おっちゃんのクロノス・サブリエ
縁代まと
おっちゃんのクロノス・サブリエ
僕の叔父は熊のような風体の巨漢で、手の平なんて小学生の頃はグローブに見えたけれど、中校生になった頃にも十分グローブに見えた。
住んでいた場所はというと観光地とは縁遠い土地だったので、山遊びに飽きた時は叔父の家に入り浸ることも多く、お菓子は出るし色んな年代の本を読めるので僕は叔父を「おっちゃん」と呼んで慕っていた。子供らしい理由だろう。
おっちゃん自身も穏やかな人で、怒ったところを一度も見たことがない。
シルエットがそっくりな祖父は顔が厳つい上にしょっちゅう拳骨が飛んでくるタイプだったので真逆だ。反面教師にした結果だろうか。
そんなおっちゃんの密かな趣味を知ったのは僕が十五になった夏のことだった。
何もアブノーマルな趣味ってわけではない。
普段は鍵のかかっている部屋がその日はたまたま開いていて、興味本位で覗くと――小部屋いっぱいに煌びやかな道具や小物が並んでいたのを見つけたのだ。それは物語の中に出てくる魔法使いの部屋のようだった。
しかしおっちゃんと上手く結びつかない。ついさっきも畑仕事の後に塩おむすびを美味しそうに食べていたくらいだ。ほっぺたに乾燥した泥をくっつけたまま。
失礼ながらそんな人が持っている部屋に見えなかった。
なんとなく見てはならないものを見てしまった気持ちになり、僕は一旦部屋を閉めて忘れようとしたが、どうしてもあの部屋とおっちゃんのアンバランスな組み合わせが気になって終始心ここにあらずといった状態になってしまった。
そんな状態で夕飯をご馳走になっていると、おっちゃんが「何か心配ごとでもあるんか?」と訊ねる。甥が虚空を見たまま白米を頬張っていれば気になるのは仕方ない。
おっちゃんは純粋に心配してくれていて、ああここで話さなければ一生話せなくなってしまうな、と確信した僕は正直に白状したが――おっちゃんは怒るでもなく大笑いしながら「大丈夫や!」と僕の背を叩いた。
「何を深刻に考えとるんや。鍵を閉め忘れたんは俺やし、お前に入るなって言うたこともないやろ?」
だから怒ってへんよ、と言われて涙ぐんでしまう。
おっちゃんはそのまま有耶無耶にはせず、あの部屋について話してくれた。
「あそこはまぁ、俺の書架と同じような部屋や」
「書架と同じような?」
「趣味で集めとるってこと。――昔からああいう人の願いや願望の籠ったものが好きやったんや」
こういう効果があったらいいな。
こういう用途に使えたらいいな。
そんな願望の中でも現実味が無く、魔法頼りになったものが籠められた道具たち。
一種のマジックアイテムとして作られた、そんな存在が好きなのだとおっちゃんは語った。ただし本よりは一般人に受け入れられにくく、壊れやすく高価なものも多いため一部屋に集めて普段は鍵を閉めていたのだという。
本当にそんな効果があるものなのかと訊ねるとおっちゃんは「さあ?」と肩を竦めた。
「でもあったらええな、って作られた物やとしたら……それはそれで浪漫があるやろ?」
「ろ、浪漫」
「そういう浪漫を買うとるんや。まあこれは見た方が早いかな」
そう言うとおっちゃんは食器を片付け、僕を伴って例の部屋へと足を運んだ。
日が暮れて暗くなった部屋。けれど中に収められた物品たちは相変わらず目に眩しい。
物理的にびかびかと輝いているわけではないのにそう思うのは、これが浪漫を感じているということなのだろうかと僕は考え込んだが理解まではできなかった。
おっちゃんは様々なものを一つ一つ紹介してくれる。
幸せの重さを量ることができる秤。
覗くと対になった石から景色を覗けるペンダント。
クジラと話せるイヤーカフ。
異世界の天球儀。
どれもこれも精巧で綺麗だけれど少し胡散臭い。
それが良いのだとおっちゃんは笑った。
――この日を境に『おっちゃんの家へ遊びに行った日にやること』にこの部屋へ入れてもらうことが加わり、いつしかおっちゃんに説明してもらったり実際に使えたらどんなことをしようかとアレコレ考えて話し合うのが日課になっていた。
