第3話

 遊具が撤去され、ほぼ空き地と化した公園。

 時間は21時。


 月のない夜に、俺は指定された小さな公園で悪魔ベルと一緒に、峰岸を待っていた。

 ベンチに座る俺を、頼りない1本の街灯だけが照らしている。

 俺の頭上を飛び回る悪魔ベルは、イエローオレンジ色の目を爛々と輝かせていた。


「お前、俺が1度死んでいると知っていたな?」


「そうでなければ、わざわざ契約で“本来の”寿命の半分だなんて言わないさ」


 ロリ悪魔のベルは可愛らしい声で、しかし可愛くないことを言う。


「……お前に渡された俺の寿命は、何年分だ」

「ざっと40年分だ」


 となれば、俺の享年は90歳ほど。

 俺が本来死ぬはずだったのは、一昨日の夜じゃない。

 ますます峰岸の話に真実味が帯びてくる。

 俺はきっと、犯人Xに間接的に殺されたのだ。



「ごめんなさい、待ちました?」



 ヴヴヴと低い羽音が、頭の中で鳴り始める。

 まるでデートの待ち合わせで遅れたように言いながら、真っ暗闇から峰岸が現れた。


 ヒラヒラした白色のブラウスに、胸元には大きなリボン。

 太ももすら隠せないタイトな黒スカートで、厚底ブーツを履いている。


 カラコンだろうか、メガネの奥に見える赤い双眸が俺を見ていた。

 ツインテールにして露わになった右耳から、ばっちばちに飾られたピアスが街灯でキラリと輝く。


「私、かわいいですか?」


 笑顔の峰岸が腰を曲げて、まるで怪異のように尋ねてくる。

 見た目は可愛いと思うが、峰岸の性格は好きじゃない。

 質問を無視して、更に笑顔になった峰岸を真正面から見る。


「……犯人Xについて話すんだろ」

「ええ。結論から言えば学校にいる契約者Aは、おそらく犯人Xではないと思うの」


「根拠は?」

「ミチル君が今、生きていること」


 峰岸がベンチに座り、俺の横にくる。


「私がXなら、拒絶した事象が契約通りに叶ったか確認するわ。そして生きている家族を見て察する。他の契約者によって上書きされたんだってね。それは誰か? 有力なのは家族である貴方」


