《短編》美食家アルトくん(スタート編)

月咩るうこ🐑🌙

本当の人生のスタート


歩道橋から下を見下ろす。


2車線の道路。


この時間だからやはり車は通っていないな。

それを狙ってきたのだから当たり前。


フッと笑って跨ってみる。

手すりに股をかけたまま、片足をぶらぶらと下の道路をなぞるように動かしてみた。


んー・・・

どういう体勢ならうまくいくだろう?


とりあえず、もう片足もそっち側へ・・・


「よいしょっと・・・」


両手で後ろ手に手すりを掴んだまま身体は完全に外側へ移動させた。


もし後ろで誰かが私の体を支えていたら、これはまさしく・・・


「タイ●ニックみたい。ウケる・・・」



けど腰を掴んでいてくれる人なんかはいるわけなくて、もちろん私は今ここに1人。

誰も見てないし、今この状況で唯一の命綱である手すりを掴んでいるのは紛れもなく私の両手。


この両手を離せばそのまま私は前かがみに落ちて行って・・・

で、きっと頭が最初に道路のコンクリートにぶち当たるだろうから、割れて、脳みそ飛び散るのと同時に気を失って・・・

いや、即死・・・できるはずだよね。



そう

何度も何度もシュミレーションしてきたではないか。


大丈夫だ。

この期に及んでまだそんな確実性について疑心暗鬼になってるだなんて・・・ウケる。



「ははは・・・早くしろよ私。」



生暖かい風が吹き、長い黒髪が頬に張り付いた。


邪魔だな。

髪縛っておけばよかった。


そんなことを考え眉間に皺を寄せる。



さっきから、信号が 青になったり黄色になったり赤になったりを繰り返している。


それをボーッと見つめながら思う。


これが最後に私が見る景色?

青・・・黄色・・・赤・・・


あぁ・・・こうして見ると、結構綺麗なんだな。


誰が想像できるだろう?

行かされたり、急かされたり、待たされたり・・・

それしか与えてこない、この煩わしいだけの電気のことをこんなふうに思える日があるだなんてこと。


思えば・・・

私の人生だって、ずっとそうだった。


誰かにこうしてなんの戸惑いすら感じずに従ってただけ。

誰も信号に無意識に従っている自分に疑問を抱かないのと同じように。

なんの疑問も抱かずに生きてきた自分。

だからこそこうして・・・

自分の存在意義と価値を改めざるを得なくなったのかもしれない。



手が震える……身体も……なぜだろう。

何度も何度も、今まで生きてきて何度も、

" 死にたい " なんて簡単に口にしてきたのに。


誰もが息を吐くように言うその言葉は

いざ本当に実行しようとすると、こんなにも……こんなにも単純でないことなんだと……

みんなは知ってるだろうか?



そんなくだらない人間にはなりたくなくて、


だからといって、

こんなことしてる時点で自分がくだらない人間なのだと認めざるを得なくて……




「さようなら……私のくだらない人生……

さようなら……くだらない私……」



私はゆっくりと目を瞑り、暗闇の世界に逃げ込みながら手すりから手を離した。



そのまますごいスピードで自分の体が落下していくのを感じる。

風がブワッと顔に当たっていく。



わ……っ!怖い……!速い!


嫌だ!怖い!


あ……っ……死んだ……




恐怖の感情ばかりが情けなく渦巻いたけど、それは全部一瞬のことで、

目を開けた時に私は思った。

死んだのだと。



意外となんの痛みもないもんなんだな。


私の遺体はどこ?

血塗れ…かな?

頭割れてぐちゃぐちゃかな?


それとも車に轢かれた?跳ねられた?




私は一生懸命自分の遺体を探した。


なのに、どこにもない…



「…あれ?」



おかしい…

私は今幽霊のはずじゃ…




その時だった。




「やあ。」



目の前に立っている謎の人物に目を見開いた。



20代くらいの綺麗な男の人。


白くて長い髪が肩より下まで伸びている。


目は、薄いブラウンとグリーンでオッドアイ。

この世のものとは思えないほど妖艶で、とても美しい整った顔立ちをしている。


身長は190はありそうだ。



「教えてあげようか?」



なに……それ?

