スタートライン

沢田和早

スタートライン

 オレは走っていた。目指す目標はゴールラインではない。スタートラインだ。いや、ちょっと違うな。最終目標はもちろんゴールラインに違いない。だがゴールラインへ到達するにはまずスタートしなければならない。スタートするにはスタートラインに立たねばならない。だからオレはスタートライン目指して走っているというわけだ。


「はあはあ、遠いな」


 スタートライン目指して走っているのはオレだけではない。ざっと見回すと数十万人くらいいそうだ。まあ、数が多すぎて数万も数十万も同じように見えてしまうが、とにかく大きな地方都市の人口に匹敵するくらいの人数は走っていそうな気がする。


「うわあ、やられた」


 走っている道は山あり谷あり障害物ありの地獄のようなコースだ。今、落とし穴にはまって一人の選手が姿を消した。哀れだ。スタートラインに着く前に消えてしまうなんて。さぞかし無念なことだろう。


「喉が渇いた。水、水をくれ」

「一万円いただきます」


 沿道の給水ポイントに置かれている水と食料は有料だ。金がなくなれば働いて手に入れるしかない。沿道には足漕ぎ発電機が並べられているので、いったん走るのを止めて発電機を漕ぐ。そして発電量に応じてもらえる金で水と食料を買うのだ。


「はあはあ、まだか、まだスタートラインは見えないのか」


 遠いな。走り始めて三十年くらいだがスタートラインのスの字も見えてこない。落とし穴にはまらなくてもリタイアする選手が続出している。スタートラインに立つことなく自らリタイアするとは、さぞかし無念なことだろう。


「おい、あれを見ろ。いくらなんでも無理だろう」


 なんてこった。目の前の地面には巨大な溝がぽっかりと口を開けて行く手を阻んでいる。幅は二十メートルほど。長さはわからない。視界の果てまで続いているので数十キロはありそうだ。渡れそうな場所を探してコースから外れれば問答無用で失格となる。飛び越えるしかない。


「こんな溝、走り幅跳びの世界チャンピオンだって飛び越えられないぞ。どうする」

「走り始めて七十年。スタートラインに立てぬまま諦められようか。どりゃっ! うおおー、わしはまだ現役じゃあー!」


 飛び越えようとした爺さんは雄叫びを上げながら巨大溝の中へ落ちていった。どれくらいの深さがあるのか見当もつかない。


「はいはい。選手のみなさん、朗報ですよ。今から橋を架けます。その橋を渡ればスタートラインはすぐそこです」

「やったあ。早く架けてくれ」

「はい架けました。あ、無料ではありません。通行料をいただきます。一人一億円です」


 なんて金額だ。死ぬまで発電機を漕いだって稼げない。くそっ、どこまでオレたちをバカにするつもりだ。


「こうなったら一か八かだ。飛び越えてやる」

「おれもだ」

「おれだって」


 選手たちは次々に巨大溝を飛び越えようとして落ちていった。ここでリタイアするしかないのか。


「いやだ。絶対にいやだ」


 オレは覚悟を決めた。自分で自分に言い聞かせる。大丈夫。絶対に飛び越えられる。オレならできる。オレは選ばれた人間なんだ。飛び越えられないはずがない。


「ジャーンプ!」


 と叫んで飛び上がったオレの体は当然のように巨大溝の中へ落ちていった。周囲を見るとオレと同じくスタートラインに立てなかった選手たちが地の底目指して落ちていく。

 ああ、そうだな。認めるよ。所詮オレはこの程度の人間だったんだ。無能で無力で運に見放された平凡でありふれた人間に過ぎなかったんだ。さあ、スタートラインにすら立てなかった同志たちよ、オレと一生に巨大溝の底へ落ちていこうではないか。











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