左腕が死んだ日
大隅 スミヲ
第1話
煙草が酷く不味く感じた。
こんなことは、年に何度かある。
そのたびに、煙草を辞めようと思うのだが、結局はまた吸っている自分がいた。
ビルの屋上。
雲ひとつない冬空が広がっている。
日差しは強く、サングラスが無ければ、眩しくて目を開けていられないほどだった。
道具は全部そろっていた。あとは時が来るのを待つだけだ。
レジャーシートが風に飛ばされないよう、端に荷物を置いて固定する。
シートの上に腰をおろし、持ってきた水筒から紅茶を注いで飲んだ。
わたしはダージリンティーが好きだった。そこに角砂糖を三つ入れる。仕事前の糖分摂取は必須だった。
風は強くはないが、北から吹いてくるため、冷たかった。
なるべく体の熱を逃がさないように、胸元まで開けていた上着のチャックを首元までしっかりと閉めた。
手は薄手の手袋をしていたが、それだけでは指がかじかんでしまいそうだったため、使い捨てのカイロをポケットに入れて、それを握って温めていた。
口に咥えていた煙草が短くなり、灰を携帯灰皿の中へと落とす。
気分は悪くない。
精神は研ぎ澄まされている。
あとは時間が来るのを待つだけだ。
わたしはシートの上に寝そべり、空を見上げる。
サングラス越しに見える空は薄暗かったが、それでも気持ちの良い青空が広がっているということはわかった。
しばらく、空を見上げていたが、背後に気配を感じてわたしは起き上がった。
屋上への出入り口は施錠してあり、その鍵はわたしが持っている。
そのため、スペアキーを持っている警備会社の人間で無い限りは屋上には上がってこられないはずだ。
気配のした方へと目を向けると、そこには薄汚れたミリタリーコートを着た老人が立っていた。身長は低く、痩せ細った老人。一見すればただの老人だとしか思えないが、その目つきの鋭さは隠しきることができてはいなかった。
「また、あんたか」
わたしはその老人に向かって言う。
「あんたか……って、いつからそんな口を利くようになったんだ」
「前からだよ。確かにあんたの前では行儀良くしていたかもしれなけれどさ」
わたしは吐き捨てるように言った。
「ふん、偉くなったもんだ」
「都合のいい時だけ、姿を現すようなやつがよく言うよ」
「減らず口だな、嬢ちゃん」
「その呼び方、やめろよ」
「なんだ、怒ったのか」
「うるさいよ。怒ってなんかいない。ただ、その呼び方はやめろって言っただけだ」
「それが怒っているというんだよ、嬢ちゃん」
わたしは舌打ちをすると、老人のことを睨みつけた。
忌々しい老人だ。
この老人はわたしにとって疫病神でしかなかった。
「仕事の邪魔だ。さっさと消えてくれ」
「言うようになったな。それが師匠にいう言葉か」
「ふん、笑わせるな。なにが師匠だ」
「師匠だろう。お前に仕事のやり方を教えたのはワシだからな」
「都合のいい解釈だな。反吐が出る」
わたしの言葉に、老人は少し傷ついたような表情を見せた。
別にいいのだ。こいつは傷つくくらいがちょうどいいのだから。
わたしは自分にそう言い聞かせた。
「風があるな。こういう時は……」
「黙ってくれないか。死んだくせに今更のこのこと姿をあらわしやがって。邪魔をしないでくれ」
わたしがそう言うと、老人は寂しそうに笑った。
「もう一度だけ言う。わたしの仕事の邪魔をしに来るな」
強い口調だった。このくらい強い口調で言わなければ、老人には伝わらないのだ。
老人は寂しそうに笑うと、口を開こうとした。
しかし、それよりも先にわたしが口を開く。
「また、来る……なんて言うんじゃねえぞ。二度と現れるな、クソジジイ」
わたしの言葉に、老人は姿を消した。
どこからか電子音が聞こえてくる。そして左腕に伝わる振動。
スマートウォッチのアラームだった。
目を開けたわたしは、仕事の準備に取り掛かる。
また、あの夢を見た。
いつも仕事前に決まってみる夢だ。
スコープを覗き込み、ターゲットを探す。
高級ブランドのスーツを着た、背の高い男。
経営コンサルタントという肩書きを持ち、数多くの企業のコンサルティングを任されている。
ただ、それは表向きの姿。裏では、その仕事で得た金を使い、児童買春を繰り返すクズ野郎なのだ。この男は子どもには目が無く、ゲームのSNSなどを使って言葉巧みに子どもたちを誘い出し、毒牙にかけてきた。
死んで当然の男。
男に仕事を任せていた企業などは、優秀な左腕を失うこととなるだろう。
だが、そんなことは知ったことではない。
わたしも、これが仕事なのだ。
しっかりと狙いを定めると、わたしはトリガーを引いた。
※注釈
ビジネス用語では、会社の内部で社長などのサポートをしてくれる人を右腕と呼ぶ。それに対して、外部にいる会社をサポートしてくれる人を《左腕》と呼んだりする。
左腕が死んだ日 大隅 スミヲ @smee
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