第16話 目覚め

 模擬戦闘を終え、俺とミーシャは部屋へと戻ってきていた。


 ベッドにはミーシャの妹であるリアーナが、外出した時と同様に小さく穏やかな寝息を立てて眠っている。


そんな妹の頬を愛おしそうに撫でながら、優しげな眼差しでその寝顔を見守るミーシャ。


 そんな美しき姉妹の触れ合いを横目に眺めながら、俺は部屋に用意されていた甘味をコーヒー片手に味わっていた。


 食事と一緒で俺の世界基準で言えば対して美味しいものでは無いが、邪神の侵略により滅亡の危機に瀕している中で用意しているものなので、文句は言うまい。


だが、邪神を退けた暁には早急に文明のレベルを今よりも引き上げると心に決める。


 食事という唯一の娯楽も存在しないのでは、生きていくのに潤いがない。


肉体も魂も老いることのない。真なる不老を体得した今となっては、魔導の研究だけにその身を費していては退屈に過ぎるのだ。


「……マギア様。先程の戦闘、隠すことも無くあれ程の力を振るわれて、本当によろしかったのですか?」


 妹の寝顔から視線を俺へと移し、ポツリと呟くような声でミーシャがそう質問してくる。


「んー? 力を示すことに何か問題でもあるのかな?」


 そもそもにして、攻撃魔術の使用を控えていたのだ。

あの場では真の実力などほんの僅かにも発揮していない。


だが、この世界基準では人外の域にある力量を持っているという事ははっきりと証明してやった。


そこにはなんの後悔も無ければ、後ろめたいこともない。


むしろ、今後の発言権も増すであろうし、俺にとっては良い事尽くしだ。


 圧倒的な力というのは発揮してこそ光り輝く。


それを秘して生きるなど、他者に馬鹿にされるだけの哀れな生を送ることになる。


そんな惨めな人生、俺はまっぴら御免だ。


「力を示せばそれだけ国の上層部からの期待も高まります。そうなれば当然、マギア様に割り振られる任務は危険なものに……」


「なんだそんなことか。危険な任務、むしろそれは、こちらが望むところさ。何しろ俺は『勇者』だからね。人々の幸せの為ならばどんな危険にだって飛び込んでみせるよ」


 俺の知っている勇者たちであれば当たり前の顔をして吐きそうなセリフを引用する。


馬鹿みたいな綺麗事だが、アイツらはその綺麗事を実際に現実に変えてしまう。


だからこそ人々は奴らを尊敬し、敬愛し、希望を込めて勇気ある者――『勇者』と呼ぶのだ。


 俺からすれば勇者などただの暗殺者に過ぎないが、力無き人間達の視線で見れば、間違いなく奴らは世界の救世主である。


「……マギア様は、凄いです。もし私に出来ることがございましたら、なんなりとお申し付け下さい」


 尊敬の眼差しを込めた瞳でミーシャが言う。

俺に対する信頼も良い調子で上がってきているな。


 勇者や英雄と呼ばれる人間には、誰の目にも分かる絶大なまでの力が必要だ。


だが、所詮それはそこに至るまでの切符に過ぎない。

力など持っていて当たり前のものなのだ。


 人々から勇者と崇め奉られるには、そこに至るまでのストーリー、つまりは『英雄譚』が必要になる。


 幾度もの苦難を乗り越え、混迷する人々を救う、分かりやすい物語。


 それが無ければ『絶対的な力』など、多くの力ない人々にとっては次なる脅威にしかなり得ない。


 だからこそ、普通の人間じゃあ手も足も出ないような、危険な任務なんてものは大歓迎なのだ。


 この世界の人間からすれば無理難題の命懸けの任務でも、俺からすれば近所にお使いに出る感覚で達成出来る。


それだけの力を俺は持っているし、この世界で起きている不幸など、星を一つ破壊するレベルの戦争が頻繁に勃発していた俺の世界基準で言えば、大雨や暴風といったちょっとした自然災害くらいの被害でしかないのだ。


