雪中椿

磐長怜(いわなが れい)

 

 目が覚めると、和室に敷かれた布団に横になっていた。

障子の向こうはうすら明るく、白い気配が満ちていた。

足指の先にある火鉢の暖かさが、かえって一層外の寒さを知らせた。

襟元が空くと思ったら、寝間着は浴衣のようなものであった。

「ここは…」

体を起こすと、肺に冷気がすべり込み、ひどくむせた。

視界が涙でゆがみ、私は肺を患っていることを思い出す。起き上がるには慎重にならねばならない。まして今は冬だというのに…。…いや、私は。…私は…?

ここは…いや、ここは、私の部屋だ。障子の向こうには中庭に続く縁側がある。そういう造りだったではないか。そう思えば、確かにそうであった、という気がした。

時折ある、角度によって見慣れた景色が急によそよそしくなる…そんなたぐいのことであろうと了解した。


この冷え具合は、降り積もった雪のためであろう。

濡れ縁ではないから、冷気は少し和らぐはずだが…誰かガラス戸を開けたのだろうか。

肺の不快感がせりあがる。冷気が張り付いて、いつむせてもおかしくない。

と、枕元から少し離して水が置いてあることに気づいた。

真っ白な布巾が白い陶器の湯呑みにかけられていた。

手にすると、少しぬるいようだった。

口に含み、喉を湿らせる。

そうしてから、今度は火鉢のそばでゆっくりと立ち上がり、合わせを直し、羽織をひっかけた。

障子の外はやはり、薄い雪化粧の庭だった。

ほの白さに見とれるより早く、冷気が流れてきた。

その方を見ると、体一つ分、ガラス戸が開いており、

縁に誰か腰掛けている――着物姿の、女。


「外は冷えるだろう」

自然と口から出た言葉。…私はこんな声だったろうか。

違和感を捉える前に女は、庭を向いたまま答える。

「冬ですもの」

何を見ている、と言う前に女は真っすぐ庭を指差した。

細く白く、頼りない指の先に一輪の椿が咲き残っている。

肉厚な葉に負けない、花弁の力強い紅が目にしみた。

「…冷えますよ」

「少しなら構うまい」

薄くつながった、女と私の会話は白く消えた。

もう女と話したことが嘘のように、何もなかった。

椿から目をそらせないまま、女のそばのガラス戸を広く開けて、並んで座った。 

女の気配は、私などいないかのように動かなかった。真っすぐに、雪でやや重たげな椿の花を見ている。

あの一輪が落ちるまで…

――落ちるのだろうか?あんなにしっかりと枝について見えるのに。

 土の上に、ぽつ、ぽつ、と先だった落ち椿。首から落ちる、と一時は嫌われた花。

しかし、本来は魔よけの花であると………誰が私に、教えてくれたのだったか…。

「春が来ます」

唇が動いたかもわからぬ空気に、女の声が白く消えた。

――と。

「あ」

最後の一輪が落ちた。何もない静けさの中で、あっけない終わりだった。

不思議と女の方に顔を向けることが出来ない。…この女は、一体、誰だ。

そう思うことすら、はばかられる気がした。…そして、私は。一体、誰だ。

 隣で清々しい気配が立ち上がった。着物の柄も見ずに、私は落ち椿を見ていた。

女は私を見ずに呟いた。

「春がきます。私はお先に失礼いたします。

 仮初のあなた、もう、治りましてよ。

 …本当に悪いのは、肺ではありませんわね」

 その時初めて、これは夢だと合点が行った。

夢から現実へ意識が戻っていくのを感じながら、私は自分の疾患が、春へと快方に向かうことを信じてもよい気がしていた。

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雪中椿 磐長怜(いわなが れい) @syouhenya

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