一体何を教えるというのか……

そもそも誰なのか……

この状況はなんなのか……

意味が全くわからない。




「とりあえずここ危ないからさぁ、向こう行こっか」



そう言って彼は私を抱き上げなんと宙に浮いた。



「なっ?!…えっ…私は死ん」



「無事死ねたと思った?残念。

僕が助けた。ちなみに僕もざんねーん。」



「!?」



言っている意味がわからない。


男はそのまま私をどこかの公園へ下ろした。



「あれ、意外と動揺してないね?…へぇ…」



男は面白いものを見るかのようににやにやしながら顎に手を当て私を見回した。



「わ…たしは…なんで死ねてないの?」



「んあー…ダメなんだよ。生きたいと思いながら自殺されちゃあ。本当に死にたいと思って死んでくんないかな?」



「…は?」



「じゃないとほら、君の魂をさ、食べられないわけ。僕が。」



言っている意味が分からなすぎて私は押し黙った。

男は舌なめずりをしながら続けた。



「少しでも色が混じってるとダメなんだよ。

真っ白い魂じゃないと、美味くないし、そもそも全くもって僕の活力になんない。」



その白くて長い髪は、月明かりと街頭に照らされて、眩しいくらい銀色に光っている。

風が吹くとなんとも妖艶で、この世のものとはまるで思えない雰囲気を醸し出している。




「だからさぁ…」




男は突然真剣な顔つきになった。




「君が本気で死を受け入れられるまで、待つから。

そしたら僕に君の魂をちょうだい?」




私はもう、ここまで意味不明だったら、

とことんそれに乗っかってやろうと思った。



「あの…今、あげるんで。今、お願いします」



男は目を丸くしてから、苦笑いした。



「え…いや、だから、僕の話聞いてたかな?

ダメなんだよ、ちゃんと綺麗なのじゃないと」



「私、ちゃんと死にたいと思ってます!本気で!」



「いやいや思ってないんだよ。君は確実に生きたがっている。君は本心を隠しているんだ。気付かないフリをしている」



私は目を見開いた。


そんなはずはない。

しかもあそこまでせっかく勇気を出したのに、この人のせいで無駄になってしまった。


ここまで来て引けない。



「そっ、そんなことっ」



「君さぁ、強いようでいてとても弱いよねぇ…」



「…はぁ?」



「本気で死を望んでる人間はね、あんなにいつまでも躊躇はしないんだ。あんなに震えたりもしない」



目を見開いたまま固まっている私を舐め回すようにジロジロ見ながら男は静かに言った。



「んん…美味しそうなんだけどねぇ…

こう…なんだろうな…。やり残したことがゴロゴロありすぎんのかな。未練タラタラっつーかさ。…うーん…君の魂には黒と白の他に、なんだか邪魔な色まで入り交じってんだよなぁ…」



男のオッドアイがギラギラと光っている。

初めてこんな色の目を見た。


美しくて、妖艶で、そしてすごく不気味だ。




「本当の意味で死を受け入れられるようになったら、僕が殺してあげようか?

恐怖も感じず、一瞬で、確実に…ね…。」




不気味に笑う男の言葉に、私は頷いた。




「その変わり、僕が君の魂を貰うからね。

つまり君は、天国へも地獄へも行けない。

転生もない。」




「……それって…」




「そう。完全なる、"無" だよ。」




ニヤリと見せた白い歯と、細まったオッドアイ。

私は一瞬時が止まったように固まっていたかと思えば、笑いが込み上げてきてしまった。



「ぶはっ!……ふははっ!

あはははははは!はははははっ」



だめだ……笑いが止まらないっ!


彼は私の大笑いを驚いたように見つめている。



「無とかっ!最高すぎる!!

もう生まれなくて済むとかっ!それって!

