市松人形を『かう』般若面

伊藤乃蒼

市松人形を『かう』般若面

 10月のとある日の出来事から、僕は市松人形と般若面が怖い。


 僕は子供のころは好奇心がとても強く、親や友達に「やめろ」と言われたことでもどうしても抑えられず行ってしまうという悪癖があった。

「最近は不審者の噂があるから夜に外に出ては駄目よ」

 母親にそう言われると不審者を捕まえてみたいという思いが芽生えるのだから始末が悪い。本当に親泣かせの子供であったと思う。

 僕は夜にこっそり家を抜け出して不審者を見てやろうと考えた。あわよくば捕まえて町のヒーローになってやろうという意識も少なからずあったことを否定できない。

 そして10月のとある日の夜に近くの神社で不審な人物を見つけた。

 ドラマで紹介されていた般若面をつけた人物だった。こんな夜に般若面をつけている人物など、どう考えても不審者である。

 般若面はとても大事そうに成人男性の胴体ほどはある大きさの包みを持っており、その包みを抱えなおす動作は壊れ物を扱うような丁寧さだった。

 僕はその包みに興味を惹かれた。見るからに不審者の般若面がとても大事そうに持っている物とは何だろうという興味である。

「ねえ、その包みはなに?」

 当時の自分は本当に馬鹿で、不審者と思っていてもその包みへの好奇心を捨てきれず自分から般若面に話しかけた。

「なんだ、子供か」

 少し聞き取りづらい男なのか女なのかがわからない声で、般若面は僕に返事をしてくれた。

「これには人形が入っているんだよ」

「人形?」

「見るかい?」

「うん!」

「じゃあ、神社に入ろうか」

 不審者についていくなど愚の骨頂、そのまま殺されても文句は言えない。ただ、その不審者ついていかなければ僕はあんな体験をしなかっただろうと思う。


 ◇


 神社の境内に入ってしばらくすると本殿が見えた。辺りは誰もおらず虫の声すらしないほど静まり返っている本殿の階段に、二人で腰かけて間に包みを置く。

「ほら、これが人形だよ」

 そう言って般若面は包みを開けて見せた。

 そこには小さな赤ちゃんほどの大きさの、祖父母の家で見たことがあるような薄目を開けた市松人形がガラスの箱に入っていた。

「ええと、こういうのって市松人形っていうんだっけ?」

「ほほう、知っているのか。お前は賢いな。だがこれはただの人形じゃないぞ。珍しくて面白いものだ。実はな、この人形は満月の日にだけ動く付喪神だ」

「付喪神?」

 これもまた漫画で読んだ知識であるが、古くなったものが妖怪化したものを付喪神と呼ぶのを聞いたことがある。そのことを般若面に言うと、とても感心した様子で頷かれた。

「最近の子供にしては博識だな」

「えへへ……」

 自分の好奇心による知識を褒められると嬉しいもので、僕は照れながらじっくりと人形を観察した。しかし祖父母の家で見たものと本当に大した違いのない市松人形で、ポーズや着物は違うが本当にただの人形に感じる。こんなものが本当に付喪神なのだろうかと首を傾げた。

「これが動くの?」

「ああ、この人形の動く様がなかなか面白い物だからお前にも見せてやろう。『かう』のが癖になるぞ」

 この般若面はそんなに『買う』のが癖になるほど人形のコレクターなのだろうか? そう思うもののそんなに面白いものならば見てやろうという好奇心が疼いた。

 二人で人形の入ったガラス箱をじっくりと眺める。満月が顔を出し、しばらく登って頂点へと達する。辺り一面が昼間のように明るくなったが、人形に反応はなかった。

 あれ? 何も起きない。騙されたかな? 僕がそっと人形の入ったガラスの箱に触ろうとすると、薄目を開けていた人形の目が大きく見開かれた。

「出せ、ここから出せ! おのれ、出さぬか! 出せ!」

 轟音のような声が神社中に響き渡る。

「おのれ、おのれ、おのれ」

 人形から怨嗟の声が響く。低いような、甲高いような、この世のすべてを呪うような、そんな声が聞こえてきた。

「この箱がなければ。この箱がなければあの子に会いに行けるというのに。くちおしや、くちおしや」

 人形が箱の中で大きく揺れる。普通のガラスの箱ならば砕け散りそうなほど揺れるが、人形の入ったガラスはひび一つ入らない。

「あの子に、あの子に。もう一度だけでも会いたいだけだというのに。おのれ! おのれ! おのれ!」

 人形はガラスの箱の中で暴れまわるが、箱は少しも動かなかった。

 僕は突然暴れだした人形から目が離せなかった。動く人形、喋る人形、怨嗟を吐く人形。目の前で起きているすべてに釘付けになっていた。

「どうだ、面白いだろう?」

 その声で僕はようやく人形から目を外して般若面の方を見ることができた。般若面は心底愉快という声色で続ける。

「ごみ箱に人形が捨てられていてな。今時珍しい怨霊を持った付喪神だったから、鑑賞用に箱を作っていれたのだ。捨てられたというのに帰りたい、帰りたいと泣き喚く様を見ながら酒を飲むのも良きものよ」

「出してって言ってるよ。帰りたいって……」

「ん? 出したらどこかに飛んで行ってしまうだろう? 出すわけがない」

 般若面は暴れまわる人形を眺めている。その様子は、友達が僕の家に居る金魚を見ている時の雰囲気に似ていた。本当にこの般若面は魚や虫を愛でているのと同じなのだろう。動き回るのを鑑賞して楽しむ。魚や虫がどう思っていても興味など湧かない。この時になって僕は般若面が心底恐ろしい存在に思えた。

 僕が固まっている間に満月が下っていく。それに合わせて人形の動きは小さくなり、やがて動かなくなった。

「ああ、酒がないのが惜しいくらいの叫びだった。やはりこれは『かう』には面白い物だな。ははは」

 僕は直感した。『買う』じゃない、『飼う』だ。般若面はこの人形を飼っているのだ。

「お前は子供にしてはなかなか見どころがあるな。『かって』やろうか?」

 『飼って』『買って』どっちだ? 僕もこの人形と同じになる可能性があるのでは? そう思うと背中にゾクゾクとしたものが這いあがってくる。先ほどまで泣き叫んでいた人形の声とガラスの音がまだ耳元で響いているようだった。

「やだ!」

 僕は階段を飛び降りて夢中で走り出した。振り返ることなどせず一目散に家へ走る。

 肺が痛くなるくらい全力で走って家の玄関を大きな音を立てながら開けた。すると、母親が泣きそうな顔でこちらを見ている。

「あんた! どこへ行っていたの!」

 そんな怒鳴り声をよそに僕は母親にしがみついて大声で泣いた。

「かわれたくない!」

「そうか、残念だ。楽しかったよ」

 耳元で声がする。母親にしがみついて急いで振り返ったがそこには玄関の扉しかない。僕はもう訳が分からずただ泣き叫ぶしかできなかった。


 

 それからというもの、僕の旺盛な好奇心は死んでしまった。何にも好奇心を刺激されなくなってしまったのである。むしろ好奇心を持つことにすら恐怖を覚えるようになった。

 あれは夢じゃない。そう断言できるが般若面と人形が何だったのかは僕にはわからない。

 今でも人形は満月の晩に怨嗟の声を上げながらあのガラスの箱から出て、元の持ち主の所へ帰りたいと叫び続ける。箱を激しく揺らして叫び続ける。その様を見ながら般若面は酒を飲むのだろうか。

 そう思うと僕はもう二度とペットなどを『かえない』し、市松人形と般若面を見るたびに怖くなる。

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