祝福は糸に宿りて紡がれし

塩谷さがん

第1話

 ふわり舞い散る糸くず。はらり落ちる布。そして現れる裸体。一瞬ののち甲高い叫びが耳をつんざくと共に、私は空を見上げて現実から逃れようとしていた。







 この世界には祝福と呼ばれる、個人がひとつだけ持つことを許される魔法が存在していた。炎や雷を操ったり、物を浮かせたり、人よりも早く走れたりと身体強化を行うことの出来る魔法まで多岐にわたる。


 そうして私に宿った祝福は、糸を操る。というものだった。両親は小さな街で仕立て屋を営む家系であった。私の祝福が分かった時、それは大層喜んだそうだ。私も朧げながらも喜んでいた両親の記憶がある。分かったのはまだ四歳かそこらの時の出来事で、滅多に出ないご馳走が並ぶ食卓を前に意味も理解せず喜んでそれを食べた。


 祝福が分かってからと言うものの、これから魔法を操れるように、と母から可愛らしい人形と布をもらった。針の使い方は両親の仕事を眺めていたためにすんなりと覚えられ、人形に一着服を作ってやると小遣いを貰え、それに喜び新しい布を買い、また一着、また一着と人形の服は増えていった。


 十歳になる頃には両親の仕事を手伝うようになり、自分で初めて一着のドレスを仕立て上げた時は達成感を感じたものだった。


 けれど、いつからかここに死ぬまで居るのか? と思い始めたのだ。小さな街の片隅の、小さな自分の工房。ちまちまと服を縫うのは好きだった。私が大人しくしていればきっと見合いの話でも来て、結婚して、子供を産み育て、店を継いで、そうして細々と死んでゆくのだろう。


 漠然と自分の未来を予想してみて、それはときめかないな。と考え、十六の誕生日の前日に家を出ることにした。もちろん両親には内緒で。


 互いが互いを監視し合うような田舎に呆れもあっただろう。自分が子供の頃からの付き合いの人間が、自分に女を見出し始めていることへの不快感もあった。思春期というやつなのかしらん。なんて思いはしたが、決めたのならばそれまでだ。


「さらばだ。クソ田舎よ」


 ぼそりと呟く。ちょきん、と糸切りばさみを使い糸を切った。


 自分の工房で、最後の仕事と決めていた服を仕立て上げた。服を掲げてにんまりと笑みを浮かべる。いい出来だ。


 もう夜も遅い。作業台に置いておいたランプを手に自室に向かう。両親はもう寝ていることだろう。自室に帰りつき、クローゼットにしまっておいた大きく膨らんだ肩掛けのかばんを取り出し肩にかける。壁にかけてあった外套を羽織り、ランプの火を消した。机に両親への手紙を置き、前世の習慣での神頼みのように両手を合わせた。


 机の隅に置いてあった少々古ぼけた人形は、初めて作った服を着ていた。まだ拙いながらも、母が褒めてくれたことを思い出し、あの人たちをよろしく。と頭を撫ぜた。


 窓を開けて窓枠に足をかけて外に飛ぶ。一階なので大した高さでもない。皆寝静まっているだろう。誰の目も気にせずスキップしながら石畳の路地を進む。街の広場では夜明けと共に乗り合いの馬車が発つはずだ。時間はまだあったが、少し早めに行っておこうと決めていた。


 広場に近づくと少しだけ人の喧騒が溢れてきた。酒屋もちらほらある通りだ。私も朝を迎えれば晴れて十六歳。酒だって飲もうと思えば飲めるはずだ。


 が、今は馬車に乗るのが最優先事項。ひとつの馬車の御者席で酒瓶片手の老爺に話しかけた。


「申し訳ありません。こちらの馬車、首都方面でしょうか?」

「首都はあっちだよ。あそこ、青い外套にキャスケットのやつ」

「ありがとうございます」


 老爺は片手をあげ、私も片手をあげ別れる。老爺に教えられた御者席で船を漕いでいる男性に話しかけ、首都方面とのことを確認し料金を払い、馬車に乗り込む。屋根付きだが風を完全に防げる訳でもないので、秋は夜冷えするものだ。寝てしまおうか、とかばんを抱きしめて外套のフードを深く被った。