理想すぎるじゃん!!」



そう。生きるということに絶望し、死にたいと思って死んだ人間が、どうしてまた生まれたいなんて思うだろうか?

無になれるなんて、こっちとしては本当に願ったりだ。




「で、あなたは死神…なの?」



「…ふはっ!死神とかっ…

なんかそのワード久々に聞いたなぁ。

あいつらと一緒にされたくないけど…まぁいいよその解釈で。

…おっと!それで思い出した!危ない危ない!!」




そう言って男は近付いてきて、私の首筋に歯を立てた。



「った!」



じゅじゅじゅっと微かに音が聞こえる。


痛みに顔を歪めるが、全身の力が抜けてなぜだかホワホワとした不思議な感覚に襲われた。


気持ちいいような、気持ちの悪いような…


けれどどこか、病みつきになってしまいそうな…



とにかく言葉で言い表せない、

初めての不思議な感覚…




パッと口が離れたかと思えば、一瞬見えた彼の牙のような鋭い歯が元に戻っていった。



彼はペロリと唇を舐めながら言った。



「んん。やっぱ予想通り、君の血は美味しいね。」



「なに…したんですか…」



「マーキングだよ。死神やら天使やら悪魔やらハイエナやらといった不気味な奴らに君を横取りされないようにね」



「・・・」



じゃ、アンタ何。


と言いたいところだが、

私はもう何かを突っ込むのをやめようと思った。


何もかもが意味不明すぎて、これ以上考えても余計混乱するだけだし、きっとこれは夢の中なのだろうと思った。


もしくはもう私はすでに別世界にいるのかもしれないし。



ただ、本当に…



こんなに綺麗な見た目の男の人は見たことがないと思った。




「あなたの…名前は?」



「あぁ、僕のことはアルトって呼んで。

…で、君は望月夢香ね。よろしく〜」



「…なんで私の名前…」



「だって君の頭の上に書いてあるもん」



死神?いやこの人?はそんな能力まで持っているのだろうか?

というかそもそもこの人?は、どこから来たのだろう?



「あぁ〜とりあえずどっしよっかなぁこれから…。

他の人間探りに行くか…あーでもめんどくさいな。死神の横取りに行くのもめんどくさいし…あいつらウザイし天使はキモいし…んー」



アルトは心底うんざりしたように頭をかき始めた。



どうやらとてもめんどくさがりな性格なようだ。

それなのにいちいち私を助けたりして、いちいち味変してから魂食べたいなんて……美食家ではあるということか?




「アルト…ホントに私を殺してくれるんだよね?いつか。」



「ん?うん、もちろん。

魂が美味しそ〜ぉに綺麗になったらね!

僕はね、どうせ食べるなら、きちんと美味しく丁寧にそして優雅に頂きたいのさ。

それが、人間の魂への礼儀というものだろう?」



ペロッと見えた赤い舌に、細まるまつ毛の長い切れ長な目。


こんな美しい見た目だからだろうか?

食事にも拘りがあるらしい。



「もうマーキング済だし、

君はもう僕からは逃げられないよ。

一生…ね…。」




フッと笑った、その美しくも妖しい不気味な笑みにドキリとした。


でも……こんな奴を信用していいんだろうか。



「じゃあいつでも私を殺せるように、私と一緒にいてよ」




その言葉に一瞬アルトは目を見開いたかと思えばすぐに細めてケラケラと笑いだした。




「いーよいーよ。楽しそ〜!

人間に付きまとうのなんて久々だなぁ〜ははっ」




こうして、私の人生は再スタートしてしまった。

この死神みたいな人? と共に。



私の魂に刻まれている一つ一つの未練を潰し、クリアな色に変えていく作業……

アルトと共にそれをしながらまた生きることになっちゃった。


「ちなみに未練全部解消して魂がクリアになって、君がやっぱり生きたいなんて言っても却下だからね。そん時は、僕が無理矢理にでも君の魂を貰うよ」


そんなふうに言ってきたけど、

やっぱり生きたいなんて、思うわけないじゃん。



「じゃあさっそく1個目の未練からやってこお!教えて?」



未練……?

