トラック

@rona_615

第1話

 福花公園陸上競技場第3レーンのスタートにはオバケが住んでいるという。

 いつから噂が始まったのか定かではないが、この町に住む人たちならば、大人から子供まで、一度は耳にしたことがあるはずだ。

 そのレーンに当たると優勝候補の選手ですら勝てなくなるだとか、小学校の運動会では偶数レーンしか使わないだとか、高校の体育祭で第3レーンを走った生徒が帰りに事故にあっただとか、いかにもそれらしい尾鰭もついている。

 怪談話の尤もらしい由来がないことと、スタート位置に限定された出没地点、そして、肝心のオバケの中身が伝わっていないことは、奇妙な点だろうか。

 だから、和斗は調べてみることにしたのだ。


 家族が寝入ったのを見計らって、部屋の窓から抜け出すのはお手のもの。福花公園には二十分も歩けば着く。

 競技場に入った和斗は、双眼鏡を取り出すと、まずは観客席から全体を眺めた。

 赤茶色の大きな楕円。レーンを区切る白い線。内部を埋める緑の芝。新月の夜、人工的な灯りの下では、彩度も明度も数段下がって見える。

 遠目では異常が見つからなかったので、和斗はレーンに足を踏み入れる。3番レーンのスタート位置。腰をかがめ、習ったばかりのクラウチングスタートの姿勢をとる。

 そのまま、1、2、3、4……。

 十まで数えても、何も見えず、音もしない。

 和斗は、腰を上げ、静止し、そうして、一歩目を踏み出して……。

 そのまま、地面に呑まれた。


 オバケが住むのはスタート地点。けれど、棲家で狩りをする捕食者などいない。

 誰もいない競技場を照らすのは、薄汚れた街灯ばかりだった。

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