 最後の仕事に集中していたこともあり、あっさりと意識は遠のいていった。







 がだん、と大きな揺れで目覚めた。一瞬自分がどこにいるのか理解できなかったが、なんだか騒がしい。と共に私のフードと髪を誰かが思い切り引っ張り、いでっ、と声を上げる。


「お前! 早く逃げろ!」

「え? え?」

「魔族の狩りに巻き込まれたんだ! 早く立て!」

「わ、わかりましたから! すみません頭!」

「あ、わり!」


 立ち上がって男性に続いて馬車から出ようとすると赤い飛沫が上がる。目の前の男性の首が地面に転がる。そうして、目に入ったのは赤い飛沫を浴びた白狼の獣人。魔族側の亜人だった。


 白い毛並みに鋭い瞳。青を基調とする優美な服を着ているのに血飛沫なぞどうでもいいとでも言うように、その獣人は剣を振おうとした。青い瞳を見つめながら、私は咄嗟に祝福を使う。


 しゅる、と小さく音を立てながら糸が解けてゆく。ふわりと布から抜けた糸くずが宙を舞った。留めるものが無くなった布ははらりと地面に落ちる。そうして白狼の獣人は、一瞬固まり、自身の現状を確認し。


「きゃああああああああ!!!」


 男性の野太い声なのになぜか甲高い。女性のような悲鳴だなあ。と空に飛んでいった悲鳴を一瞬見上げ、視線を戻し呆然としてだが体毛に覆われている裸体を見つめる。


「見るなあああああ!!!」

「あ、はい」


 がらん、と剣が地面に落ちたのを確認したのち、さ、と目元を手で隠し、恐らく布を拾い集めているらしき布ずれの音がし、しばしの静寂の後、尋ねる。


「見てもいいですか」

「見るな」

「見ます」

「見んなって言ってんだろ!」


 布を被って震えている犬っころのような白狼の獣人。ぴんと立った耳には青いピアスが右耳に見える。青い瞳には今涙が灯っていた。人間だったのならば顔が赤くなっていたのではという恥じらいよう。尻尾はぶわっと膨らんでもふもふと震えている。


 体は大きいがこう怯えたように縮こまられると、なんだか向こうが加害側なのにこちら側に非があるようじゃあないか。と罪悪感に苛まられる。


 周りを見れば大惨事。私以外の人間はほぼ死に絶えている。いやもしかすれば逃げおおせた人間もいるかもしれないが。


 先ほどお亡くなりになられた男性に掴まれた頭をなんとか直しつつ落ち着こうとする。ふう、と息を吐いてから白狼の獣人に話しかけた。


「あのう」

「なんだよ!」

「その服繕うのを対価に見逃してください」

「嫌だお前は殺す!」

「じゃあ全裸でどうぞお帰りください」

「……繕え」

「絶対殺しませんか」

「し、ない」

「じゃあその剣預からせてください」

「なんなんだお前は! 分かったから繕え!」


 血まみれの剣をとりあえず拾い上げ、布を獣人から取り上げる。ぎゃんぎゃんうるさくて敵わなかったので私の外套を代わりに投げる。


 惨状を免れた少々遠くの道に布を広げて大体の形を把握する。座れそうな石を持ってきて剣を地面に突き刺し、それを背にして座りかばんからソーイングセットを取り出した。先ほどほぐれた系を魔法で回収し、復元作業を始める。


