気づかなかった蝉の鳴き声

フィステリアタナカ

気づかなかった蝉の鳴き声

『ご乗車ありがとうございます。次は終点、東京、東京。お出口は右側です。Thank you for traveling with us, and look forward to serving you again.This train terminated service at Tokyo.The exit will be on the right side of the train.』


  僕は二日間の大阪での出張を終え、本社へと向かっている。出張中、同期から「話したいことがある」と連絡があり、勤務時間外ではあったが彼に会いに行くことにした。


「あっ、お土産買ってない。まあ、いいか」


 東京駅から常磐線に乗り換え、柏まで行く。そこから本社までは歩いて二十分の道のりだ。夕日が沈む、夏の暑い中を歩いていく。普段は聞き逃していた蝉の鳴き声が聞こえた。


(話したいことって何だろう)


 本社ビルに着き、冷房が効いた通路を進む。三階に上がるエレベーターの中には僕しかいない。エレベーターを降りると受付には彼がいた。


「おう、おつかれさん。思ったより早かったな」

「まあね。ところで話したいことって」

「ここじゃ何だから会議室に行こう」


 会議室で話すということは、他の社員には聞かれたくない事かなと思いながら、彼の後についていった。


「まあ、座れや」


 会議室に入口に近い席に僕は座る。すると、立ったまま神妙な顔をして彼は言った。


「俺、来月辞めるわ」

「はっ、何で?」

「スカウトが来たんだよ」


 僕は驚くと共に納得した。社長の右腕として働いていたくらい優秀な人材だから、スカウトが来るのもあり得る話だと、そう思った。


「社名は伏せておくが、外資系のライバル企業に行く」

「そうか」


 僕は彼と共に入社したことを思い出し、いろいろな思いがこみ上げてきた。


「わかった。ありがとう、教えてくれて」

「すまんな。いろいろ考えたんだが、この会社に残っても未来がないと感じたんだよ」

「それは僕も感じる」


 正直なところ、この会社は潰れるかもしれない。真面目に働いていた社員は転職して出ていったし、仕事をしない人達は残っていたから。


「お前も早く抜け出した方が良いと思うぞ」



 あの日から一か月も立たないうちに彼はこの会社を去った。ダンボールのあったデスクの上も綺麗に片づけられ、本当に彼はいなくなったのだと。



 季節は秋になる。定時にあがる社員を横目に見て、僕は残業をし続けた。窓から差し込む夕日。夜のとばりが落ちていく中、TO DOリストを見直し、報告書など重要な仕事から取り掛かった。僕は寡黙に自分のやるべきことを淡々とこなしていく。


 時は流れ、クリスマス、正月と働いている中、社員の中で「倒産するのではないか」という噂が広がる。だが、みんな転職することもなく、僕と同じで会社に居続けた。


「今年は新入社員を採らないので、みんなそのつもりでやってくれ」


 二月、朝礼で社長からそのようなことを告げられ、社員のみんなは「ああ、ついにか」と、きっと思っていただろう。


「先輩、ちょっといいですか?」


 後輩の女子社員から「今晩夕飯を一緒に食べに行きませんか?」と誘われたので、会社についての相談だろうと彼女の誘いにのった。今日は残業を少しだけして、彼女と居酒屋へ行く。


「先輩はどう思いますか?」

「うーん。正直、マズいと思う」

「私もそう思います」


 居酒屋に入り、個室へ。


「先輩。ビールでいいですか?」

「いや、明日も早いから、烏龍茶でお願い」

「わかりました」


 彼女とは会社の話の他にプライベートなこと、大学の友達が次々と結婚していき、「私達の友情は何だったの」と思いつつも、このままでいいのかと不安に感じていることも聞いた。


「先輩はいい人いるんですか?」

「うーん、仕事ばかりしてたからね。まあ、独身でもいいかなって思っている」

「えーー、そうなんですか?」

「結婚できればしたいけど、出会いがないし無理かなって」


 二時間ほど話して、お会計へ。もちろん僕の奢りだ。


「いえ、誘ったのは私ですから、ここは奢らせてください」

「ここにお金を使うなら、その分良い化粧品でも買いなよ。焦っているんでしょ」

「まあ、そうですけど」

「いいじゃん。この先、何があるかわからないし、お金を大切にしなよ」

「それは先輩もです」

「そうかもね。でも使うところが無かったから貯金はたくさんある」

「すみません。じゃあ、お言葉に甘えて」


 三月、僕は不運にも交通事故に遭う。不幸中の幸いで命に別状はなかった。

 後輩は僕が会社に来ないので、不審に思い、彼女は僕を探してくれた。


「先輩!」


 病院で彼女と会い、「声が大きいよ」注意をした。彼女はいつもより興奮した状態で「お見舞いに毎日来ます」と言って、僕は笑ってしまった。


「そこまでしなくていいって。仕事に支障をきたすだろ」


 僕は会社のことが気がかりだったけれど、その日から毎日彼女はお見舞いにきてくれたので、会社の様子がわかり、不安な気持ちも薄れていった。


「はい、先輩。口を開けてください」

「大丈夫だって」

「右腕が使えないじゃないですか」

「そうだけれど」

「だから、はい。あーん」


 僕は使えない右腕を見ながら、同期のことを思い出していた。うまくやっているか、いや、社長の右腕をしていたくらいだから大丈夫だろうと。



 五月の上旬。後輩から会社が倒産したということを聞いた。



「先輩、私どうしたらいいですかね」

「うーん、そうだな。失業保険が申請できるから、少しの間は大丈夫だと思うよ」

「不安なんです。それが無くなったら、私スキルが無いので、働けるのか……」

「そうなんだね」

「先輩はお金あるじゃないですか」

「うん」

「奨学金を返さないといけないので、生活できなくなるかもしれません」


 酷い男だ。お金を貸して弱みにつけ込み、僕は彼女のことを手籠めにしようとしている。そんな自分がいることに腹立たしくなった。人としてどうなんだ。


「先輩。もしダメだったら、お金貸してくれませんか?」

「おいおい。お金の貸し借りをすると、友達でいられなくなるぞ」

「友達でいられなくても、先輩の傍にいたいです」


 僕の胸は高鳴った。あぁ、彼女のことが好きなんだ。そのことに気づき、段階を踏んでいないが、僕は彼女に提案をした。


「僕といたいなら、いっそのこと同棲する?」


 彼女は目を開いて驚き、僕の提案を了承してくれた。僕は退院をした後、引っ越しの準備をする。準備をするといってもベッドの他に冷蔵庫と洗濯機を処分するくらいだった。


「お世話になります」


 最低限の荷物だけ持って、彼女の部屋の中に入る。いい香りだなと思うと彼女は「夕食はあの居酒屋でいいですか?」と微笑んで僕に言った。


 彼女と同棲を始めてから二か月が経った頃、運命を変える電話が鳴った。


「もしもし」


 そう、同期の伝手でスカウトが来たのだ。


 七月の下旬、蝉の鳴き声が聞こえる中、新しい職場へと向かう。ビルの中に入ると受付で彼が待っていた。


「おっ、お疲れ。これからは俺の右腕として働いてもらうからな」

  • Twitterで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

気づかなかった蝉の鳴き声 フィステリアタナカ @info_dhalsim

★で称える

この小説が面白かったら★をつけてください。おすすめレビューも書けます。

カクヨムを、もっと楽しもう

この小説のおすすめレビューを見る

この小説のタグ