異世界ライフスタート! の前に許可証申請はお済ですか?

ただのネコ

仕事始め

「よし、やるぞ!」

「田中は新年早々元気やなぁ。うん、ええこっちゃ」

 窓口の椅子に座って気合を入れた俺に、指導役の先輩から訛りの強いのんびりとした声がかかる。


 ここはN県K市市役所、1月4日の朝9時5分。

 今年は色々悲劇が相次いだ新年だった。でも、幸いにしてこの辺りはどの悲劇とも関連がない。

 正月休みの間、安全な所にいる新人地方公務員の俺に何ができるかを考えていたが、まずは自分の仕事がちゃんとこなせるようになる事が一番だという結論に落ち着いた。

 つまり、仕事始めの今日、俺はちょっとやる気である。

 

「42番でお待ちのお客様、4番窓口にお越しください」

 自動案内の声が、俺の仕事の始まりを告げる。

 ん? 一発目の呼び出しにしては、なんか番号が半端だったような。

 じっくり考えている暇もなく、高校生ぐらいの少女が窓口にやってくる。

 寝癖を直しきれていないぼさっとした髪、化粧っ気のない素朴な顔に野暮ったい黒ぶちの眼鏡。

 量販店のダウンジャケットに、カエルのキャラがついた手提げかばん。

 田舎町の女子高生としても、かなり飾り気のないタイプだ。

 カウンターの向こうの椅子にぽすんと腰掛けると、消え入るような声でこうささやいた。

「すみません。転生許可証をお願いしたいんですけど」

「は?」

 小さな声だけど、よく聞こえなかったわけじゃない。

 ここは現実の日本のお役所であって、アニメやマンガではないのだ。

 転生許可証の申請と言われても、困る。


 怪訝な顔をする俺に、少女はスマホの画面を見せてくる。

「えっと、このスタートって許可証が市役所で取れるって」

 画面の中では、トラックに乗ったうちの市のマスコットキャラクターがSTARTと書かれたロゴを指している。

 イタズラかと思ったが、サイトのデザインは市役所公式ページと同じ。

 URLのはじめの方も、公式ページと一致している。

 なんだこれ?

「STARTのご申請ですね」

 戸惑っている俺を見かねたのだろう。いつの間にか背後に立っていた先輩がフォローに入ってくれた。

「ほら、トップ画面に戻って」

 言われた通りパソコンの画面を見て、市役所のシステムを一旦最小化。

 先輩の細い銀色をした指が、デスクトップの右上を指す。

 そこには、STARTと書かれたトラックのアイコンがあった。


 ダブルクリックして開くのを待つ間に、先輩は女子高生に向かって説明を始める。

「STARTはSystem for Transmigration in Another Realm by Truck、トラックによる異世界移住システムの略です」

「移住、なんですか? 転生じゃなくて?」

 彼女の疑問を聞きながら、先輩の手が俺の手に重なる。

 滑らかな肌から感じるぬくもりが心地よい、がそういう感傷とは無関係にマウスを動かされ、「申請書印刷」のボタンをクリックさせられる。

「転生ではありません。ほら、田中くん。説明して」

「説明してって言われても。俺、これ初めてなんですけど」

「このプリントに書いてあることを読み上げるだけよ」

 印刷した申請書をカウンターに置き、先輩の白い翼は俺を力づけるように肩に添えられる。

 そうだ、初めての仕事だからと尻込みしてばかりはいられない。

 申請に来た彼女の方が、よほど不安なはず。

 その不安を払しょくするためにも、ちょっと大きめの声で俺は説明を読み上げ始める。


「STARTはSystem for Transmigration in Another Realm by Truck、トラックによる異世界移住システムの略です。移住許可の有効期限は移住先世界での1年と1日となります。有効期限の延長を希望する場合は、期限終了前に最寄りの政庁にてお手続きをお願いします」

「あ、あの……許可証発行とか、延長申請の手続きってどれぐらいかかりますか?」

「書類を出していただければ、即日ですよ。10分と掛かりません」

 先輩の答えを聞いて、彼女は「了解しました」のチェックボックスに印を入れる。

 各項目ごとにチェックがある、かなり厳重なタイプだ。


「有効期限終了後は、速やかに移住元世界へ帰還してください。とれる帰還方法がない場合は、最寄りの政庁にてご相談ください。有効期限終了後に意図的な未帰還が確認された場合、強制退去手続きが実行される可能性があります」

 チェック。

 強制退去とはなかなか穏やかじゃないな。


「移住前、移住中は常に許可証を携帯してください。許可証を無くした場合は速やかに最寄りの政庁にて再発行の手続きを行ってください。許可証は他者に譲渡できません。他者の許可証を使用することも出来ません」

