持久走が嫌いな女子高生ブルース

あじさい

* * *

 冬の朝は体温が上がらない。

 ぬくい布団の隙間すきまから入ってくる空気が冷たくて耐えがたいという以上に、眠気が残って起き上がれない。

 でも、お手洗いには行きたいから、ギリギリまで我慢して渋々起き出す。


 寝癖を直すとき、夏はシャワーのお湯を浴びればすっきりするけど、冬はひたすら寒くなる。

 うかうかしていると、濡れた髪がさらに頭皮を冷やし、体温を奪う。

 パジャマの襟首が濡れると地味につらい。

 夏も冬も不快だけど、着替えるのは寒いから放置。


 顔を洗って、髪の毛がついていないか、目やに、ニキビ、その他の見苦しいものがないかチェックする。

 いつもながら、スッピンの自分の顔は好きじゃない。

 額が広いし、青白いし、目が小さいから、人面魚じんめんぎょみたい。

 でも、前髪をろして、表情を明るくして、角度を調整すれば、一応見られるくらいにはなる。

 うん、今日も可愛い……はず。

 鏡の中の顔が仏頂面に戻らない内に、私は回れ右をする。


 手早く朝ご飯を食べて、さらに急いで歯磨きをして、部屋で制服に着替える。

 姿見すがたみで身だしなみを……。


 ――しまった、今日は持久走がある。


 部屋の棚から運動用の下着とアンダーを取り出す。

 本当は昨日お風呂に入る前に仕込んでおくべきだったのだが、うっかりしていた。

 あまり無頓着だと更衣室で友達に茶化されそうだから、一応、上下同じ色のものを選ぶ。

 寒さに奥歯を噛みながら服を全部脱いで、全部着替え直す。

 厚手のタイツを履き直すのが特に面倒くさい。


 最近は女子もスラックスを履ける高校があるらしいけど、私の高校はまだそうなっていない。

 もしそうなったとしても、私自身がスラックスを履くかどうかはちょっと迷う。

 ただ、こういう寒い季節には、選択肢はあってもいいかなと思う。

 痴漢けにもなるかもしれない。


 うかうかしているとバスに遅れる。

 食パンを口にくわえて制服で道を走る女子高生が可愛いのは、漫画の世界だけだ。

 ブレザーとスカートは重くて走りにくいし、せっかく整えた髪が乱れるし、汗を流していたら不潔な印象を持たれる。

 喉も脇腹も痛くなる。

 パンを食べるどころじゃないのは分かり切っている。


 制服とマフラー、コートにホコリが付いていないことを確かめ、机の上とカバンの中をざっと眺める。

 教科書の多くは学校に置いてあるし、寝る前に準備もしたから、心配なのは筆記用具くらい。

 体操服も、運動用のアンダーも、タオル、汗拭きシート、制汗スプレーも、ちゃんと入っている。

 準備を整え、最後にお弁当をカバンに入れて、足早に出発。

 バスは20分に1本、電車も同じくらいだから、乗り遅れるのはまずい。



 持久走がある日はずっと気分が晴れない。

 走る前はこれから走ることが憂鬱だし、走った後は足がガクガクするし、手足も肺も痛いし、全身がだるい。

 下着が汗で濡れて気持ち悪い。

 その後も授業があるとき、自分が汗臭いかもしれないと思うと気が休まらない。

 更衣室だってみんながそれぞれスプレーを使うせいで窒息しそうなのに、教室で制汗スプレーを使うわけにはいかないから、後はいのることしかできない。


 でも、何より嫌なのは、私のみっともない姿をクラスのみんなとご近所さんに見られることだ。

 ただでさえ、学校指定のジャージは全身が蛍光グリーンで、胸に大きく苗字が書いてあってク〇ダサいのに、私と何人かの常連メンバーが最後尾なものだから、先生がすぐ後ろを自転車で追いかけてくるのだ。