そんなのいっぱいあるに決まってる。


母との確執、元カレとの喧嘩別れ、会社でのいざこざ、行きたかった場所、見たかった景色、食べたかったもの、着てみたかった服、してみたかったこと、自分の容姿、性格、結婚や出産……


やり残したこと、後悔なんていっぱいあって、

だけどそこから逃げたんだ。

幸せそうな他人をただ羨み、努力する勇気も活力もなくて、自分の人生なんてこんなもんだと自分に言い聞かせて……


私は昔から、幸せそうな人を見るのが大嫌いだった。

恵まれてるのに愚痴を言う人が大嫌いだった。

簡単に死にたいと口にするくせにいつも楽しそうに笑ってる人が大嫌いだった。


私は……

他人や環境のせいにしたくないから、だから全部自分のせいにして死を選んだんじゃないか。


それでも……


「私は頑張って生きたよ……」


自分なりに精一杯、生きたつもりだった。

頑張って頑張って、我慢して我慢して、努力を積み重ねて結果限界が来てこうなったんじゃないか。



「じゃあ次は、僕のために生きようか」


アルトはそう言った。


私は彼に自分を美味しく食べてもらうために生きることを再スタートした。



どうせ死ぬんだと思うと、何でもできた。


まず私は、大嫌いな母との確執を解消しにいった。

どうせもう会わないんだから、最後くらい、今まで言いたくて我慢してたことを全部言ってやった。

すると……嘘みたいにスーっと心が晴れていって、一体今までのモヤモヤはなんだったんだろうと思うくらい、それは簡単に解決した。

それと同時に……

私は今まで二度と会いたくないと思っていた母に、なぜかまた会いたくなっていた。



次に、元カレの所へ行った。

別れてからも、何度も夢に出てきた彼。

私がどんなにワガママでめんどくさい奴でも、いつも傍にいてくれたのに……

それが物足りなくてイラついて、私が勝手に一方的に振った。

その時も彼は、" そっか…ごめんね" と言っただけだった。

あの悲しそうな顔が、今でも脳裏にこびり付いていて離れない。

謝りたかったのは私の方だ。

あなたの存在がどんなに大きくて、どんなに大切だったのか……

決して言えなかった言葉の数々を、私は後悔が残らないように恥ずかしげもなく全部ぶちまけた。

結果、私は彼とまた付き合うことになった。



職場にも行った。

私はNOと言うことが昔から大の苦手だ。

相手に嫌われたくなくて、少しでも嫌な顔をされるのが怖くて……

だからいつもなんでも押し付けられていた。

いや違う。

私が何でも受け入れていたんだ。

私だけがいつも夜遅くまで残業したり、自宅に仕事を持ち帰ったりしていた。

自分の時間がまるでなかった。健康的な食事もまともに摂ることが出来なくなっていたくらい。

過労死……なんて言葉を初めて聞いた時、そんなものありえないだろうと思っていたが、今ならよく分かる。

それは、実際にあるのだ。


どうせ死ぬのに過労死するほど働くなんて馬鹿馬鹿しくて、私は断りまくった。

すると今までの自分がなんだったんだろうと、それこそ馬鹿らしくなるほど簡単に自分のポジションが変わった。



食べたいと思っていた高級スイーツや回らないお寿司、有名なレストランでのフレンチ、夜景が綺麗なホテルの鉄板焼き、人気のカフェやバー、

ありとあらゆる所に行きまくった。

どうせ死ぬのだからとここぞとばかりに美味しいものを食べ漁った。


最後には綺麗な状態で死にたいなんて思って、今まで躊躇していた高級コスメを買って化粧に挑戦してみたり、どうせ私になんて似合わないだろうと諦めていた洋服を買って好きな服装を好きなだけしてみたりした。


