豚肉の塊を神として崇拝する世界。
中原恵一
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「君はさ、豚肉の塊を崇拝するっていうことについてどう思う?」
隠れ家の牛丼屋で、彼は君に言う。
「そうだよね、やっぱり間違ってる。豚肉だよ、おかしくない?」
腰から垂れ下がったチェーンを持ち上げて指で弄りながら、彼はやっぱり君に同じことを言う。
いかにもチャラそうな風体の彼。
茶髪の間から覗く丸い黒目が、君のどくどくと脈打つ心臓を射抜く。
「いつからか分からないけど、とにかく人類は豚肉を崇拝するようになった。
勘違いしちゃいけないのは、生きてる豚じゃなくて、豚肉だってこと。死んで、切り分けられた状態なんだ。それを、この世界の人々は神として崇拝している」
豚肉、豚肉。
どうしてそんなものを神としてあがめるのか?
「でも、この世界の人間はそれを当たり前のこととして受け止めてる。そうだね?」
確認するように再び訊く彼。
君は何一つ事情を知っているわけじゃない。
でも彼は、君に語り掛けずにはいられないんだ。
「僕はこの世界は間違ってると思う。だから、君に是非協力してほしいんだ」
彼はそう言って、手に握った堅そうな石ころを差し出した。
きっと君は、とりあえず意味が分からないけどイエスというしかないだろう。
「やっぱり君は頷いてくれたね。僕の名前は、仮にコオロギとしよう。コオロギさんでも、コオロギ君でも、何と呼んでくれても構わない。僕たちはこれから、長い長い旅に出ないといけないんだ。この間違った世界を正すために。
だいいち、こうしてトンカツ丼が自由に食べられないなんて、それこそ世界にとって最大の不利益だと思わないかい?」
コオロギはそう言って、たばこの煙をくゆらせながら続ける。
「僕はこれから、豚の角煮を破壊にしに行く。場所はもちろん、あそこ。かつての世界の中心『ムウ』だ。ほら、ムウ大陸って君も聞いたことあるだろ?」
君たちは二人、薄暗い牛丼屋――今では規制がかかって非合法にしか営業できなくなった――のカウンターで、秘密の相談に耽っていた。
そして、豚丼を片手に君にとびっきりの笑顔で誓言した。
「世界の自由に、乾杯!」
君はようやく気づく――。
僕たちは豚肉の塊を神聖なものとして崇拝する世界に住んでいる。
そして僕は、たった一杯のトンカツ丼の自由の為に、世界を敵にする。
「今から数日前、啓示が下った」
君たち二人はアヤシイ雰囲気に包まれた地下街を抜けて、地上に再び上がってきた。
コオロギは道を歩きながら、淡々と話をする。
「僕の仲間が昨日、自宅近くの防災無線から『ムウにある豚肉を叩き潰せ』という放送を聞いた。これは僕たちの戦いののろしだ」
先日、こんなニュースが日本中を駆け巡った。
何者かが電波ジャックを行い、ラジオやケーブルテレビを乗っ取って奇妙な内容の放送を垂れ流した、と。
しかし――
「見ろよ、外を」
コオロギは両腕を広げて、この世界の全てを見せた。
君の眼にはありとあらゆるものが、もしかして日本と変わらないように見えるかもしれない。
発展した街並み、天高くそびえたつ摩天楼と巨大なビル群、交差点を何千と行き交う人々。
栄華を極めるこの町こそが、この国のまごうことなき繁栄の証だ。
でも君はこの町の空気を吸って、何か妙なにおいを感じるに違いない。
甘い、それでいてジューシーな不思議な香りだ。
ほどなく君は町のど真ん中に、果たして異様なものがどでんと鎮座しているのを見つけるだろう。
「豚肉がそんなに珍しいかい?」
まあ無理もない。
巨大なビルの上に、まるで宝物か何かのように大切に金色の台座に乗せられた豚肉の塊が見えるのだから。
飴色に輝くそれは、まるで脂肪の乗った表皮が今にも蕩けだしそうなほどのリアリティを誇る。
「僕たちは自分たちの守るべきものの為に戦わなくちゃいけない」
コオロギという男は迷いなく空を指さす。
さきに見える何かを、
この世界にあってはならない豚肉を、
僕たちは抹消しなくちゃいけないんだ。
世界がバグった。
豚肉の塊を神として崇拝する世界。 中原恵一 @nakaharakch2
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