しずかなプール

倉沢トモエ

しずかなプール

 水族館。

 イルカショーでは五頭のイルカが跳んで、泳いで、ぐるぐる回って、輪をくぐってボールを受け取った。

 これはほんの最初のご挨拶。ラストにまた登場する。


 わたしたちはチュロスを食べてコーヒーを飲んだ。

 お利口だねえ、とか言いながら。


 トレーナーのお姉さんがアシカたちを呼び出して次の演目に入っても、バックヤードに戻らないイルカがいた。

 プールのすみっこでお気に入りの黄色いボールを放って、いつまでもひとりで遊んでいる。


「集団行動しない子がいる」


 あなたはスマホで撮影しはじめた。

 好きだよね、そういうの。


「笑ってる」


 ひとりで遊んでいるイルカの名前は、チョビーらしい。歳はいくつなのかな。

 ひとりで遊んでいる、プールのそこだけがなぜか静かに見える。


   ◆


 あなたはそれから、アシカたちの行列が順にお辞儀をしてごほうびをむしゃむしゃ食べて、すいすいとすべってバックヤードに帰っていくのを見送った。

 これからイルカたちが入れ替わりで入ってくる。

 ところがチョビーはまだ遊んでいて、ボールはその鼻先に乗っている。

 なめらかにプールへすべりこんでいくイルカたち。


「ギンスケくんです。こんにちは!」

「カノンちゃんです。こんにちは!」


 トレーナーの、今度はお兄さんが一頭一頭の名前を呼ぶ。


「来るか?」


 あなたはスマホを握りしめて何かを待ち構えている。


「コージーちゃん、こんにちは!」

「ポンポンくん、こんにちは!」


 あ。


 チョビーはそんな顔をして、ボールを放って。

 鼻先をひるがえしてそのままするりと潜水。


「チョビーくん、こんにちは!」


 みごと五頭が揃い、ぐるぐるとプール内を旋回しはじめた。


「……よし!」


 あなたは、何を撮ったんだろう。


「『あ、いけね』って顔して仕事に戻る、そのスタートダッシュの瞬間が撮れた」

「え、そんな顔してたの?」


 イルカもオンとオフの切り替えだって。


「わっ!」


 チョビーの大ジャンプのしぶきが飛んできた。

 不意を突かれて濡れてしまったけど、まあ、これも水族館ならでは。


「うわ、しょっぱい。やっぱり海水なんだなあ。へえ」


 面白がってるね。

 そういうところが、好きなんだよ。

  • Twitterで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

しずかなプール 倉沢トモエ @kisaragi_01

★で称える

この小説が面白かったら★をつけてください。おすすめレビューも書けます。

カクヨムを、もっと楽しもう

この小説のおすすめレビューを見る

この小説のタグ