「確かに俺でもそうする。間違えによるデメリットはないし、まずは宣言してみるだろうな」


「だけど事故から今日まで、ミチル君に近づく不審者はいなかった。つまりXはミチル君を知らないか、契約で得た能力によってミチル君の家族を殺したと推測できるわ」


「それがどうして、学校にいる契約者Aが、犯人Xじゃない理由になるんだ?」


「ミチル君、学校で耳鳴りが止まなかったって言ったわよね? それは多分、観察されていたから。Aはまだ、契約者を特定できていないのよ」


 なるほど。

 契約を続行するためには、他者の契約を破棄させることで得られるエネルギーが必要だ。

 それを得るために、俺たちは戦いに巻き込まれている。

 契約者と契約内容が推測できるなら、そもそも観察などしないで倒そうとするだろう。


「生きていてほしくないほどの拒絶って、とても重い感情よ。だからAが犯人Xなら、貴方は今頃、死んでいるはずだわ」


 峰岸が立ち上がり、俺の前に来て右手を差し出してくる。


「犯人Xの狙いは分からないけど、私たちには仲間というアドバンテージがある。エネルギーは必要だし、まずは契約者Aを見つけましょう。差し当たって――」


 その手を取ろうか迷っていると、峰岸は俺の上空に目を向けた。


「ベルちゃん、協力してくれますよね?」

「ああ海。利害は一致しているからな」


 ……海というのは、峰岸の名前だろうか。

 俺も知らない情報なのに、ベルは初めから知っていたように返した。

 峰岸が俺の右手を掴んで引っ張る。

 つんのめるようにして立ち上がると、ニヤニヤして笑うベルと、笑顔を張りつけた峰岸が視界に映る。


「ミチル君にも紹介しないとね。これが私が契約した悪魔、ラブよ」

 パンッと手を叩くと峰岸の隣に、さっきまではいなかった女の子が現れた。


 黒いゴスロリドレスを着た10歳くらいの女の子だ。尻尾が生えているから悪魔だろう。

 だがベルと違い、その悪魔には翼が生えていなかった。


「……執念深い悪魔のラブよ」


 ラブと名乗った悪魔はそれだけ言って、口を一文字に結んでぷいっとそっぽを向いた。

 ひどく不機嫌な様子だった。


「ミチル君には、索敵範囲の7mを体で覚えてもらいます」


 峰岸がそう言って、俺から離れていく。

 それから深夜0時を跨ぐまで、俺は悪魔2人を使って7mを体で覚えさせられた。







 翌日。

 土曜日の午前授業を受けるために、7mをマスターした俺は学校に来ていた。

 基本的には全員参加だ。

 峰岸が7m範囲内にいるから当たり前だが、低い耳鳴りがする。



「やべ、筆箱忘れた。ミチル、ペンと消しゴム貸してくんね?」

「お前、学校に何しに来てんだよ」


 いつも通り振る舞いながら、隣に座る翔太に筆記類を貸してやる。

 疑いたくはないが、昨日ずっと行動していたのは翔太だ。

 契約者Aがクラスメイトなら、可能性が高いのは……。


【確かめる。黒板に向かって歩いてくれ】


 スマホを取り出して、俺は峰岸にメッセージを送った。

 峰岸がスマホを見て、頷いて立ち上がる。


 俺の席と黒板までは7mを超える距離だ。

 もし峰岸が離れていても耳鳴りが聞こえるようなら、俺の半径7m以内に契約者Aがいることになる。

 峰岸がゆっくりと歩き、黒板に貼られたプリントの前で立ち止まる。

 手にしたままのスマホで、俺は峰岸に再びメッセージを送った。



【聞こえる】



 依然として、低い耳鳴りが鳴っていた。

 聞こえてほしくなかった。

 翔太が契約者Aだと確定したわけじゃないが、その可能性がぐっと高まった。

 俺は絶望したまま、1時間目の授業を受けた。




 翔太は良いヤツだ。

 素直でムードメーカーの幼馴染だ。

 顔も学力も平均的で、突出した何かもない、だけど俺よりずっと人間ができた友達だ。

 仮に契約者Aが翔太だとして、だとすれば拒絶した内容は、平穏な生活を脅かす何かだろう。


 そうじゃなければ今頃、性格的に翔太はスターか何かになっているはずだ。

 もしかしたら俺と同じように、誰かの死を拒絶して、幸せの中にいるかもしれない。

 俺はコイツから幸せを奪えるのか?

