この空を飛べたら。

蕪木麦

この空を飛べたら。

 空が晴れていた。

 カーテンの隙間から差し込む日光は、煌びやかなビロードのように広がり、部屋の空気にしみ込んだ。窓際の花瓶に生けられた撫子の花びらも、光を受けてひらひらと揺れている。


「今日は晴れましたねえ」

 病室の回診に来た四十代前半くらいの看護師さんが、のんびりした口調で言った。


 私はベッドから起き上がると、軽く伸びをした。右腕に刺された点滴の管が、ベッドの柵に当たって軽い音を立てた。


「……そうですね」

「体調はどう? どこか痛いとか、寒いとかある?」

「……腰が、ちょっと」

 

 四月中旬の、雨の夜のことだった。私は二階の屋根から転落して、腰と背中を強打し、病院に運ばれた。なぜ屋根の上にいたのかは、これから順を追って話すのでもうしばらく待っていて欲しい。


 私は緊急外来の先生の指示で、市立病院に一週間入院することになった。レントゲン検査で腰の骨を骨折していることが分かったため、ベッドの上で絶対安静。鎮痛剤と精神安定剤を飲みながら、のんびり経過観察をすることになった。


「骨を折ったけん、そりゃ痛いよね。お薬追加してほしかったら言ってね」

「大丈夫です」

「そう? ……お、蕪木さん、お絵描きするの?」

 

 看護師さんは、備え付けのテーブルに視線を移した。テーブルの上には、A4サイズのスケッチブックがあった。入院生活は暇だろうと、家族が家から持ってきてくれたのだ。


「ええ、はい。時々。上手くはないですけど」

 そっと目を伏せる。


「えー、上手いじゃない。ここの目の光とか、服の影とか。シャーペン一本でここまで表現できるのは凄いと思うよ」

「で、でも、周りの子はもっとうまいんです。私より、はるかに」

 

 皆に比べたら自分の絵は、ポッと毛が生えたようなものだ。

 

 本格的に絵を描き始めたのは中学二年生の時。当時不登校だった私は、自宅で勉強する傍ら、趣味である小説を書いていた。絵は、キャラクターの挿絵や、外見設定用に描き始めた。

 

 絵を描くのは好きだ。けれどそれは、「学校に行けない」という事実から逃れるための逃避手段でしかなかった。「イラストレーターになる!」とか、「アニメ業界で働きたい!」と呟いている子に混じって絵を投稿するのは、なんだか申し訳なかった。


「んー? でも、私は好きだよ、その絵。なんか文庫本の登場人物に出てきそうで」

 

 看護師さんはフフッと笑い、点滴の確認をするために隣のベッドへと向かった。ベッド同士を隔てているカーテンを手で横にずらし、点滴台の位置と薬の流れ具合を点検する。

 

 ——なんか文庫本の登場人物に出てきそうで。


「……はは」


 喉の奥から、乾いた笑いが漏れた。視界がゆがむ。手を目元の方へやると、指先に生暖かいものが触れた。……ああ、まただ。また溢れてしまった。


「ごめんなさい」

 

 私は作業をする看護師さんの背中に、声という名の小石を投げつけた。石は当たると痛いのだ。謝罪は時に、誰かひどく困らせてしまう。


「…………死のうとして、ごめんなさい」


 静寂な部屋に、自分の声が落ちて行った。

 

      ◇◆◇

   

 幼少期の頃から、名前のない傷を抱えて生きている。

 嫉妬、羨望、人間関係、人生、価値観、趣味、夢……。

 

 色々な悩みが重なって、横へ横へと伸びていく。深くて冷たい所に沈んでいく。

 

 何もないのに胸が痛んで、涙が止まらなくなる日がある。何もかも壊してしまいたくなる日がある。実際に物を壊した日もある。物だけではなく自分を傷つけた日もある。

 

「『歌、優しい』検索」

「『病んだ時、どうすればいい』検索」

「『死にたい』検索」

 

 グーグルの検索バーに、文字を書き込んでいく。何処かにあるかもしれない、希望を求めて。柔らかくて温かい何かにすがりたくて、私はよくネットの海を漂っていた。


「『学校に行けない 対処法』検索」

「『小説 上手な書き方』検索」


 ——検索、検索、検索、検索、検索。

 

 何度探しても、求めていた答えに辿り着かなかった。出てくるのは決まって、【私が居る】とか【一人じゃないよ】とか【いじめ相談センター】とか。


 (違う、違うの、そういうのじゃないの)と首を振ろうとしたが、自分でも自分が何を求めているのか分からない。なんでこんなに辛いのか、分からない。

 