 まぁもっとも、俺の経験上、余裕を見せすぎても必要以上に怖がられるだけだからな。ある程度の苦戦は演出してやるさ。


「ありがとうミーシャ。頼りにしているよ」


「……と、とんでもございません」


 優しい微笑みを浮かべてそう返してやれば、頬を赤らめてミーシャが答えた。


我ながら青臭い台詞を吐いたものだが、ミーシャが喜んでいるのならばそれが正解であったのだろう。


 話が一段落したところで俺はベッドへと近づき、ミーシャに頭を撫でられているリアーナの寝顔を覗き込む。


「ところで、リアーナの様子はどうなんだ?」


「はい、朝方よりも呼吸が安定してますし、顔にも血色が戻っているように感じられます」


「そうか。それは良かった。後は目覚を覚ましてくれるのを待つだけだな」


「はい……。しかし、目覚めてからがこの子の……いえ、私たち姉妹の本当の戦いが始まるのだと思います」


 少しだけ思い詰めた様子でミーシャが言葉を発する。


確かにリアーナの肉体については完璧に修復は済んでいる。


だが、心の傷についてはまだこれといった処置はしていない。


 このまま目覚めれば、きっと多くのトラウマがリアーナの心を蝕み、下手をすれば自死を選ぶ可能性だってあるだろう。


本当の闘いはリアーナが目覚めてからだとミーシャが言うのにも頷ける。


 まぁもっとも、心を癒す魔術は普通にあるし、攫われていた時の記憶を消去して、彼女の身に起きた忌まわしき出来事を全てなかったことにすれば最悪の事態は防げるはずだ。


今直ぐにそれをしないのはリアーナが目覚めてからやった方が恩を売れるからである。


「何があっても君たち姉妹なら頑張れるさ。もちろん俺も出来る限りの協力はするつもりだからな」


 本音を言えば、医学も発展していないような世界の住人たる二人だけでは、対処できる問題だとは思えない。


だが、厳しい現実を突きつけるよりは、根拠の無い励ましの言葉の方が彼女たちの心の支えになるだろう。


「ありがとうございます、マギア様。心強い限りでございます」


 ミーシャの声には不安や恐れが含まれている。

だが、その瞳には少しだけ明るさを帯び始めたように感じられた。


☆★☆★


 それからこの世界について文化や街のことなどをミーシャに聞いて時間を潰していたところ、思いの外か時間が早く過ぎ去り、すっかりと夜の帳が落ちていた。


 模擬戦闘後ということもあり、今後の作戦予定について何かしら伝えられるものかと思っていたのだが、城の人間からはこれと言った連絡は特に無かった。


もしかすると、上層部では今でも話し合いが続いているのかもしれないな。他種族が集まった連合国ではよくある話だ。


結局のところ、どの種族だって一番大事なのは自国のことだからな。


 邪神軍の手から領土を奪還するのだって、傷つき癒しを求める国民を救うのにだって、当然種族間での優先順位がある。


即戦力で戦場に入れる勇者は俺一人で、なおかつ俺の身は一つしか存在しないからな。


 各種族による会議と言うなの出し抜き合いが長引くのにも頷ける。


「どうやら、今日はもう何の連絡もないようだな」


「それでは如何なさいましょうか? 湯浴みの準備に致しますか? それとも夕食に致しましょうか?」


「ふむ、先程おやつを食べたばかりだからな。とりあえずはお風呂にでも……っと、それよりもまず、飲み水の準備をした方がいい」


「お飲み物ですか? それならば直ぐにご用意致しますが、ただのお水でよろしいのですか? お望みでしたら果実を絞ったものもご用意できますが?」


 俺の突然の要求に不思議そうに首を傾げるミーシャ。


「あぁ、いや。その水は俺用じゃないんだ。今、リアーナの生体魔力にちょっとした揺らぎを感じた。恐らく後数分もすれば彼女は目覚めるよ」


「――本当ですか!?」