バンジージャンプ、スカイダイビング、シュノーケリング、バイクツーリング、登山……やってみたかったのにやれていなかったことも全部やった。


イタリアのベネチアでゴンドラに乗ったり、フランスのルーヴル美術館でモナリザを見たり、トルコのカッパドキアで気球に乗ったり、ドバイの砂漠でラクダに乗ったり、

世界中のいろんな人に会っていろんなことを知り、世界はこんなにも広いのだと知った。

そして自分が悩んでいたことがどれだけちっぽけなものだったのかを痛感した。


その頃になると、まるで以前の自分ではなくなっていた。

胸を張って自分は最高だと言えるほど、自分に自信がついてきていた。

外見も中身も、自分のことを初めて好きだと言えるようになっていた。



アルトはそんな私にこの数年間ずっと飽きずについてきていた。

笑ったり悔しがったり怒ったり、いろんな感情をさらけ出しながらどんどん変わっていく私を、アルトだけは変わらず見ていた。


だから私もちゃんと、アルトの存在を認めていた。

私のこの人生のどれもが、私は私自身の為じゃなくて、アルトの為にやっているのだということを、忘れないように。


途中で死神や天使や悪魔みたいなのが現れたりしていろいろあったけど……


「僕の獲物だ。横取りすんなよ!」


とアルトが言って毎回喧嘩になり、毎回アルトが勝って追い返していた。

だから私はずっと、ずっとアルトの物だ。



やがて私は結婚した。


ずっとしてみたいと思って憧れていたものだったから嬉しかった。

着たいと思っていたドレスも着れた。


もう人生に……やり残したことは無い。

今死んだらきっと、もう何も思い残すことがないんじゃないかと思えた。


きっと今私の魂は、このドレスみたいに純白のはずだ。



結婚式でフラワーシャワーを浴び、幸せでいっぱいに心が満たされる。

花が散る向こう側に、アルトの姿が見えた。


私はドレスを摘んでアルトの元へかけていく。



「夢香、結婚おめでとう」


「うん、ありがとうアルト。本当に。」


そう言って私は満面の笑みでブーケを渡す。


「アルトのおかげで、私の人生本当に最高だったの。

今までいろいろあったけど、でも……アルトがいてくれたからかな。

以前の私より簡単に乗り越えられてた。今となっては、辛いことも悲しいことも、全部が良い思い出!」



「違うよ」



「……え?」



「キミが自分で自分を変えたから、自分の人生を生きれたんだ。」



その時、私は初めて気がついた。


自分の人生を創るのは自分自身。

自信が自分の魅力に繋がり、自分を肯定する材料になる。

自信をつけるのは、そんなに難しいことじゃない。

ただ自分が好きだと思うことをするだけでよかった。

そこからが全てのスタートだった。

好きなことをして磨けば磨くほど自分は輝き、人生も輝いていく。

そして気がつけば、自分の幸せは決して他人では壊せない強固なものになる。

さながらこの、ダイヤモンドのように……


私は薬指に光る指輪を見つめた。

見たことの無いくらいにキラキラ輝いていた。



あの日私は……死を選んだ。

こんな人生を終わらせることを選んだのだ。

それがどういうことなのか……

私は今になってようやく分かった。



「アルト……おまたせ!」



そう言って両手を広げると、なぜか涙が出てきてしまった。

ボロボロと、それは止まることを知らないかのように溢れては流れ、純白のドレスに染みていく。



「あれ……なんだろうこれ……

はは……っ、ごめんアルト……私……っ」



やっぱり……生きたいっ……!