 チェック。


「利用者が次の行為を行ったことが確認された場合、事前の連絡なく移住許可を無効にすることがあります。

 1.自身、あるいは他者の命を粗末にする行為

 2.本システム以外のトラックの前への飛び出し行為

 3.移住元世界、移住先世界の現地ルールへの違反行為

 4.移住元世界、移住先世界の信仰存在に対する危害・侮辱行為……」

 長々と続く禁止行為をすべて読み上げる前に、彼女はチェックボックスに印をつける。

 まあ最初の方の項目が大事で、あとは大したことは書いてないようなので良いだろう。

 先輩も、特に咎めもせずに2枚目の申請用紙を重ねた。


「こちらの太線で囲った部分にご記入をお願いします」

 住所・氏名はちゃんと書いてあるという事だけ見て、あえて読まない。

 個人情報だからあまり意識せず、システムから注意が出た時だけ確認しろと窓口係になった最初の日に教わった。

 次の項目に移った瞬間、彼女の手が止まる。

 移住先世界、の項目だ。

「えと、その」

「移住先世界はお決まりではない?」

「えっと、はい。後で教えるからって言われてて」

「では、未定とお書きください。移住予定日時は?」

「今日の9時15分って言われてて」

 時計は9時11分。後4分しかない。


 唇を震わせる彼女に、俺はなるべく頼もしく聞こえるように返す。

「大丈夫、間に合います」

 移住予定日時の後は、同意のチェックとサインだけ。

 それが書かれたのを確認し、俺は素早く申請書を取り上げて項目の抜けが無いかをチェックした。

「OKです」

 先輩は手だけでなく両の翼の先まで使って手早くダブルチェックを済ませ、申請書をスキャナに突っ込んだ。

 システムがOKのサインを出し、カードの作成が始まる。

 作成と言っても、既存のカードに名前と許可日時、有効期限を印刷するだけだから、すぐだ。


「これで手続きは完了です。こちらのカードを転移のタイミングまで肌身離さずお持ちください」

 先輩が出したカードは俺がいったん受け取り、市役所の封筒に入れて彼女に手渡す。

「ああ、よかった。間に合った。ありがとうございます。本当にありがとうございます」

「いえ、これが我々の仕事ですので。ところで、お時間の方が近いようですので、なるべく離れていただけると」

「あ、そうですよね! すみません、私ったら気が回らず。向こうでは気をつけなきゃ」

 立ち上がりながら、カエルの手提げにガサゴソと書類を押し込む彼女。

 だが、許可証を入れた封筒だけは改めて取り出し、しっかりと胸に抱きしめて頭を下げた。

「これで、念願の異世界生活がスタートできます! ありがとうございました!」

 なんだか妙な感じではあるが、ここまで感謝されると悪い気はしない。

 パタパタと走り去る彼女を見送って、俺は先輩に向き直った。

「サポートありがとうございます。うちの市、こんなジョークみたいな許可証も用意してるんですね」

 だが、そこには誰もいない。

 あれ、そもそもあんな先輩職員いたっけ?

 窓口係は俺以外、おじさんおばさんばっかりだぞ。


 そう思ったところで、表の方から急ブレーキの音。

「なんやなんや! 田中、ちょう見てきてや」

「はい!」

 指導役の先輩の言葉を待つまでもなく、俺は窓口から飛び出していた。

 そうだ、今のが俺の指導役の先輩。訛りの強い中年男性で、銀の指も白い翼も持っていない。

 じゃあ、俺はSTART申請の間、誰と話していたんだ?


 市役所の外に出ると、すぐ前に軽トラが止まっており、降りてきたお爺さんが辺りをきょろきょろ見回している。

「急に市役所から女の子が飛び出してきたんや。てっきり引いちまったと思ったんやけど……」

「ブレーキ、間に合ったんですか?」

 俺も周りを見るが、倒れている人の姿などはない。朝との違いは、軽トラのブレーキ痕だけだ。

「いや、なんかこうぶつかる寸前に女の子が笑ろたと思たら、ぱあぁっと光って消えてもうてな。

 いや、酔ってへんで! 確かに正月にはしこたま飲んだけど、今日は飲んでへんで!」

 なぜか必死に言い訳するお爺さんの肩を叩いて落ち着かせる。

「はいはい。その子、許可証はちゃんと持ってましたかね?」

「許可証? いやそんな細かい所まで見てへんけど……」

 あの子の持っていたカエルのキャラがついた手提げかばんが落ちていたので、拾い上げる。

「このカバン、あなたのじゃないですよね」

「ちゃうちゃう。こんなオッサンがそんな可愛いのん使うわけあらへんやろ」

 カバンの中に市役所の封筒は無かった。ということは、ちゃんと許可証は持って行ったのだろう。


 結局、軽トラのお爺さんの見間違いという事で、そのままお帰りいただいた。

 落とし物のカバンは規定通り警察署に連絡して一週間保管。明日には警察署の方に引き取られる。

 その後、デスクトップにはSTARTのアイコンは無く、彼女にスマホで見せてもらったホームページも見つからない。

 俺に指示を飛ばすのは、相変わらず訛りの強い中年男性の先輩だ。


 なんだかよく分からないが、俺の新年最初の仕事で彼女の新生活スタートを手助けできたなら、それはそれで良い事なのではないかと思う。

 皆さんも異世界ライフを満喫する予定がおありなら、事前の許可証申請をお忘れなく。

 最寄りの市役所で受付できると思う、多分きっと。

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