冒険のはじまり

藍染 迅@「🍚🥢飯屋」コミカライズ進行中

俺は覚醒した。

 勤め先の会社がつぶれ、仕事を失った俺。俺はその足でハロワに向かった。

 そこで雇用保険の求職登録手続きをしていた俺は、天啓を得た。


 ハロワとは「冒険者ギルド」のことだった!


 ならば、求職者とは「冒険者」ではないか。求人票掲示板は「クエスト・ボード」だ。


 その真実に気づいた時、世界が息づき、バラ色に染まった。俺はハロワの扉を潜り、冒険者としての第一歩を世界に刻んだ――。


 ◆◆◆


「最初の依頼元はここか」


 くすんだ色合いのビルディングに「やくも害虫ハンター」と書かれた看板が取りつけられていた。


(冒険者だと思ったが、「ハンター」と呼ばれることもあるのだな)


 受付などという高級なものはない。俺は入り口横のインターホンを押して、来意を告げた。


「勝手に入って、2階に上がって」


 投げやりな声が、安っぽいスピーカーから響いた。

 新人冒険者の扱いなど、どこでもこんなもんだ。いちいち腹を立てていたら、仕事にならない。俺は、文句も言わず階段を上った。


「依頼はこれね。アンタ経験はあるの?」

「(冒険者は)初めてだ」

「うん? 若いのに堂々としてるね。まあ、いいけど。接客業じゃないからね」

「(冒険者は)丁寧な口を利いていると、なめられると聞いた」

「あー、そういう職場もあるかな。うちはフランクな社風だから、気にしないけどね」


 冒険者の新人イジリは、伝統文化だ。お行儀の良い奴はいじめられると決まっている。


 係員の吉田女史は、親切にも依頼の内容を細かく説明してくれた。


「内容は『蚊』の駆除。どうやら外来種らしいんで、マラリヤみたいな病気を運んでいるかもしれない。防虫用の防護服は貸出するわよ。体には虫よけをスプレーしてね」

「防具と魔獣除けを貸してくれるのか?」

「うん? 虫よけは『マジキラー』よ。あと、念のためにマラリヤ予防薬がこれ」

「飲めばいいのか? 金はあまりないんだが……」


 良心的な依頼者だ。何から何まで用意してくれるらしい。

 俺としては助かる。武器も防具も用意がないからな。


「お金は必要ないよ。必要経費としてこっちで処理するから」

「それは助かる。依頼達成の報告はどうすれば良い?」

「駆除先のお宅で作業終了票にサインをもらってきて。やった作業の項目をチェックして、ここに名前を書いてもらうの」

「了解した。着替えはどこでできる?」


 俺は防護服と虫よけスプレー、殺虫スプレーなどの作業道具を受け取り、吉田さんに尋ねた。


「カウンターの横から奥の部屋に入って。そこが更衣室になってるから。鍵の刺さったロッカーを使って」

「わかった」


 支度を整えた俺は、「やくも害虫ハンター」を出た。


 ◆◆◆


「誰かいるか?」

「何だって? アンタどちらさん?」


 出て来たのは60過ぎの老人だった。暑さのせいか、肌着姿で防御力が低そうだ。


「『やくも』から来たハンターだ」

「ああん? ああ、害虫ハンターさんね。早速来てくれたのかい」

「モンスターはどこだ?」


 時間が惜しい。俺はすぐにもモンスター討伐に取り掛かろうとした。


「モンスター? 外来種だからかい? 危険なんだってねえ。見かけたのは裏の空き地だよ」

「敵の特徴は?」

「体が真っ赤でさ。大きさが普通の蚊に比べて、倍もあるのさ」


 見るからに危なそうだったので、佐藤という老人は戦うことを諦めて逃げ出したのだという。


「下手に手を出さなかったのは賢明な判断だ。防具もなしにモンスターと戦うなど、命取りだ」

「病気でも持ってたら、たまらないからね。駆除はアンタら専門家に任せるよ」

「任せてもらおう。案内してくれ」


 俺は場所を借りて目出し帽頭部プロテクター手袋ガントレットを装着し、駆除スプレー武器を背負った。

 全身に虫よけバフ・ポーションをかけるのも忘れない。


 及び腰の佐藤氏にモンスター目撃場所に案内してもらい、そこから1人で探索を始めた。


モンスターは水辺など湿った環境を好むと聞いた)


 俺は、茂みや木の陰、水たまりができそうなくぼみなどを重点的に、殺虫剤毒霧ポーションを振りまいて歩いた。


 とある木の陰に入ったところで、俺の背筋が凍りついた。


「ィイイイイイイン……」


 俺の聴覚を攻撃する超音波だ! 並の人間には聞き取れなかったろう。極限まで研ぎ澄ました俺の聴覚は、奴の羽音音波攻撃を敏感に感じ取っていた。


 すべての人間の安眠を妨げる恐怖の高周波音!


「しゃあっ!」


 俺は振り向きざまに、音の元に向かって殺虫剤毒霧ポーションを噴射した。ノズルの先端で空中に「十字」を描く。


 吸血鬼に特効ある「アイコン」だ。案の定、赤いバンパイアは羽ばたくことを止めて、地面に落下した。


(クリティカル・ヒット!)


