第4話 結

「そうすれば一緒に居られるというのなら、僕を君の眷属にしてほしい」


 そう言った僕にミラはためらうように首を振った。


「簡単なことではないのよ。吸血鬼の眷属になるということは、その弱点も受け入れるということなのだから。眷属になったら日の下は歩けなくなるし、流れる河を渡れなくなる、聖なる場所には近づけなくなるし、聖なるものには近寄れなくなる。そして、冬にはある程度治まるとはいえ、常に吸血衝動に苛まれることになるのよ。死は許されず永遠にそれが続くの。あなたには耐えられるというの?」

「でも君はその苦しみに耐えてきた」

「だからこそ誰にも、いや、あなたにはそうなってほしくないの。十六歳のあなたには私の気持ちが分かるでしょう?」


 彼女の声は震えていた。それは拒絶からではない。葛藤からなのだと僕には分かった。本当は彼女も誰かと一緒に居ることを望んでいる。それは僕以外でも良いのかもしれない。でも、彼女は、彼女の苦しみに誰かを付き合わせるという選択ができないでいた。今まで彼女と苦しみを分かち合おうという人間は居なかったのかもしれない。だから僕は彼女の側まで行き、何年も前に超えていた彼女の視線に目を合わせた。


「君が苦しいからこそ、僕はその苦しみを知りたいんだ。僕は君の苦しみを共有したい。その代わり、君は僕の寂しさを共有してほしい。悪い話じゃないだろう?」


 僕は真剣なまなざしを彼女に向けていた。彼女は戸惑うように「本気なの?」と聞いてくる。僕は頷いて答えた。


「本気だよ。僕は君と一緒に居たくて、そのためになら、全てを差し出すつもりでいるんだ。何度だって言うけど、僕は本気なんだからね」

「なんで?」


 彼女は分からないと言いたそうな顔で僕に訊いてくる。


「なんであなたはこんな醜い獣のために本気になれるの?」

「僕は父を失って悲しくて、寂しくて、心が変になっているのかもしれない。でも、それ以上に、僕は昔から思っていたんだよ」

「何を?」

「ずっと君は寂しそうに見えていた。僕は、それをどうにかしてあげたいと思っていた」


 寂しそうで、悲しそうで、苦しそうで、そんな彼女の気持ちに僕は共感できるから、何かができればと思い続けてきた。


「君の眷属になることで、君と寂しさも、悲しさも、苦しさも共有できるのなら、僕は喜んで眷属になりたい」

「一度眷属になったら、もう人間に戻ることはできないのよ。それでも良いの?」

「良いんだ。覚悟はできてる」

「……あなたって、本当に馬鹿ね」


 ミラは僕の顔をじっと見ていた。やがて彼女は「分かったわ」と静かに言う。彼女に僕の気持ちは伝わったようだった。


「なら、先にやるべきことがあるわね」


 それは僕にも分かっていた。


「店の引継ぎだね」

「ええ、そうよ」


 彼女は頷いた。村に唯一の雑貨屋が無くなれば村の人間が困ることになる。そうはならないように雑貨屋を引き継いでくれる人間を探さなければならない。


「大丈夫、当てはあるよ」

「そうでないと困るわ」


 それから数日で雑貨屋の引継ぎは行われた。店を継いでくれたのは村長の家の次男坊で、僕の少ない友人の一人だった。


 そしてある日の夜、僕とミラは村を出発した。村を出て、凍った河へやって来る。もうすぐ季節は春になるというのに、北方の河はしっかりと固まっている。


「この河は全て固まっているのかな?」

「表面だけよ。厚い氷の下には今も河が流れているわ」

「流れる河は渡れないんじゃなかったの?」

「乗られるものがあればいいのよ。だから、村長にはたびたび言ってるけど、河を超えられるような橋を作っては駄目なのよ。お腹を空かせた吸血鬼がやってきちゃうから」


 彼女は冗談めかしてそう言ったが、それは事実だろう。ここに橋をかけたならば腹を空かせた吸血鬼が村を襲うのだ。そうならないように、彼女は冬が来るたびに村へ警告に来ているのだろう。


 足元が滑るので、こけないように注意して歩く。ミラは凍った河を渡るのも慣れたもので、時々こちらを振り返っては「大丈夫?」と声をかけてくれた。


「だ、大丈夫だよ」

「とてもそうは見えないけど……私の槍を使う? 杖の代わりにはなるでしょ」


 ミラはその手に持つ赤い槍を貸してくれた。少し恥ずかしく思いながらも、僕は赤い杖の助けを借りてなんとか凍った河を渡りきることができた。


 対岸にたどり着き、僕は槍をミラに返した。彼女はそれを受け取り「覚悟はできてる?」と訊いてくる。


「ここが人間の世界に戻ることのできる最後の場所。ここから先は吸血鬼の世界よ」

「できてるよ。覚悟はできてる」


 僕の返事を聞いてミラは肩をすくめた。


「覚悟はできてるようね」

「ああ」


 僕はその場にひざまずく。そして……そんな僕の首に彼女は噛みついた。


 あの日のことを僕は今でも覚えている。僕の世界が一変した日、人間の世界から吸血鬼の世界へと足を踏み入れた日。ミラが言ったように吸血鬼という生き方には苦しみがつきまとった。だが、少なくとも寂しさはなかった。苦しみも耐えられないものではなかった。


 僕の側にはいつも、寂しさも、悲しさも、苦しさも、共有できる人が居たからだ。


 これで二人の吸血鬼の馴れ初めは語り終えた。これ以上は、また別の話だよ。


 だから、おやすみ。僕の可愛い娘よ。


 寝物語はこれでおしまい。

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赤槍の少女と氷の河 あげあげぱん @ageage2023

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