 近くには死体が転がっているというのに、鳥の鳴き声や風の音だけが耳を通り、長閑である。


「お前、何の祝福持ちだ」

「糸を操る」

「……地味だな」

「一応縫製で生計立てていたので、結構役立つ時はありましたよ」

「お前、俺が怖くないのか」

「どこの誰殺そうが勝手にしたらいいですよ。私には関係ない人々でしたから」

「随分と冷血だな」

「あんたには言われたくないんだけれど」


 思わず素で突っ込んだが、獣人は私の外套を羽織り縮こまったままだった。


「いやーすみませんねえ。狩りの邪魔をしてしまい」


 へらへらと後頭部に手を添えながらそう言えば獣人はぐるると唸り声をあげた。


「あの死体って食べるんですか?」

「……人間の肉はあまり旨くはない。ただの狩りだ」


 敵意は向けては来たが雑談に興じてくれはするらしく、作業しながらぽつぽつと話をぶつける。


「狩りって何でするんですか?」

「……人間のお前に教える筋合いはない」

「下着で帰りたいですか?」

「ぐう……魂を集めるためだ」

「へー、なんかいいことあるんすか」

「なぜ初対面のお前にそこまで語らなければならんのだ」


 まあ超えちゃあいけない一線はあるか。と別の話題に映る。


「獣人族って初めて見ました。こちら側にも少数は居るとは聞いたことはあったんですけれど」

「ふん、あんな腰抜け同族だとも思わん」

「お名前なんですか?」

「教え」

「下着で帰りたいですか」

「マイティだ!」


 白狼の獣人、マイティは威嚇してはいたが私にすれば前世でいたポメラニアン。ふふふ、と微笑ましく笑っていると余計威嚇される。


 太陽の傾きを見るに、朝の十時かそこらか。と当たりをつける。夕方までには終えられるだろう。が、結構シンプルながらも複雑な服なので、腕がいい仕立て屋が魔族の住まう地にもいるのだろう。


「ここ、魔族の住まう土地からそこまで近くないですよね。よく見つからず来れましたね」

「出会ったやつは殺しただけだ」

「出張お疲れさまでーす」

「馬鹿にしてんのかテメェ」

「魂集めるのにも成績とかあるのかなって」

「……あるが」

「へー、現場兼営業マンですね」

「お前本当にそれで馬鹿にしてないのか?」


 服が形を取り戻し始め、太陽が天辺近くになってゆく。


「マイティさん、この剣もらってもいいですか」

「お前がそれを担げるのならばな」

「無理っすね」

「俺以外に使えぬ加護もある。持てようが無理だ」

「じゃあ最初から無理って言ってくださいよ」

「はん」


 こいつ余裕出てきたな。服が形になったら反抗するかもしれん。釘を刺しておこう。


「一応言っておきます。私を殺そうとしたら死ぬ間際に糸をまた解すので全裸でどうかおかえりください」

「お前鬼畜だな」

「あんたに言われたくねえ」


 つくつくと繕い続けて夕方に差し掛かろうという頃、服がなんとか元通りになった。はいどうぞ。と服を私の外套で縮こまっているマイティに渡す。そうしてふわり、と一本の長い糸が視界の隅に見えた。


「あ、待ってください。糸一本どこか縫い忘れたかも」

「まだかよ。縫いもんってえのも時間がかかるもんだな」


 その糸を掴もうとしたが、手からすり抜けて宙を舞ったままだ。あれ? と思いつつ自分の方を確認すると、左手の小指にぐるぐると赤い糸が絡まっていた。


 それにさあ、と血の気が引く。マイティ方面に糸が靡いているのもあり、まさか、まさかと考える。


「マイティさん」

「んだよ」

「両手、出してくれませんか」

「は?」

「解しますよ」


 渋々と言った感じでマイティが両手を出す。左手の薬指に、赤い糸がぐるぐると巻かれている。

 これって、これって。


「嘘だろぉ?」

「ああ? 何がだよ」


 運命の赤い糸だっていうのか? 赤い糸は嘲笑うかのように、掴めず、触れず、ただ宙を舞いながら黄昏の空に浮いていた。


 今世で初恋もまだの私にこいつとくっつけと申すのか。と私は赤い空を見上げて笑みを深めた。


「バカヤロー!!!」

「うるせえな、馬鹿野郎はお前だろうが!」


 うう、と泣き出した私にマイティは呆れ返ったような雰囲気を醸していた。


「……お前、名前は?」

「アルテンシアです……」

「……はあ、お前早くどっか行け」

「へ」

「殺さねえ約束だ。もう二度と会いたくねえ」

「で、でも」

「なんだよ急に女々しくなりやがって」

「私多分、あなたと居なきゃ幸せ掴めないっぽくて」

「ああ? わけわからんこと言いよるな。ほれ、どっかい」

「うわああああああ!!!」

「ぎゃああああああ!!!」


 私が泣き出してしまい、魔法が暴走し、復元した服はおじゃんになった。早く直せ直せとうるさかったが馬車に籠城を決め込み、マイティは私の外套ひとつで夜を過ごすのだった。

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