 俺はプラスチック製の透明ケースをポケットから取り出し、ピンセットで吸血鬼の死骸を採取した。

 回収可能であれば持参するようにと、吉田女史に命じられていたのだ。


(今回は死骸全体が「討伐証明部位」というわけだな)


 敵が小型なので特定の部位を切り取ることができない。俺は死骸を納めた透明ケースを、クーラーアイテムボックスに収納した。

 このボックスに収納すると、腐敗の進行を遅らせることができる。マジックバッグとも呼ばれるアイテムだ。


(今回の依頼元は装備に恵まれているな)


 初めてのクエストとしては、恵まれた環境と巡り合えた。俺は幸運の女神に感謝をささげた。


(こいつらが繁殖して氾濫スタンピードを起こす可能性があるからな)


 俺は卵の存在まで想定し、念入りに毒霧ポーションを散布した。冒険者たる者、仕事に手抜きは禁物だ。討ち漏らしたモンスターが逆襲してくるケースもある。


 すべての作業を終えた俺は、クエスト達成証明書に依頼人の署名をもらった。佐藤氏は吸血鬼が絶滅したと聞き、安堵の表情を隠さなかった。


 金のためにする仕事とはいえ、人から感謝されるのは良いものだ。


「ふう。これで明日からも暮らしていける。さて、会社ギルドに達成報告をして、酒場にでも行こうか」


 俺は元の姿に戻る武装を解くとギルドへの帰路についた。

 途中、道端に生えた薬草ヨモギ毒消し草ドクダミを摘んで歩く。これもマジックバッグに入れて保存する。


 これらは自分で使うこともできるし、依頼があればギルドに提出することができる。余裕があれば採集しておいて損はない。


 冒険者は時間を無駄にしないものだ。


 ◆◆◆


 ギルドにつくと、俺は依頼の達成を吉田女史ギルマスに報告した。


「ご苦労様。初めてにしては早かったわ。今後の仕事にも期待できるわね」

「期待は裏切らないつもりだ」

「そうね。うちは雇用契約じゃなくて業務委託契約だから、実績と信用が第一よ」

「結構だ。経験を積んで、なるべく早くランクアップする気でいる」

「その意気よ。報酬は振込と現金のどっちがいい? 現金だね。ほら、確かめておくれ」

「世話になった。またいい依頼があったら世話してくれ」


 おっと、俺は買い取りを頼むことを思い出した。


「すまない。途中で採取したものがあるんだが、見てもらえないか?」

「ええ? 何かしら」

「これだ」


 俺はマジックバッグの中身をカウンターに並べた。


「ちょっと、ちょっと! 匂いがすごいわね」

「薬草と毒消し草だ」

「ヨモギとドクダミね。いまどきこういうのを取る人も珍しいわ」

「無駄だったか?」

「えーと、うちに米粉があるからヨモギは草餅にできるわね。アタシが引き取ろうか」


 ギルドとしての買取は無理だが、ギルマスが個人的に引き取ってくれるらしい。俺としてはどちらでもありがたい。


「できれば、そうしてくれ」

「もらってばっかりじゃ悪いわね。田舎から送って来た漬物があるけど、アンタ持ってく?」


 物々交換か。達成報酬で金は入った。対価は金でなくても構わない。

 漬物は保存食だ。いざという時の食料になる。塩分補給にも良い。


「結構だ。そうしてくれ」

「じゃあパックを持って来るわ。そのバッグに入れて持って帰って。ああ、田中さん、あんたドクダミ茶で健康法かなんかやってなかったっけ?」

「え? 違うわよ。痩身美容よ。肌にもいいのよ」

「本当かねぇ。この人がドクダミを取って来たのよ。アンタ、持ってく?」


 田中と呼ばれた女はでっぷりと肥え太った中年女性だ。あの体で痩身美容もないものだと思うが、ドクダミを飲まなければもっと太るのかもしれない。

 それは命取りだろう。


「あ、そう。ちょうど切れたところだから、いいわね。頂いていくわ」


 どうも対価はもらえない様子だ。まあ、元手はただなのでそれでも良い。ギルド構成員に1つ恩を売ったと考えれば、腹は立たない。


「もらってばっかじゃ悪いね。あら、随分若いお兄ちゃんじゃない。漬物をあげるんだって? そんなもんじゃ元気が出ないだろう? アレを持たせてやろうか。源さんにもらった牛肉のみそ漬けがあるんだよ」

「アンタ、そんな物なんで会社に置いてるのさ?」

「昨日会社でもらったんだけど、うちに持って帰るのを忘れたのさ。タッパーに入れて冷蔵庫に入ってるから」

「それならアタシが取って来るよ」


 田中さんにドクダミを渡している間に、佐藤女史が戻って来た。


「はい、お兄ちゃん。こっちがお漬物でこっちが牛肉ね。1パック上げちまっていいのかい、田中さん?」

「いいの、いいの。もう1つあるから。うちじゃ1つで十分だぁ」


 味噌漬け肉も保存が利く。冒険者には貴重なたんぱく源だ。

 焼けばすぐ食えるし、煮ればみそ汁になる。


「どちらも助かる。ありがたく頂いていく」


 自然の恵みと人の恵み。冒険者はどちらにも感謝をささげるべきだ。

 俺たちは分け与えられた恵みを糧にして生きていく職業なのだから。


 ◆◆◆


 俺はクエストの達成を報告するために、冒険者ギルドに立ち寄った。受付の女性は初仕事の達成を我がことのように喜んでくれた。


 俺のように能動的に仕事を取りに行く冒険者には、次の依頼が入りやすいのだといわれた。


「ああ、この機会に『履歴書』を作っておいて」


 なるほど、理にかなっている。誰だって依頼達成履歴の優秀な冒険者に、仕事を頼みたいだろう。


 履歴といっても、俺のものは簡単だ。スキルも恩寵も存在しない。

 依頼達成も今日の1件だけだ。


 俺は空欄ばかりの履歴書を書き上げると、「職業」という欄に戻って来た。

 軽く頬を緩めると、ペンを握る指に力を籠め、誇り高くこう書きこんだ――。


「冒険者」


 俺は書き上げた履歴書を、カウンター越しにぐいっと差し出した。


(完)

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