走れ、サメ🦈

緋色 刹那

🏃‍♂️🦈

 何事も、最初が肝心。

 スタートダッシュに失敗していいことなんて、何もない。

 ……あの日までは、そう思っていた。




「サメが脱走したらしいぞ」

「サメ?」


 毎年恒例、新春マラソン大会。これが高校陸上部、最後の大会となる。

 スタート直前のピリついた空気の中、補欠の深沢ふかざわがとうとつに言った。


「サメって海にいる、あの?」

「そう。しかも、新種。昨日の夜、浜辺に打ち上げられてたんだってさ。トラックで水族館へ移送中に、水槽を破壊して逃げたらしい」

「逃げるって、どうやって? サメは走れないはずだろ? それとも、近くに水辺でもあったのか?」

「さぁ? それ以上のことは、ネットニュースには書いていなかったな」


 深沢は肩をすくめた。

 会場で、サメについてアナウンスはされていない。大会は予定どおり行われるのだろう。

 そもそも「サメが脱走した」というニュース自体、怪しい。なんだよ、走れないのに脱って。深沢が嘘をついているか、ニュース自体がフェイクに違いない。


「どうせ、すぐ捕まるさ。海では敵わなくても、陸では俺たち人間のほうが速くて強いんだから」




『まもなく、レースが始まります。出場する選手のみなさんは、スタート地点に集合してください』


 会場のアナウンスが、出走準備を知らせる。

 俺は深沢にコートを預け、スタート位置に立った。他の選手も集まり、横一列に並ぶ。

 右に、去年優勝した三年の吉桐よしきり。左に、優勝最有力とウワサされる一年の保志ほし

 対して、俺は表彰台にすら乗れない、ハンパな成績。この大会で良い成績を残さなければ、スポーツ推薦は遠のいてしまう。

 余計なことを考えている場合じゃない。なのに、頭の中は脱走したサメのことでいっぱいだった。


(新種のサメってどんなやつなんだ?)

(水槽を破壊できるってことは、相当大きいんじゃないのか?)

(そもそも、サメって日本にいるのか?)

(水族館へ移送中ってことは、いずれ展示する予定だったんだよな?)

(ちょっと見てみたいな……サメ)

(ったく、深沢のやつ。気になって、レースに集中できねぇじゃねーか)


 忘れようとすればするほど、疑問はどんどんあふれてくる。

 一度気になったら、答えが出るまで考えてしまう……俺の悪いクセだ。深沢は良かれと思って話したんだろうが、完全に逆効果だった。


「位置について、よーい……」

 パァンッ!


「あっ!」


 気づいたときには、ピストルが鳴っていた。

 他の選手が、一斉にスタートする。俺は大幅に出遅れ、スタート地点に一人取り残されていた。

 応援していたチームメンバーから、落胆の声が上がった。


「何やってんだよ、お前!」

「ぼーっとしてんじゃねー!」


 急かされ、慌てて走り出す。すると今度は、靴ひもがほどけ、豪快に転んだ。

 ……もう終わりだ。普通に走っても勝てない相手に、スタートで失敗して勝てるわけがない。


 あきらめかけた、その時。

 視界の右から左へ、。先行していた選手は皆、サメに飲まれ、姿を消した。


「……はっ?!」


 俺はその光景を目の当たりにし、固まった。サメは俺には見向きもせず、コース左手に広がる森へと去っていった。

 会場はレースどころではなくなり、混乱した。


「おい、なんだ今の!」

「サメ……だったよな?」

「誰か、警察に連絡して! それと猟友会も!」

「サメって、魚だろ? 漁協に連絡したほうが良くないか?」

「それより、大会はどうすんだよ? 選手、一人になっちまったぞ?」




 その後、大会は中止。数年経った未だに、サメも、サメに飲み込まれた選手たちも見つかっていない。

 俺はあの日のことがトラウマになり、陸上をやめた。今は海から最も遠い、山奥にあるキャンパスでクマの研究に没頭している。


 あの日、俺はスタートダッシュに失敗したおかげで、命拾いした。

 それまでは「スタートダッシュに失敗していいことなんて、何もない」と思っていたけど、一概にそうとは言い切れないのかもしれない。


(終わり)




 ところで最近、山で謎の猛獣の目撃情報が出ているらしい。

 目撃した人によれば、巨大なサメに似ていたとか。森の中を、ものすごいスピードでスライディングしていたとか。

 ……サメ、ねぇ。


(終わり?)

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