ただ、それが楽しくて友達付き合いが疎かになっていたせいだろうか。
ある日友達と大喧嘩した僕は逃げるようにおっちゃんの家へと向かった。
「きっとその子も一緒に遊びたかったんとちゃうかな」
「そうだとしても素直にそう言わず一方的に責めるのはアカンやろ。……もうええんや、高校卒業したらここ出てくつもりやし」
県を跨いで大学へ行くつもりだったので、友達はあっちで新しく作ればいい。そう不貞腐れた僕の肩を叩いておっちゃんが笑う。
「そうやって友達選ぶんも大切なことや。けどもしお前にも何か思うことがあるんやったら、その気持ちは蔑ろにせんようにな」
「……」
「ほら、ちょっと来てみ」
そう言って例の部屋へ僕を呼んだおっちゃんはそこで一つの飴玉を握らせた。
「これは自分に素直になれる魔法の飴! 一方的に言われて嫌やったんならお前もちゃんと伝えてみ?」
「――いや、これ市販のミカン飴やん」
「この部屋にあるものと一緒や。俺がそうあってほしいと願いを込めた飴やで」
「食べにくいわ!」
そう言いながら飴を口に放り込むと、想像していたより大分酸っぱくて久しぶりに笑った。
それからまた部屋のものについて話を聞くことになり、おっちゃんは宝石の散りばめられた小箱を手に取ると僕に蓋を開けさせる。中には細いチェーンの付いたガラス瓶が収められていた。
ガラス瓶には小さな砂時計が封入されており、その中に混じった青い石がきらきらと煌めいている。
「これは?」
「クロノス・サブリエや。持ち主の過去を見ることができる魔法具って言われとる」
おっちゃんはクロノス・サブリエを僕の目の高さまで持ち上げると軽く揺らす。
中の石が光を反射し、興味をそそられた僕は目を細めてそれを見た。もちろん過去は見えてこない。そもそも僕が持ち主じゃないしな、と無意識に思ったのは――効果が本当ならいいのに、という願望が僕の中にもあったからだろうか。
おっちゃんにもクロノス・サブリエで見たい過去があるのかと問い掛けてみると、おっちゃんは「ちょっとだけな」とはにかんだ。
「大切にしとる記憶でもいつの間にか埃まみれ錆まみれになっとるからな。鮮明に思い出したいってことはいくつかある」
「へー……」
「これを作った人にもそういうものがあったんかな、って思うと素敵やろ?」
――作った人の意図まで考えたことはなかった。
確かに素敵だし面白い。
そうクロノス・サブリエを凝視しているとおっちゃんが言った。
「きっとお前にもそういう記憶ができる。友達んとのこともな、今はしんどくてもいつか笑って思い出したくなる日が来るかもしれん。もし忘れたかったら忘れてもええんやけど……」
思い出す手段が手元にあるのってええもんやろ、と言って、おっちゃんはクロノス・サブリエを僕の手に握らせた。飴の時と同じように。
「これはお前が持っとき。お守りや」
「ええの?」
「お前なら大切にしてくれるからな」
おっちゃんがそう確信するほど長く居た。長く一緒に楽しんだ。
その事実とおっちゃんの心遣いが嬉しくて、僕は何度も頷いてクロノス・サブリエを大切に握る。
「おっちゃんはもう使わんの?」
「もう十分や。……あ、でも」
予備の豆電球をどこにしまったか探すのに使いたいな、と。
おっちゃんがあまりにも真面目な顔をして言ったので、僕は噴き出すようにして笑った。
***
それから友達に絶交覚悟で本心を打ち明け、和解してから数年。
希望していた大学に通うことになり、東京のアパートを借りて一人暮らしを始め、バイトを転々としながら生活していた。
中古のバイクを買って友達とツーリングすることも多く、充実した毎日を送っていたと思う。
もちろん親の仕送りで何とか持ち堪えた月もあったし、安売りしていたキャベツで三日持たせたこともあった。課題もキツかったように思う。
目移りするような楽しいことも山ほどあって――けれど、おっちゃんの家で見た浪漫の輝きと同じものが目に入る機会はほとんどなかった。
それでもいいと思えたのは周りがずっと別種の輝きで満たされていたからだろうか。
