【ショートストーリー】ガラスの牢獄、バッテリー残量1%の命

藍埜佑(あいのたすく)

【ショートストーリー】ガラスの牢獄、バッテリー残量1%の命

 朝、目が覚めた瞬間、私は何かがおかしいと感じました。

 いつもの布団の温もりではなく、周りには硬く冷たいガラスの感触。

 ぼんやりとした意識の中、私、伊藤は自らの存在を理解しようと格闘しました。

 そして気がついたのです。

 私自身が突然スマートフォンに変わってしまっていたことを……。

 恐怖と動揺が私を襲いましたが、家族は私の変化にまるで気づかないようでした。

 妻はいつものように朝の忙しさの中で私に向かって話しかけ、子どもたちは遅刻しそうだと叫びながら走り去っていきましたが、彼らは私がもはや「人間の伊藤」ではないことに無頓着でした。

 私はただの物、金属とガラスでできたデバイスに過ぎないのかという疑問が心をよぎりました。

 日々を通じて、家族はスマートフォンとしての私を便利だと言っていましたが、私はそれに返事も出来ず、ただ機能することしかできませんでした。

 朝のアラームから始まり、一日中メッセージの受発信、SNSの更新、情報の検索――何一つ自分の意志で行うことなく動かされる毎日。

 彼らの生活に取り込まれ、私の本来の姿はすっかり影を潜めていきました。

 人間としての私は、家族の日常の断片を見ることしかできなくなりました。

 それでもなお、家族は「人間の伊藤」の存在を必要としなかったのです。

 メッセージやSNSを通じて断片的に得られる情報は、彼らの真の表情や心の声を伝えません。

 私の画面越しでは温もりも、彼らの笑顔の輝きも感じられない。

 ただ冷たいデータのやり取りだけがありました。

 そして、私の存在に終わりが迫ってきました。

 新しいスマートフォンモデルが発表され、家族の目はそれに奪われたのです。

 私は必死に叫びました。私はここにいる、お父さんはここにいる、と。

 しかし私は使われなくなり、引き出しの片隅に追いやられました。

 そこには忘れ去られた充電ケーブルや古いレシートが共にありましたが、私の心はそんな物質的なものでは慰められません。

 家族は新しいスマートフォンに夢中になり、私の存在は完全に過去のものとなりました。

 私がかつて持っていた写真、動画、そして家族との思い出も、彼らにはもう不要な古いデータでしかありませんでした。

 引き出しの中で静かに息絶える私は、思い出すことさえ彼らには許されない古い存在となったのです。

 もうすぐバッテリーが切れます。

 そうすれば私の意識ももうこの世に戻ることはないでしょう。

 引き出しの中の暗闇が、最期に私が見た景色なのです。


(了)

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【ショートストーリー】ガラスの牢獄、バッテリー残量1%の命 藍埜佑(あいのたすく) @shirosagi_kurousagi

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