蒐集されたスタート

ナナシマイ

伯爵家にて

 長い廊下の長い棚。ずらりと並んだ結晶玉に、世界中のあらゆるスタートが閉じ込められている。

 朝日も、かけっこの合図も、新生活も。毛糸の端や、機械のボタンだって。

 みんなみんな、美しく飾られていた。

「ここだな、スタートを集めてるっていう伯爵の家は」

「そうみたいだね……わぁ、これが、始まりの音。厳かで、希望に満ちていて、とっても綺麗!」

 こっそり忍び込むは少年少女。それらしい黒ずくめの装いで、しかし緊張感は携帯しないタイプであるらしい。

「おいカンナ、目的を忘れるなよ」

「わかってるよカイト。わたしたちは世界から失われたスタートを取り戻しにきた。そして辿り着いた。スタートを蒐集する伯爵さまの家に!」

 しっ、声が大きい――カイトがとめる間もなく盛り上がるカンナ。芝居がかった言葉がきっかけにされたのか、玄関ホールにスポットライトが当たる。

「いかにも! 人呼んでスタート伯爵とは、まさしく私のことである!」

 軽い反響音をともなって現れたのは、貴族然とした中年の男。外跳ねの髭がチャーミングにくるんと揺れ、続いたウインクの愛嬌とともに侵入者を歓迎する。

「しかして君たちはなにをしにきたのだね?」

「ぜったい最初から聞いてただろ」

「さあて……始まり・・・の演出は重要であるからには、是非に君たちの口からはっきりと、聞きたいものだ」

「そっか。このお屋敷の中でなら、始められる・・・・・んだ。そっか、そっか……!」

 スタートというスタートがこの屋敷に集められたことで、世界はなにもかもを始められなくなってしまった。

 世界中の人々が繰り返しと終わりばかりの続く毎日に怯え、また始めることに飢えている。カンナだって、勇気と反復を振り絞ってここまできたが、本当はもう、始めたくてたまらないのだ。

「……ああ、もう!」

 相棒があまり役に立たないことに気づいてしまったカイトは、なかばやけになりながら伯爵へびしりと指を向けた。

「いいかよく聞け! 俺たちは、スタートを取り戻しに来た!」


「ふむ」

 まずは拒絶が定石だろうと踏んでいたカイトであったが、意外にもすんなり話がつきそうな雰囲気に、少しばかり身構える。

 いっぽうでカンナは、始まりが今始まりそうな予感に期待を隠せないでいた。

 そんな少年少女の姿を、スタート伯爵は満足げな笑みを浮かべながら眺めた。それから勿体ぶるように、弧を描いていた唇を開く。

「では、私は代わりになにを蒐集すればよいだろうか。集めたくて集めたくて、たまらないのに、集めるものがないのは、困るものだよ」

 たしかに、やりたいことができないのは困る。困るし悲しい、とカンナは思った。それなら――

「スタートじゃなくって、スカートを集めたらいいと思うの」

「ほう」

「やめとけって! カンナおまえ、スカート好きだろ。見ろよこいつの蒐集癖。世界中のスカートを集められたら、一生履けなくなるかもしれないんだぞ」

 長い廊下の長い棚は、たしかに果てなく続いているように見えた。

 世界中のスタートがここにあるというのなら、それもそのはずで、今度はスカートで埋めるとなれば、きっと、世界中のスカートが集められることになるのだろう。

「でも……なにもかもが始まらないことのほうが、ずっとイヤ」

「だからってなんでスカートなんだよ。ウイルスとか化けモンとか、もっとあるだろ」

「容赦のない坊やだねぇ」

「それくらい迷惑だって話! ほらカンナ、他にはないのか?」

「えっ……スタート、スタート……スタートの代わり……」

 目を伏せて考えごとをする癖のあるカンナは、どうしても自分のスカートに視線を向けてしまう。そうだ、スカートを履いているのだ。たしかに、スカートを代わりにするのではいけない。

「……もしかして似た音を探してるのか?」

「だ、だって。いきなり違うものを集めるように言われたら、伯爵さまも困っちゃうかもしれないから」

「こちらは優しいお嬢さんのようだねぇ」

「まったく、世話が焼けるな」

 カイトは大きく息を吐き、それから「言っとくがこれは盗むもんじゃないからな?」と前置きをした。

「スタートは返せ。そして、これからのおまえは、スマート伯爵だ」


「……あ、あれ」

 カンナはぽつりと呟いた。

「カイトって、こんなに格好よかったっけ」

 さあ、なにかが始まる。

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