嘘つきと新年

黒月水羽

嘘がバレないコツは本音を混ぜること

「ハッピーニューイヤー!」


 年越し番組の司会の声をかき消して新田が叫ぶ。それに合わせて談話室に集まっていた患者は口々に「あけましておめでとう」「今年もよろしく」と挨拶し合い、室内は一気に騒がしくなった。


 俺は大騒ぎする患者たちに混ざる気になれず、皆の興味から離れた年明け番組をぼんやり眺めていた。

 今年はどんな年にしたいですかという司会者の問いによく知らない芸能人が答える。旅行に行きたいという答えに乾いた笑いが漏れた。ここにいる以上、俺には絶対できないことだ。


 ここは蝶乃宮病院。通称、クピドの虫籠。十代の少年少女の背中に蝶の翅が生えるという奇病を専門に治療する病院である。

 眼の前で大騒ぎする患者たちの背にはひとり残らず蝶の翅が生えている。青、赤、黄色。色とりどりの大きさも形も違う蝶の翅は世間では珍しく、ここでは当たり前。

 俺は去年の秋頃入院し、退院できないまま病院で年を越すことになった。


 自分の背中で揺れる蝶の翅を見てなんとも言えない気持ちになる。ジュースの入ったコップをビールのように掲げて騒ぐ、すっかり顔なじみになった患者たちの輪に混ざる気にはなれなかった。

 その騒ぎ方がどことなくわざとらしく感じるのは俺の考えがひねくれているからだろうか。胸に浮かんだ寂しさを騒ぐことで無理やりなかったことにしているように見えるのは俺の妄想なのか。


 ぼーっとしていると騒ぎの中心にいた新田が抜け出してきて俺の隣に腰掛けた。無遠慮に肩に腕をまわして顔を覗き込んでくる。距離の近さに顔をしかめてもまるで気にした様子がない。


「翔ちゃんも乾杯しようよ! ハッピーニューイヤー!」

「お前、酒飲んでるんじゃないよな?」


 ハイテンション過ぎる姿にコップの中身を疑ってしまう。年末年始に酒を飲んで大騒ぎする親戚のおっさんと同じだ。

 未成年が多い虫籠に酒が置かれているわけがないのだが、そうなると新田の行動はシラフということになる。それはそれでうざったい。


「なに、新年早々辛気臭い顔してんの?」

「お前は新年早々そのテンションで疲れないのか?」

「何言ってんの。今騒がなくていつ騒ぐのさ。年明けだよ? めでたいでしょ」


 そういって笑う新田の表情はいつも通りのもので、俺には新田が何を考えているのかわからなかった。何しろこの新田という男、嘘を付くのがうまいのだ。息を吸うように嘘を吐くので、本心とは間逆なことを言っていたとしても俺には全くわからない。地元に帰りたくない。病気を治すつもりがないと言っているのが本気なのか、建前なのかも。


 押し付けられたコップを受け取る。中にはいっていたのは子供用のシャンパンだった。小学生の頃、クリスマスや年末にだけ飲めるシャンパンが特別な気がして好きだった。姉貴と取り合いになって母親に怒られ、父親に呆れられたことも覚えている。

 そんな家族とは一ヶ月前に面会であったっきりだ。「まだ出られないの?」と聞く親に俺はなんと返しただろう。たしか適当に誤魔化した気がする。


「お前は三年、ここで年越しこしてんだよな」

「なに急に」


 俺は虫籠で過ごす初めての年越し。家族と離れて年を越すのも初めてだ。同い年ぐらいの子供しかいない環境だし、面倒くさい勉強もないし、毎日ゲームしてたって昼まで寝てたって怒られない。病気で入院してるとは思えないほど快適だと最初は浮かれていたのに、家族で過ごすのが当たり前だったクリスマス、年末に家族に会えないという現実は思ったよりも俺の気持ちを重くさせた。

 ホームシックってやつだ。絶対に家族、特に姉貴にはバレたくないが寂しいと思ってしまっているのは事実だ。今頃、俺がいない家で俺の家族は何をしているのだろう。俺と同じく少しは寂しがってくれているのだろうか。


「家族に会いたいとか思わねえの?」

「えーなに、翔ちゃん、ホームシック?」


 わざとらしくふざけた新田に俺は返事ができなかった。新田の顔が引き締まる。こう見えて空気が読めるので、俺がふざける気分じゃないと分かったのだろう。


「寂しくないわけじゃないけど、俺は実家にいる方が嫌なんだよね。嫌なこと思い出すから」

「嫌なことって?」


 俺の問いに新田は満面の笑みを浮かべた。誤魔化すときの笑顔だ。話す気がないのだと悟った俺は唇を尖らせる。新田は距離感が近いわりに秘密主義だ。


「嫌なことは忘れて騒ごうよ。来年も一緒に年越しできるとは限らないんだから」


 新田が立ち上がり俺の手を強く引っ張った。文句を言おうとした言葉は新田の発言のせいで形にならなかった。

 来年も一緒に年越しできるとは限らない。

 言われて初めて俺はその事実に気がついた。


 ここは病院だ。蝶の翅が生えるという奇病を治すために作られた箱庭。病院なのだから病気が治ったら退院する。俺が入院してからの数カ月の間に退院したやつも、俺と同じように入院してきたやつもいた。学校なんかよりもよほど早く、ここでは人が入れ替わる。

 そんな場所に三年いる新田は何度も退院していく患者を見送ったのだろう。去年と今年で年越しを祝ったメンバーはどれほど変わったのだろう。


「翔ちゃん! 楽しもう! せっかくの新年なんだから!」


 もう一度手を引かれて俺は立ち上がった。振り払う気になれなかった。来年、新しい年が始まったその瞬間、俺が新田の隣りにいるとは限らないと気づいてしまったから。


 本来ならば退院することが正しくて、良いことで、いつまでもここにいることが可笑しいのだ。それが分かっているのに、俺は新田を置いて退院してしまうことがいけないことのように思えた。この秘密主義の嘘つき野郎を放っておいたら、本当に一生、ここに居座り続けるんじゃないかと不安になってしまったのだ。


「新田は恋、できそうか?」


 病気を治す方法はただ一つ。恋をすること。人によっては数日で達成できてしまうほど簡単で、人によっては何年も退院できないほどに難しい。

 おそらく、わざわざ難しくしている珍しいタイプの新田は予想外のことを問われたという顔で目を丸くし、それからわざとらしい笑顔を浮かべた。


「俺の恋心は地元に置いてきちゃったからね」


 意味深なその言葉が本当なのか、嘘なのか、俺にはやっぱり分からなかった。

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嘘つきと新年 黒月水羽 @kurotuki012

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