 考えているうちにどんどんドツボにハマり、私はそこから抜け出せなくなった。

 そしてついに、「飛び降り自殺」という最高で最悪の手段を選んでしまった。


 今だから言える。私は単純に、誰かに見つけて欲しかったんだと思う。何色にも染まれない透明な自分の心を、誰かに彩って欲しかったんだと思う。


   ◇◆◇




 馬鹿だ。私は馬鹿だ。本当に、本当に馬鹿だ。

 飛ぶならせめて、良く晴れた朝にしろよ。

 飛ぶならせめて、遺言でも書けよ。

 飛ぶならせめて、お洒落な服を着て鼻歌でも歌って飛べよ。

  


 パジャマ姿で飛ぶな。

 裸足で飛ぶな。

 日記に「またね」って書くな。

 そんなに悲しそうな顔をするな。

 友達からのLINEに「大丈夫だよ」と返信するな。

 小説を書いた紙、絵を描いた紙をゴミ箱に捨てるな。


 お前なんか大っ嫌いだ。

 お前は一生、「つらい苦しい悲しい楽しい」ってワーワー言いながら生きとけ。

 もう二度と死にたいなんて言うなよ。バーーーーーーカッ!


  ◇◆◇



「はぁ……今日も書けない……つら……」


 自殺未遂をした日から二年が経ち、私は十八歳になった。

 通信高校在学中。依然として毎日学校には行けないし、進路も決まっていない。勉強も、1時間が限界だ。それ以降はしんどくて、苦しくなる。

 児童小説家になる夢は、コンテストに落選し手の震え等の症状が出始めたあたりから、徐々に遠ざかっていった。

 

 上手く小説を書くことが出来ない。上手い下手はこの際どうでもいい。とにかく長時間文章が書けない。書こうとすると途端に怖くなり、たまに手が震える。想像力が働かず、プロットを作る気力もわかない。


 

「皆すごいなあ。毎日更新とか、十万字とか。まっすぐでキラキラしてる」


 勉強の休憩時間にスマホを開き、ツイッターを眺める。タイムラインに流れてくるフォロワーさんの投稿。創作論や、作家さんの新作の書影が次々とアップされる。

 

 私は十一月から、小説と呼べる小説を書いていない。何か書こうとパソコンやノートを開くが、気持ち悪くなる。本屋も同様の理由で苦手になってしまった。


 自分と周りの違いを感じ、消えてしまいたい衝動に駆られることも度々ある。ごめんね、生きようとしたのに死にたいなんて考えちゃって、と自分を責める毎日だ。

 

 あんなに語っていた創作の世界観も、キャラ愛も、今は語れない。脳内でキャラが喋ることも無くなった。聞こえるのは自分の「マジつら」という心の叫びだけ。

 

 今日の創作ノートも白紙だ。

 

「まあいっか、書けなくても死にゃしないし。自分が楽しめればいいや」

 

 もう空は飛ばない。遠い場所へ行きたいが、痛い思いをするのは嫌だ。

 この毎日を終わらせたい。この毎日から逃げ出したい。何もない場所で思いっきり叫びたい。消えたい。

  

 だけど、やっぱり私は生きたい。


 生きる理由は些細なこと。推しの配信が見たい。メイク道具をそろえたい。猫を撫でたい。テスト勉強が終わったら、友達とカラオケに行きたい。先輩とメールしたい。家族と海に行きたい。ダラダラしていたい。弟の制服姿が見たい。


 まだ夢を諦めたくない。自分を好きでいたい。


 いつか、白紙のノートを埋められるかもしれない。いつか、物凄いアイディアが浮かんでくるかもしれない。いつか、私を見つけてくれる人が現れるかもしれない。いつか、素晴らしい人に巡り合えるかもしれない。


 だから私は生きる。つらい、苦しいって言いながら、頑張って生きる。楽しい、嬉しいって言いながら、笑って生きる。とにかく生きる。


 キラキラで、ドキドキした世界に出会えることを心から願っているから。

 本当の本当に飛べる日を目指して、生きるのだ。



 再スタートするタイミングは、人それぞれだ。自分がやりたいと思った時に歩けば、飛びたいと思った時に飛べばそれでいい。



 とにかく、笑え。話はそこからだ。



   ◆◇◆

          

     


 こんにちは、こんばんは。蕪木麦です。

 カクヨムの片隅で、細々と文字を書いている人間です。

 空を飛んだことがあります。何も掴めませんでした。

 今度はこの地上で、皆様と一緒に空を見上げたいです。

 

 拙い文章になりましたが、この作品を自己紹介の代わりとさせて頂きます。

 今日も生きています。見つけてください。



  

  

  

  

   

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この空を飛べたら。 蕪木麦 @mikoituki

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