【スタート】シンデレラは王子様を射止めたい

ながる

Bang!

 ひっつめ髪にビン底眼鏡。前髪は厚くて長め。もちろん化粧気も無し。

 発声はコピー機の音にかき消されるくらいに弱々しく、自動ドアにも認知されないこと度々。

 仕事は可もなく不可もなく。ひっそりと生きているOL。

 それが昼間のわたしだ。


 ほどほどに残業して、人波に紛れて帰宅する。

 一息つけば、急かすようにスマートフォンが震えた。

 わたしはそれを焦らすように放置してシャワーへと向かう。

 眼鏡を外し、髪を解き、全てを洗い流す。昼間のわたしの痕跡を、ひとかけらも残さぬように。


 全てを流し去った後は、新たに私を構築していく。

 ほんのり香るボディクリーム。繊細な絹のレースがあしらわれた下着。黒の上下は伸縮性に富んでいて、手足をしっかりと覆う。胸元だけはレースが少しだけ見えるようにファスナーを調節する。

 ヘアアイロンで巻いた髪を高い位置で縛って華やかに、かつ、邪魔にならないように。アイラインとマスカラは少し過剰なくらいがいい。口紅は……今日はブラッディ・ローズで。

 コンタクトの調子もいい。今夜もばっちりだ。


 着信を確認して、商売道具を背負って指定の場所へ。

 踊りだしたくなるほど、この街の夜は綺羅綺羅しい。今夜のお相手は、どんなひとでしょう?

 待つのは嫌いじゃないわ。

 相手の姿が見えた時に、より嬉しくなるでしょう?


 しっかりとロックオン。

 絆されちゃダメよ。

 さあ、彼の心臓ハートを射止めて!


 ♡ ♡ ♡


「今回の『王子様ターゲット』はイケメンだったらしいじゃないか」


 耳の遠いお爺さんがやっているガラガラの喫茶店で、背中合わせに上司が囁く。

 上司といっても、よく顔も知らない。声だけはもう結構な付き合いだけど。

 彼なら、地味なOLの時でも、わたしに染みついた硝煙の匂いを嗅ぎ分けられるのかもしれない。


「さぁ? 興味ないわ」

「……相変わらずだな。『赤ずきん』が引退するそうだ」

「あら。まだ若いのに」

「結婚するそうだよ」

「おめでたいわね。幸せになれるといいけど」

「どうかな。お相手も『地下組』だ」


 スマートフォンを弄りながら、ふふ、と笑う。


「『赤ずきん』が『王子様』になりそう……ってこと?」

「あるいは『狼』が」

「『狼』退治は『狩人』に任せたいんですけど?」

「生憎、人材不足でね。『シンデレラ』。君も足を洗うなら今のうちかもしれないぞ」

「お優しいのね。『魔法使い』。でも大丈夫。並みの『王子様』ではときめきが足りなくなってきてたの。大きな舞踏会への招待状は歓迎するところよ」


 小さく息を吐く音が聞こえた。

 この店は静かすぎるのよね。

 立ち上がり、伝票を手にして、しばしこちらを見つめる気配がする。

 けれど、結局、彼はそれ以上何も言わずに店を出て行った。

 裏の世界を生きるのに、あんなにお優しくて大丈夫かしら?

 まあ、わたしは招待状を待つだけの『シンデレラ』ですもの。

 今宵もお掃除しながら、大きな舞台の幕が上がるのを楽しみに待っているわ。



 おわり

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