 柔らかく微笑みを浮かべてミーシャにそう伝えると、彼女は喜びと驚きを混ぜ合わせた様な表情を浮かべて聞き返してくる。


俺はその言葉に優しく頷くと、早く準備をするように促してやる。


目覚めると分かっているのならば、その前に必要になるであろうものを揃えていた方が効率的だ。


 それに、目覚めの瞬間には姉の顔が目の前にあった方がリアーナも安心するだろう。


「――すぐに準備して参ります!」


 ミーシャにしては珍しく、ドタバタと言った効果音がなりそうな程に慌てた様子で、リアーナの目覚めの準備を始める。



 そして、あれこれと準備を進めて数分後、徐々にリアーナの生体魔力の乱れが大きくなり始める。


「――……ぅ、ん」


「……っ!? リアーナ……! リアーナっ!! あぁ、あぁ、良かった! 目が覚めたのねっ!?」


「……ぉ、おねぇ、ちゃん……?」


「……えぇ、えぇ! そうよ、リアーナ! わたしだよ! お姉ちゃんだよっ!」


 寝ぼけ眼のリアーナをミーシャが涙を流して抱きしめた。


リアーナはまだ完全には意識が覚醒していない様子だが、姉の優しい呼び掛けと暖かい抱擁に少しずつ反応を示し始める。


 抱きつくミーシャの背にリアーナの手が力無く添えられ、その温もりを確認する様にポンポンと軽く叩いた。


「……おねぇちゃん。ほんとにおねぇちゃんだ」


 発せられる言葉に覇気はないが、意識は徐々に覚醒に近づいてきているようだ。


 それにしても、目覚めた瞬間に悲鳴が上がると思ったが、予想以上に精神状態が安定している。


リアーナの記憶を覗いた限り、心を壊して廃人になってもおかしくない程のトラウマを与えられていたはずなのだが……。


「おねぇちゃん、もうどこにも行かないで……。私のそばから離れないで……」


 リアーナの声は弱々しく、吹けば消えてしまいそうな程に脆いものであった。


しかし、そんな彼女の願いは強くミーシャの心に響いたようだ。


「もちろんよ、リアーナ。私はもう、二度とあなたのそばを離れない。これからはずっと、ずっと一緒だよ」


 ミーシャの声は優しさに満ち、リアーナを安心させるためにあらゆる努力を惜しまないと言う決意が感じられた。


だが、それ以上に心からの本音を口に出しているのであろう。


リアーナを見つめる夜空のように澄んだ瞳が、その事実を何よりも物語っていた。


 そんな美しい姉妹の再会の様子を眺めていた俺であったが、ただ見ているだけでは流石に飽きてしまう。


そろそろ会話に参加してもいいよね。

リアーナについて気になることもあるし。


「ふむ、見たところ怪我の後遺症も無さそうだ。具合はどうかな? リアーナ」


 俺の復元魔術は完璧だ。


故に後遺症など出るはずもないのだが、姉妹の合間に介入するため、それっぽいことを口実にしてリアーナへと声をかけた。


「……あなたは誰?」


 突然の介入者の登場に警戒心を顕にするリアーナ。


ミーシャの妹というだけあって、肩まで伸ばした茶髪と風の結晶の様な澄んだ緑の瞳を持つリアーナも、姉に劣らず美しい少女だ。


しかし、今はそのクリクリとした可愛らしい瞳をジトリと半目にして、睨むような視線を俺へ向けてくる。


 そんなリアーナをミーシャが優しく諌めようとするのを、視線だけ送って止めさせる。


 これまでリアーナは利己的な大人の手によって、目も当てられないほどの悲惨な目にあっていた。


そんな彼女が身内以外の他人に対して、疑心を持つのも当たり前のことだ。


 ミーシャの体に隠れるようにして、視線だけをこちらに送ってくるリアーナへと瞳を合わせる。


「俺の名前はマギア・ブーティス。ミーシャと一緒に君を助けに行ったんだけど……覚えていないかな?」


 優しい微笑みを携えて、ゆっくりとした発音でリアーナへと言葉を届ける。


「……何も覚えてない。気づいたらここにいて、目の前にお姉ちゃんがいた。私はそれが嬉しくて。それで、それで……」