なんて、その先の言葉は絶対に言ってはいけないから。

だから私は精一杯笑った。

だってこんなにも……こんなにも今幸せなんだから。


私は、私の人生に心から満足していた。


アルトは、そんな泣き笑いの私に目を細め、満足そうに笑った。



しかし彼は、私を殺さなかった。



「だから最初に言っただろ。

少しでも生きたいと思って死なれちゃダメだって。

いっくら魂がクリアでも、その感情が変なスパイスになって不味くする。」



どんだけ美食家なんだろうと思ったが、

気がつけば私はまだ生きていて、気がつけば子供を産んでいた。

そうして気がつけば孫ができ、ひ孫ができ、私は随分と歳をとっていた。


アルトは一切歳を取らない。

だから美しく妖艶な美青年のままだ。



「アルト……

今度こそ……本当におまたせ」



病院のベッドの上、

私は彼を見つめ、しがれた声で話しかける。


もうあまり目が見えないけど、隣で私のことをじっと見つめているのが雰囲気だけで分かる。


だって彼は、何十年もずっと私と共に生きていたから。



「ありがとうね……

もう……思い残すことは本当に無いよ」



ようやく私は本当の意味で、

死を受け入れられた。


なぜなら私は本当の意味で、

自分の人生をリスタートしたからである。



「ずっと思ってた……

あなたは誰なんだろうって……」



そしてようやく今、わかった。



「あなたは……死神なんかじゃない。

天使でも悪魔でも妖精でもない。」



あなたは……



「救世主だったんだわ……」



アルトはしばらく沈思してから、

フッと笑った。



「僕はなんにもしてないよ。

ここまで生き抜いたのは君自身だろ」



アルトは私のシワシワになった手をそっと握ってきた。

優しくて、でも冷たくて、

やっぱりこの世の者ではないのだと思った。


耳元に、彼の息が吹きかかる気配がする。



生きててよかった。

あの時死ななくてよかった。


たとえ彼に食べられ、無になろうとも。




「いただきます……夢香……」



その声が耳に届いた瞬間、

私は本当の意味で、本当の私の人生に幕を閉じた。




~~〜~~~〜~~




ペロリと唇を舐め、

「ご馳走様♡」と言う。


チラと夢香の亡骸を見ると、

娘息子たちや孫たちに囲まれているのが見えた。



「僕が救世主?

そんなわけないだろ。

僕はただの美食家さっ♪

そして僕は……」



「アルトぉおおおおおお!!」


突然の声に、ビクッと反応するアルト。


「貴様またくだらんことして時間潰していたなこの阿呆息子がぁあ!!」


「ははは……そう……僕は魔界の王子……って、げっ……マジか。今回は上手く逃げ隠れしてたのにな〜」



それはアルトの父親、閻魔大王だった。


閻魔大王は魔界の王であり、人間の穢れた魂を糧にしている。



「パパは美食がなんたるかを分かってないのさ。」


「美食なんぞ馬鹿馬鹿しい!

とっとと魂を集めてこんかコノアホンダラ!」


「ひぇー。うっさいなぁもお!

1度味わってみればわかるさ!穢れなき魂がどれだけ美味でどれだけ素晴らしいのかを!

僕はそのためなら、たとえ魂1つでも100年は待ってられる!そのくらい価値があるんだ!」



全く……

これだから味オンチは困るよ。

と言いながら、まだ何かゴチャゴチャと怒鳴っている父親を無視してポケットから白い花を取り出す。


それはあの時彼女から渡されたブーケの欠片。


今回も結構時間かかったなぁ〜

まぁでも……


ブーケを差し出す彼女の満面の笑みを思い出し、目を細める。


今までん中で、そこそこの美味さランクだったかな……。


結婚式のあの時、食べないで粘っといてよかったっ♪

せっかくなら最大限に旨みを引き出し、最高級に仕上げたいからねぇ。



アルトは手帳を取りだし、そこへ

「望月夢香……Aランク」

と書き込んで花を貼り付けた。


パラパラと風に揺れてめくれていくページには、数え切れないほどの名前がある。



「さ〜てとっ」



「こらアルト!!聞いとるのかっ!!!」



パシっと手帳を閉じて目を瞑るアルト。



「……ホントの人生生きてる人間なんて、ほとんどいないもんさ」



パッと目を開けると一気に情景が変わり、

そこには首に縄を括っている青年がいた。




「やあ。教えてあげようか?」




自分を最高級に美味くする、

本当の人生のスタートってやつを。






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《短編》美食家アルトくん(スタート編) 月咩るうこ🐑🌙 @tsukibiruko

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