ぼくの胸の星をくだいて

明鏡止水

第1話

「聖女様! どうか僕の胸の星の輝きを砕いてください!」

顔に傷のある少年、アトが。

教会の癒しの魔女たる、「聖女」に言い放つ。


「聖女」は、人々の怪我や病気を治す力を持っていた。他にも諸々と魔術が使えた。


なら、元から聖女でなく魔女でいいんじゃないか。聖女なのか魔女なのかどちらなんだ、と思うところだが。


「私は魔女だ。人の思い出がないと、切り傷一つ治せない。お前のような若い男では、大した思い入れのある品もないだろうよ」


魔女は大人の女だったが、今まで一度も誰も愛した事が無かった。まだ若いのに。とある美貌の魔法使いに胸の星を差し出した乙女達の嘆きを嫌というほど浴びて、髪は老婆のように白くなっていた。


アトは言う。


「魔法使いに好きな女の子の胸の星を、輝きを食べられてしまった! こんな世界で生きるのは拷問だ! 苦しくてたまらない!」


美貌の魔法使いに食べられた胸の星の輝きは二度と元には戻らず、食らったものの中でそれはそれは美しい宝石になるまで巡り巡る。美しい万華鏡の世界を魅せて、また、見る者達を引き摺り込む。


魔女のような聖女も特別な力を持っていた。この女の名前はステゴといった。


「爪をペンチで剥がされたことがあるのか? 水をしこたま飲まされて腹を叩かれて吐き出したことは?! 知りもしないで拷問だなんて言葉を使うな! 私は、拷問が大嫌いなんだ!! 聞くだけで寒気がする!!」


教会は尋ね人が帰るまで、門扉を閉ざすことができない。ここではそういう決まりだ。


「お願いです、聖女様。どうか魔女のように。今だけは、彼女からされたイタズラな微笑みと、僕の劣情をからかった彼女の蠱惑的な振る舞いと、不意打ちの口付けを、この胸の輝きごと砕いて欲しいのです」

顔に傷跡のあるアトは苦しげに語る。

「恋なんてするんじゃなかった!男として目覚めなければよかった。生まれてきて、最初に好きになった人が、どこぞの外道の胸の輝きになるのはあんまりです!」


この世の全ての人の胸には宝石がある。

それは珍しいものもあれば組織は同じでも違う色合いを持つもの、時にお守りのように祭り上げられる者もいた。


傷跡のあるアトが言う。

「魔法使いにこの顔の傷をつけられました。もう何もかもどうでもいい。死んでもいい。どうか、終わらせてください。彼女は帰ってこない。顔には傷を負った。二度と恋をすることもない。働いて生きて死ぬだけだ。そんなのが100年続く! どうか、貴女のその不思議な力で、僕の胸の輝きを砕いてください」


ステゴは傷ついた。

本当は呆れてしまえばよかった。


「そんなに言うなら少年よ、先に私のこの胸の輝きを取ってみよ。砕きはするな。ただ奪取するだけでいい。そうすれば、お前の心、砕いてやろう」


アトはステゴの元で魔術の修行をした。

人の魂たる胸の輝きを奪い去る術。学術的にも技術的にも途方もないと思っていたが。

相手を心底信頼すれば、あるいは憎んでいれば、その石は掴めると文献にはあった。


アトはステゴの心の輝き、胸に燦然と輝くそれを取ろうとして、手は宙を切る。


かわりに記憶が、流れ込む。

美貌の魔術師と、美しい髪をしたステゴが森の中で仲睦まじく過ごしていた。そばには妖精が飛び交い、やがてそれらは魔術師を誘惑する。


ねえ、もっと甘くてきらきらで、うんと切なくて、とろけるようなひみつがあるの。


魔術師はステゴを捨てて、村や町のあらゆる人々の胸の輝きを吸収していった。


「私の名付け親はあの美貌の魔術師。ステゴの意味は捨て子。どんなにあの人に群がる輝きを曇らせようとも私自身が汚れていく。私は魔女。でも、私は、輝きを砕き、この空へ星を返す聖女。だけど、もう。結合してしまったあの人を、私は、もう……」


アトは狼狽する。時というのは不思議なもので、アトは昔あんなに恋した女性のことを忘れていた。


「ステゴ、貴女の心はもうここにはない。しかし、輝きだけがそこにある。貴女はもう生きていないのではないですか」


ステゴは白い髪をくしゃり、くしゃりと鷲掴んでから、

「そうなのか、でも、もしも天へと還るなら。道連れはやはりあの人がいい……」


魔女は言う。

「アト。その胸の輝き、今でも砕きたいか?」

アトは迷ってから

「僕では魔術師には敵わない。今まで飲み込まれた人たちも、貴女の恋心も救えない。でも、もういいのではないですか。新しい名前をつけるから、どうか、貴女は星になるべきだ。手遅れになる前に……」


「手遅れ……、手遅れ……、私は、恋心を抱いていた?」


女は逡巡する。胸の光は呼吸に合わせて弱々しく光る。


「嫌な仕事をさせるな」


ステゴが笑いながら呟く。


「貴女の全てを受け継げるなら本望です」


「どうして、心を砕きたかったんじゃないのか?」


「貴女といるうちに気づいたんです。人の心を壊す楽しさ。人の心に触れる喜び。人の心を奪い取る快感。全てが良いこととは限りません。ですが、師匠ステゴよ」


あなたはうつくしい。


その言葉で魔女であり、聖女の体はたくさんの星屑に散らばり空へと還る。


「あの人を、どうかひとりにしてあげて……」


魔術師がかつてなんでもない少女に何度でも呟いてくれたあの言葉。それを最愛の弟子に唱えてもらい。類い稀なる人は。力を少年から青年となった者に託し、輝いていった。


「心の輝きには二度と触れられずとも、その残り香に触れられるのならば、この気持ちにも嘘はない」


真摯に向き合ってくれた救い主に、アトは祈りを捧げてからこれからを考えた。


美貌の魔術師は、人々から輝きを集めすぎて、歪な岩石へと成り果てていた。


アトは誓う。


この世全ての不幸を砕きたい。でも、同時にほどきたい。


「僕たちは、踊らされたんだ」


自身の胸の輝きに目をやる。

師匠を思えば妖しげに渦巻くように光り、魔術師を思えば、冷たい石のように怜悧な鋭い光が放たれる。


ああ。


心が見えることは、人を狂わすことなのか。


アトは自分の道を決めた。受け継いだものを全て注いで旅に出て、魔術師を解放し、やがて生きるのだ。


師匠とは違う歩みをえて、未来という胸の光の赴くままの世界を。





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