 目覚めかけていた意識が完全に覚醒したらしく、自身の置かれていた状況と、現在の状況とがゆっくりとリアーナの中で混じりあっていく。


その結果として若干の混乱が発生した様だが、それを落ち着かせるようにミーシャがリアーナの頭を撫でる。


「大丈夫、大丈夫だよ、リアーナ。ここはもう、安全だから。怖がらなくても平気だよ」


「……ほんとに? これは夢じゃないの?」


「あぁ、これは現実だよリアーナ。君はもう、理不尽な暴力を受けることはない。大好きなお姉ちゃんと引き剥がされることもない」


 リアーナは俺の言葉に少しずつではあるが、安心した様子を見せ始めた。


しかし、まだ完全には信じられない。そんな疑念が彼女の瞳には残っている。


「でも……、またアイツらがお姉ちゃんを……」


 あれだけの暴行を受けて、心に深い傷まで負っているはずなのに、まだ他者の心配ができるとは。


全くもって、大した精神力をしている。


「その心配はない。残党は未だに残っているが、トップの人間はもう排除した。だからもう、奴らが君たち姉妹を狙って来ることはない。何よりも、俺が絶対にそんなことはさせないからな」


 如何にも勇者らしい事を言っては見るが、そもそもその頭を張る人間が今や俺の忠実な下僕だ。


実質的に俺がその暗部を牛耳っている以上、手出しする人間を選ぶ権利も俺にある。


「大丈夫よ、リアーナ。マギア様は、遠いところからこの世界を救うためにやって来た救世の勇者様なの」


 俺の言葉を後押しするようにミーシャがリアーナの瞳を覗き込んでそんな言葉を伝える。


「勇者様……?」


 ミーシャの言葉を不思議そうに反芻はんすうする。


「えぇ、そうよ。マギア様は実際に私やリアーナをいつ殺されてもおかしくない、そんな地獄から救い出してくれたわ。だから信じて大丈夫よ。もう、あんな奴らを怖がる必要なんてないの……!」


「……もう、お姉ちゃんは殺されそうにならないの?」


「うん。私はもう誰の言いなりにもならないよ。私は私の意思で、やりたいことをやるの」


 それは妹の問いに答えているように見えて、実際には自分自身に言い聞かせているようでもあった。


「……そっか。良かった。もう、苦しまなくていいんだね」


 森の奥深くを流れる小川のような、清廉な笑顔がアリーナの表情に浮かび上がった。


姉の言葉もあり、ようやく警戒心が解けた様だ。


 何はともあれ、リアーナの心が無事で良かった。


壊れていれば壊れていたでどうとでもできるが、手間はかからない越したことはない。


だが、同時に驚きもあった。

 

 常人ならば発狂する程の苦痛を受けても、他者を思いやれるだけの精神的な余裕があるとは。


それは即ち、リアーナが常人とはかけ離れた精神力を持っているという事にほかならない。


やはり、あの時ミーシャを傀儡かしていなくて良かった。


 リアーナ。この娘は間違いなく真の勇者になりうる素養を持ち合わせている。


恐らくだが、これだけの精神力を保持しているのならば、こちらが助けに入らなくても、あの過酷な状況を生き残っていた可能性は大いにある。


「落ち着いたようで何よりだ。リアーナ、お腹は減っていないか? ずっと寝ていたんだ。少しでもいいから、何か食べよう」


 ミーシャに下手に手を出していれば、また恨み辛みを買って暗殺者として付きまとわれたかもしれなかった。


そうならなかったことに安堵しつつ、俺はリアーナをも我が手中に納めるべく、欺瞞ぎまんに満ちた優しさを振りまくのだった。

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次元の狭間の勇者 〜悪の大魔導士、異世界にて勇者となる〜 @akimori111

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