過去の気持ちを蔑ろにしているようで、ほんの少しおっちゃんに対して後ろめたい気持ちを抱きながら過ごしていた。そんなある日のことだ。
僕はバイクの事故で入院することになった。
失ったのは指を数本と入院費や治療費、単位、そして記憶の一部。
ある程度のことは覚えていたので体が健康に戻ってからは自分にできる仕事を探して必死に働き、なんとか大学卒業まで漕ぎつけた。
失った記憶は大体が遠い過去のことで、それがなくてもまあ普通に生活できるなと開き直って毎日を過ごす。おかげで精神的なダメージは軽く済んだ。
けれどずっとずっと取り戻せない何かがあるような、そんな引っ掛かりを心の中に感じながら。
その引っ掛かりは次第に大きくなり、過去が無いということは自分の大切な支柱がないことだと思い知った。僕の支柱は根腐れを起こしてもはや影も形もない。
そんなものの上に築き上げた今の僕はとても不安定で矮小だった。
何度目かの夏が巡ってきたその日。
田舎の叔父が亡くなったと一報があり、久しぶりに――本当に久しぶりに帰郷することになった。
一番最初に思ったのは「面倒だな」だ。
会ったこともない親戚の葬式に向かうのは気が重い。
そう思いながら準備をしていた時だった。荷造りのために普段使わない棚を開けた時、見慣れない小箱が出てきたのだ。簡素だがしっかりとした作りで、もし事故以前の僕が持っていたものだとすれば大切にしていたんだろうなと察せるものだった。
これまでも何度かそういった物品に出会ったが、これはその中でも特に大切なもののように感じる。
恐る恐る開けてみると、中に入っていたのは細いチェーンの付いたガラス瓶だった。
ガラス瓶には小さな砂時計が封入されており、その中に混じった青い石がきらきらと煌めいている。
クロ……。
クロノス・サブリエや。
指で挟むように摘み上げ、内包された輝きに目を凝らした瞬間――僕の頭の中に過去の様々な記憶が蘇ってきた。
砂粒のように価値がないように見えるものから宝石のように煌びやかなものまで様々だったが、どれもこれも大事で大切なものだ。
そうやって僕の手元にようやく戻ってきたのが、先ほどまで追体験していたおっちゃんとの思い出だった。
「鮮明に思い出したいこと……、きっとお前にもそういう記憶ができる……」
あの日おっちゃんが言っていた言葉を反芻する。
まさかこんな日が来ると予想して言ったわけではないだろう。けれどあの言葉に籠められた願いは僕の目の前で現実になった。
おっちゃんと一緒に不思議な道具に想いを馳せ、言葉を交わし合った頃の純粋な想像が頭の中から飛び出したようだ。――そう感じた瞬間、クロノス・サブリエの煌めきがやたらと眩しく感じ、ああ懐かしいなと感じる。
懐かしいという気持ちさえ懐かしい。
僕に過去、支柱が返ってきた。
――実際のところ、本当にクロノス・サブリエのおかげで記憶が戻ったのかは僕にはわからない。
けれどこのガラス瓶に触れた瞬間に大事なものを取り戻せたのは事実だ。それは不確定で不鮮明だが魔道具に籠められた願いと同じ種類のもので、だからこそ僕は大切にしたかった。
おっちゃんがそうしていたように。
(あの部屋はまだあるんやろうか)
今しがた見てきたばかりのようなのに、酷く長い間見ていないような気もする思い出の部屋。
おっちゃんが死んでしまったという事実も過去を思い出したせいで上手く受け入れられなかったが、これでいい、この方がいいとも思えた。
会ったこともない知らない叔父の葬式として出るのではなく、おっちゃんの葬式として、おっちゃんを悼みながら見送りたい。僕はその方がいい。
部屋の浪漫とおっちゃんとの思い出を搔き集めに行こう。
そしておっちゃんを見送ろう。
――その機会をくれたクロノス・サブリエを大事に握り、僕は故郷へ戻る電車へと飛び乗った。
胸の中に息づく確かな過去を抱いて。
おっちゃんのクロノス・サブリエ 縁代まと @enishiromato
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