむかった。

「秒で消えた。くっそ足りねぇ」

 指についたパン屑まで放り込めば、むしろ麻痺ってた空腹感で苛まれる。

「よく考えたら昨日の昼ぶりの飯かよ……」

 ふっと弟の顔が過ったが、コレは母親が悪い。今や遠い弟を思って一応謝罪の念を飛ばしておく。不可抗力だからな!

「お。坊ちゃん朝早えな」

 トラックにいた男の一人だ。母親は相手にしてなかったっけ? まぁ、くっちゃべってくれていたおかげで酷い訛りも聞き取れるようになったし。

「おはよう、ございます」

「おう、おはようさん! もうじき出発だ。夕方には着くだろうさ」

 ところどころ聞き取れないなりに夕方には着く事がわかった。

 クソババァ、殺す気か?

 トラックの運転手だという男に厚切りベーコンを挟んだサンドイッチとミルクのパックを恵んでもらい飢えをしのいだ。

「ママのミルクの方がよかったかぁ?」

「クソババァのミルクよりは獣のミルクが栄養ありそう」

 まぁ、元気はさほどもたなかった。

 前日よりも道が悪いのかトラックの荷台はガタガタと振動が激しく、時には明らかに跳ねた。

 運転手のにーちゃんに恵んでもらった水筒の水が命綱だった。

 クソババァは地獄に堕ちろ。

 おかげで二日連続はじめての寝台での目覚めである。

「おはようございます」

 涼やかで平坦な声がすぐそばからした。

 気配は薄い。

 驚いて体を起こせばぐっと吐き気と眩暈がきた。

 介助されて水分と糖分を胃に入れ、水場の使用許可を得て湯を使わせてもらえた。いや、かなりスッキリした。

 自分は世話役のシルヴァだと彼は名乗った。

「着替えはこちらをお使いください。あちらでお食事の支度をしております」

 用意された真新しい下着と上下。手触りからして質は良い物で。少々ばかり面倒な予感に辟易する。

 ラフに着崩して部屋に戻ればシルヴァに思いっきり直された。

「着方がわからないなら呼んでください」

 テーブルに準備された朝食はミルク多めの穀物粥と果汁。気持ち物足りない食事に思える。

「すくねぇ」

 ついとばかりにこぼせば、「昼食はもう少ししっかりしたものになるかと」と返された。

 途中泊まった安宿とは違う部屋から見える窓の外は整えられた庭と遠い山並み。

「あー、俺はアズ。よろしくなシルヴァ」

「アズさま、ですね」

「さまはいらないよ。似たよーな歳だろ? その辺の下町で屯ってるよーなガキだよ。で、ここ何処?」

「ご主人様の邸宅ですね」

 平坦に返された言葉に苛立つ。

「いやさ、地名とかだよ? あの山の名前とか」

「あの山は北の山ですね。……町は町ですし、邸宅は邸宅ですし、ご主人様は町の方々には当主様と呼ばれております」

 ま、じ、で、す、かっ!

「つ、詰んでる」

 移動は車。しかもトラックの荷台で周囲なんか見ていない。事実、後で母親に「判断力削り落とすのにひきずりまわしたもの」と楽しそうに笑われた。

「アズさまが夫人のご子息である限り、客人として扱われますので生活に不自由はないかと。あまりご主人様のご不興を買うようなことさえなされなければ」

「あー、つまり、クソババァが愛人業務中は優雅に暮らせるってことね。ところでさまづけやめろよ。……ほら、命令」

 だらけつつ絡めばシルヴァはさすがにすこし困惑したようだった。

 使えるかな?

「俺、おともだちがほしいなぁ。ご主人サマのご不興とかも教えて貰えないとわっかんねーし?」

 にやにやとシルヴァの様子を眺める。

「脅しは貴方を不利に持っていくだけですよ」

「クソババァはクソババァだけど、なんか作為があって俺を連れてきたんだろさ。うまくいくのもぶち壊すのも一興だよな。俺、マジで状況わかってないからさぁ、今ならいいように騙して操れるかもよ?」

「現状に不足不満のない自分には利点がありません」

 うん。

 シルヴァ、いい奴だな。

「じゃあ、シルヴァの今が壊れないように俺の協力者になればいいだろ。俺、ここの常識知らねーんだからさ。なんなら外の偏った情報を教えてやっからさ」

「とりあえず、邸宅内で『クソババァ』発言は控えられるべきだと思いますよ。……アズ」

「了解! うちの母は浅慮で困るなぁ。まずはともだちからはじめようぜ。シルヴァ」



「シルヴァは好みの異性はどんなタイプだー?」

「は? そんなことは考えたことはないけれど?」

「俺はさー、俺に都合がよくて胸がでかくてちょっとゆるい感じがいいかなー」

 思いっきり、眉間に皺寄せてひっくく「最低では?」と言われたあたり、潔癖よりらしい。

「おう。よく言われる」

 さて、知らない場所から家に帰るにはまず情報がいる。

 苦笑いしながら軽く嗜めようとするシルヴァには好感を持てる。

「反省しようとか」

「思わない! でも最低だと思われてもかまわない。その価値観があわねぇで拒絶反応しか出来ねぇならさっさとはなれる判断が大事なのさ」

 さぁ、俺の目的優先だけど、おともだちをはじめよう。

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

見知らぬ土地 金谷さとる @Tomcat

★で称える

この小説が面白かったら★をつけてください。おすすめレビューも書けます。

カクヨムを、もっと楽しもう

この小説のおすすめレビューを見る

この小説のタグ