「ファイト! あとちょっと!」


 と余計な声をかけてくる。



 あんなもの、スタートする前から結果は決まっている。

 もちろん、体育は体を動かすことが目的だから、結果よりも過程――体を動かしたという事実――が大切なのは分かる。

 でも、その割に、結果が良くなければ良い成績はつかない。

 全身が痛み、ゲ〇が出そうになりながら30分間休まず走り続けても、バスケ部女子がサボりながらこなす20分のランニングより良い成績がつくことはない。



 そもそも、私たちは小学生の頃からずっと、ほとんど1日中、大人しく教室で椅子に座っていることを強制され、授業中だけでなく家でも座学にはげむことを期待される。

 それなのに、体育教師は「若い内にしっかり体力をつけておきなさい」、「今の内に運動しておかないと、大人になってから苦労しますよ」と言う。

 バカバカしすぎて笑う気も起きない。


 可能なら私だって、小学生の頃はドッジボールやこおり鬼をやっていたかった。

 スカートなんか履かず、泥や砂ぼこりも気にせず遊び回りたかったし、雪が積もったら雪合戦もしたかった。


 遊びたい盛りの私たちを教室に押し込めて、授業を乱す悪ガキどもが1人残らず理解するまでちんたらちんたら授業をやっていたのはどこのどいつだ。

 学校の授業はずっとそんな具合なのに、音楽や体育の時だけ、あれができない、これができないと言って、日々まじめに生きている人間をさらしものにする。

 理不尽じゃないか、と私はずっと思っている。

 これが教育というものなら、嫌になってリタイアする人たちの方がまともなんじゃないか、と思うことさえある。


 でも、親も教師も、自分が学校を卒業したら忘れてしまう。

 自分には関係ないことだと高を括って、どうでもよくなってしまう。

 そして青春をうらやましがり、苛立いらだちを反抗期と生理のせいにする。

 やがて子供を産んで、学校に押し込んで、彼ら彼女らに同じ思いをさせる。



 体育の持久走は、男子が5km、女子が3km。

 女子が短いのはずるい、男女差別だ、と男子は言う。

 いや、「男子」ではなく「一部のアホな男子」か。

 私にとってはどの男子も、腹の底で何を考えているか分からない点では同じなのだが、「一部の男子」と言っておかなければかどが立つなら、そう言っておこう。

 ……だるい。


 ともかく、何かというとすぐ「差別」だの「不公平」だのと言う奴がいる。

 もちろん、あいつらは本気で差別や不公平をこの世から撲滅ぼくめつしたいわけじゃない。

 みんなで楽しい学校生活を送りたいのでさえない。

 単に、自分が小者なのが我慢できないだけだ――相応の努力もしないくせに。


 男女の生物学的な身体差のことなど、私は知らない。

 どうでもいい。

 そんなものをごちゃごちゃ言われたところで納得できる気もしない。


 確かなのは、給食の時間や休み時間に女子が好きな物を好きなだけ食べると、男子からも女子からも、「大食い」とか「食い意地が張ってる」とか「色気より食い気」とかバカにされること。

 貧弱で色気のない体つきの男子ほど、女優やアイドルのような皮と筋肉と胸の脂肪だけの体を女性の標準体型だと勘違いしていて、気に喰わない女子に対して「デブ」、「ブス」、「××(自虐が多い女性芸人)」と聞こえよがしに陰口を叩くこと。

 女子失格の烙印らくいんを押された女子が反論しても、決して真面目に聞いてもらえないこと。

 そして、そういう悪口や不条理があると分かっているはずの人たちは、自分がいじめる側でいられる内は、それをとがめることも、怒りをあらわにすることもないということ。


 普段から小食しょうしょくを強いられ、脂肪はおろか筋肉をつけることも許されない女子が、男子より走る距離が短いから何だというのだ。

 こんな私に、あと2kmも余分に走れと言うのか。

 それとも、男子が走る距離を3kmに縮めるのか。

 30分間も懸命に走り続けて、言うこと聞かない手足を振り回し、垂れ流した汗で重くなった髪を前後左右に揺らし、ぐらぐらと姿勢を崩しながらゴールに倒れ込む。

 そんな醜いさまを、同じ距離を15分そこらで走れる男子たち、自分はここまで無様ではないという薄汚い優越感と、これでようやく汗臭いジャージを着替えられるという安心感しか抱いていない連中に生温かく見守られる屈辱を、私に味わえと言うのか。


 女子を「デブ」や「ブス」とののしった男子の目をくりぬく権限を、全ての女子に与える気がない奴は黙っていろ、と私は時々本気で思う。

 出来が悪いとうわさの日本国憲法だって性別による差別を禁止してるのに、どうしてこんなクソガキどもに人並みの人権が認められているのか、疑問でならない。

 貴様らにできるのは私を見ないことだけだ。

 貴様らが一切自分を改めないまま、今より楽な思いをするなんて、あってたまるか。



 持久走のたびに、私はそんなことを考える。

 走る前に準備運動をしているときも、スタートの直後も、中間地点に差し掛かったときも、一番しんどい後半戦を走っているときも、ゴールが見えてきたときも、走り終わって息を整えている間も、ずっと同じことを考え続けている。

 音楽を聞くのは禁止されているし、楽しいことを考える余裕はないし、景色を見たところでご近所さんの住宅と田んぼと山しかないから、誰かに対するうらごとくらいしか考えることがない。


 持久走の理不尽さは――少なくとも女子なら――みんな分かっているはずなのに、クラス内ヒエラルキーでは上位の人たちも含めて、誰も声を上げない。

 課せられた距離を走らなければ単位が認められず、留年という憂き目にうことを知っているから。

 そうでなくても、面倒くさい奴というレッテルを貼られたくないから。

 仲間内で愚痴をこぼして、「トモダチと共感できた」とチープな連帯感ではしゃいでみせるのが関の山。

 私もまた、結果を出せない自分が文句を言っても何も始まらず、何も変わらないことを知っている。


 だから、今日もだまってスタート位置につく。


「よーい、ドン」


 体育教師が発するどうでもよさそうな声に合わせて、今日も私はコンクリートの道路を蹴る。

 走り出す。


 手を抜かないことだけが、私のなけなしのプライドを支えている。




<完>

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持久走が嫌いな女子高生ブルース あじさい @shepherdtaro

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