一般文芸とライトノベルはどれくらいちがうのか

 さて、前回の記事でライトノベルの定義について懇切丁寧に説明したので、「一般文芸とライトノベルはどうちがうのか」については理解していただけたことだろう。

 しかし、「一般文芸とライトノベルはちがうのか」についてはまた別問題だ。ここでいうライトノベルというのは、作者も出版社も読者もはっきりとライトノベルだと認識している、みなさんもひとつひとつ指差して確認できるあの作品群のことだ。

 2023年、僕はけっこう色んな人からこの質問をされた。

 文言だけを取り出せば「一般文芸とライトノベルはどうちがうのか」だったけれど、どうちがうのかは質問した人々だって詳しく言語化できていないだけで肌感覚でほとんど理解している。彼らがほんとうに知りたいのは「どれくらいちがうのか」だった。だって、目の前に杉井光という、似たようなテイストで両方書く人間がいるわけだから。


 ちょっと前まで、僕はこの手の質問に対して「あんまり変わらないですね。少なくとも僕はほとんど差を意識していません」と答えていたのだけれど、2023年になってにわかに訊かれることが多くなり、思考停止しないできちんと向き合って考えてみた結果、「やはり明確にちがう」という結論に達した。

 ただし「あんまり変わらない」もまた真実だ。さて、どういうことなのか。


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 たとえ話はときとして要らない誤解や議論を生むことがあるので危ういのだが、ここはたとえ話にするのが絶対に理解が早いのでついてきていただきたい。


 一般文芸は「料理」、ライトノベルは「スイーツ」なのだ。


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 両者が「あんまり変わらない」点はたくさんある。

 まず、使う機材がだいたい同じだ。どちらも厨房で作るし、冷蔵庫や水場、ガスコンロやオーブン、電子レンジ、どちらも使う。

 細かい道具も共通しているものばかりだ。鍋、フライパン、包丁とまな板、調理鋏、ボウル、ざる、計量カップに計量スプーン、泡立て器、フードプロセッサ。

 よく使われる主要な材料も共通のものが多い。小麦粉、卵、牛乳、バター、クリーム、砂糖に塩。

 そしてなによりも、どちらも「食べる」ものだ。


 けれど人々は「スイーツか、そうではないか」を明確に区別できる。

 甘いかどうかで?

 いや、甘い料理はいっぱいある。卵焼きの甘いやつなんて主成分はスイーツと完全に一緒だ。果物や蜂蜜を使う料理もたくさんある。甘味の程度によって区別しているのだろうか? それじゃ卵焼きの砂糖の量をどんどん増やしていったらあるラインからスイーツだと認識するようになるだろうか? そんなことはあるまい。「甘すぎて不味い卵焼き」だと思われるだけだ。


 両者の根本的なちがいは「設計思想」だ。

 もう少し噛み砕いて言うと、「どんな欲求によって生み出されたか」。

 料理は「腹減った」と「美味しいものが食いたい」だが、スイーツはまずなによりも「」だ。


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 前回の記事をご丁寧にも最後まで読んでくださった方は、このへんでもうだいたい理解できたことだろう。

 ライトノベルはなによりも「ときめき」を重要視する。全文をときめきのために費やしている作品も少なくない。読者がそれを求めて買うからだ。もちろん他の要素も求めて買うお客だっている。単に腹が減ったとか栄養のことを気にしながらスイーツを買う人がいるのと同様に。でもごくごく少数派。ほとんどはときめきたいから買う。苦味、酸味、鹹味、旨味、コク、はスイーツにも含まれているけれど、料理のそれとは目的がちがう。あくまでも甘味へのときめきをより引き立てるためだ。

 逆に、普段の食事からそんなにときめきを主張されても、注文した客は戸惑うだけだろう。ステーキにかけるクランベリーソースに苺もブルーベリーもラズベリーも入れて卵白とクリームでムースにされてミントの葉まで添えられたってげんなりするだけだろう。


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 自分で料理や製菓をする人なら、ふたつがまったくちがう技術を要求されることをよく知っているはずだ。料理は得意だけれどお菓子はまったく心得がない、という人は多い(僕もそうだ)。逆にプロの菓子職人なのに料理はてんでだめ、という人も少なくない(実例を二人知っている)。

 両方できる人は数少ない。一般文芸とライトノベルもやはり同じだ。

 一般文芸を読んでいて、たまにライトノベル的な造形のキャラやそのやりとりが出てきて、作品に全然なじんでいない場合があるでしょう? 僕はああいうのを読んだとき、カレー屋で頼んでもいない特に美味しくもないデザートを出された気分になる。カレーは美味しいんだからべつに要らないのに……となる。一方でライトノベル的な楽しみ方もしっかりできるキャラを描ける人もいて、こちらはコースの最後に見事なデザートが出てきてシェフが作っていることを知ってびっくり、という気分だ。前者は実例を挙げるのが憚られるので読者に心当たりがあることを祈るしかない。後者の代表例は米澤穂信でしょう。

 ライトノベル作家がまったくなにもやり方を変えずに料理の世界である一般文芸にやってきたとしたら「甘すぎて気持ち悪い」となるだろうし、一般文芸からライトノベルに来て「野菜の自然な甘味を~」とか言ってるやつがいたら「いいから砂糖を使えよ」となる。かように、同じ厨房で同じ機材と道具を用いるふたつの職の間には、高い壁が立ちはだかっているのだ。よく「越境」などという言葉が使われ、同じ小説であるにもかかわらずライトノベルと一般文芸はまったくちがう世界であるかのように認識されているが、読者のその直観は完璧に正しいのである。


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 ライトノベルから一般文芸に移ってきた人は、もう元の世界に戻らない。

 これは出版業界では完全に定説化している。複数の編集者の口から聞いたことがあるし、実際に見渡してみても当てはまる例ばかりだ。理由はここまで書いてきた通り、ちがう仕事だから。菓子職人から始めたけど料理の方が得意だな……と感じた人が転職しただけであって、決して一般文芸の方が飯を奢ってくれるからとかメディアでちやほやしてくれるからとかではない。ないったらない。絶対にない。

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