 無理だ。


 俺の半径7m以内にいる別の友人と談笑する翔太を見ながら、頭を抱える。

 峰岸が黒板を消しているその奥、廊下を歩く生徒をドア枠越しに見て、気が付く。


 低い耳鳴りが止んでいた。



「なあミチル、消しピンやんねえ?」

「やんない! ちょっとトイレ!」

「あートイレね。俺も行こうかなあ」


 慌てて立ち上がり、俺は教室を出て廊下に立った。

 階段を下りていく生徒の後ろ姿が見える。

 振り返って見れば、隣の教室はもぬけの殻だ。


「隣のクラスのヤツか……!」


 廊下で自席を横に立ち、空になった隣の教室に向けて歩き始める。

 7m。

 隣の教室の2列目までは、俺の索敵範囲だった。


「なあ、何かあったのか? お前、昨日からちょっと変だぞ。もし峰岸さんとうまくいってないなら相談に乗るぜ。俺、彼女できたことねえけど」


 翔太が心配そうな顔で言った。

 俺は心底コイツが契約者じゃないことに安堵して、思いっきり翔太を抱きしめる。


「峰岸は彼女じゃねえ」

「あー。悪いけど、俺は女が大好きだ。特に太ももが。お前とはずっと友達だぜ」




 終業ベルが鳴り、クラスメイトが休み時間で動き始めると同時。

 廊下が騒がしくなり、理科の教科書をもった生徒が歩いてくる。

 上下階のクラスが2時間目に移動していないことは確認済みだ。


 この中に契約者Aがいる。

 ドアの近くに立って顔を見ることもできたが、不審な行動はAに俺が契約者だと教えるようなものだ。

 よって峰岸から離れて教室の後ろで立っていると、低い耳鳴りが聞こえ始めた。


 鬱陶しいと感じていた耳鳴りが聞こえることに、これほど喜びを感じるとは。

 小さくガッツポーズをして、峰岸にメッセージを送る。


【契約者Aは、隣のクラスの前列か2列目だ】

【そう。ゆっくり追い込んでいきましょう】







 放課後。俺は友人の翔太と直也の3人で、学校から家までの道を歩いていた。


「土曜の授業はリモートにしてほしいよなぁ」

「僕は皆と喋れるの嬉しいけど」

「うわっはぁ! 直也がデレたぞ! 聞いたかミチルゥ!」


 ローテンションの直也とハイテンションの翔太がふざけあう。

 悪魔と関わって3日。

 非日常を味わい続けたからか、友人と過ごす時間がとても甘く感じる。

 が、すぐに苦味へと変わった。


 峰岸は用事で学校にいるはずなのに、低い耳鳴りが聞こえ始めたからだ。

 俺の半径7m以内に、敵がいる。前方に人はいない。

 俺たちの後ろにいるんだ。


 だが、不自然に振り返ることはできなかった。

 俺に聞こえている以上、敵も俺に気が付いていると考えるべきだ。



 初夏の太陽が照り付ける中、黒い画面のスマホを目の前に掲げ、反射させて後ろを見る。

 確認できたのは4人。反射で見ているせいか、距離があやふやだ。


「あやふやなら、確かなものにすれば良い」


 小さく呟いて前方の自販機を通り過ぎ、そこから7m数えて、もう1度スマホを掲げる。

 俺と自販機の間にいる人間は、3人。

 内2人は制服で、もう1人は私服のようだった。


 ……学校から出て、すぐ他の契約者に合うとは考えにくい。

 敵は契約者Aだろう。

 となれば、制服を着た2人のどちらか。


「……」


 契約者Aは、俺と翔太のどちらかが契約者だと考えているに違いない。


 Aは昨日の昼、教室に残った峰岸ではなく、学食に行った俺と翔太を追った。

 峰岸も契約者だと気づけずに俺たちを追ったことから、Aの索敵範囲は、俺とAの距離+俺から峰岸までに満たない距離。

 7+6で、最大13m以内だと推測できる。



 Aは一方的に観察できるはずだし、俺なら2人に絞れた時点で、距離を取って観察する。

 でもAは近づいてきた。

 それはきっと自信の表れ――Aは強気で積極的な人間だ。



「なんか顔暗くない?」


 どうやら俺は、思った以上に顔に出やすいらしい。

 平静を装っていたはずなのに、翔太が俺を見て眉をひそめる。


「……後をつけられている」

「誰に? 峰岸さん?」


 直也が尋ねてくる。

 どうしてアイツがでてくるんだと思ったら、翔太が気まずそうな顔をしていた。


「あー。それ、俺の勘違いらしい」



 ただ、後をつけられていると言って「気にしすぎ」とか「被害妄想」とか言わないあたり、やっぱりコイツらは良いヤツだ。

 翔太が立ち止まり、それに釣られるようにして俺と直也も足を止める。


「俺が追っ払ってやるよ」


 男らしく言った翔太に「え?」と聞き返す暇もなく、翔太が後ろを振り返る。

 そして人差し指を突き出して、大声で叫んだ。



「おい! バレてるぞ! ストーカーは止めろっ!」

「ばかっ、やめろ!」


 伸ばされた翔太の腕を下ろさせるが、もう遅い。

 俺たちが通ってきた道を見れば、後方にいる2人の男学生の声が聞こえた。


「何? 中二病?」

「やべぇヤツ何じゃね?」


 そんな会話をして歩いてくる。

 男生徒が俺の7m以内に入ってくるが、耳鳴りはしない。

 耳鳴りがしない?

 となれば敵は――。


 10mほど空いて、俺たちと同じ様に足を止めているヤツがいた。

 デカいリュックを背負ってグラサンとマスクを着けた、金色で短髪の細い男だ。

 男は何も言わず、振り返って歩き始める。


「え、まじでストーカー?」

「てかあの恰好、不審者の代名詞じゃん」


 翔太と直也が呟く。

 俺の内心は穏やかじゃなかった。



 契約者Aは学生だが、俺の高校では金髪は許されていない。

 つまりコイツはAじゃない。

 俺を契約者だと知っている人物――もしかして、犯人Xか?

 震えながらスマホを取り出して、自販機の横を通りすぎる背中をカメラで撮る。


【犯人Xかもしれない】


 そう言葉を添えて、峰岸に写真を送る。

 嫌いだとか言うわりに、俺は峰岸を頼りにしているのかもしれなかった。





 その日の夜。

 悪魔ベルがいない自室で、俺のスマホが着信音を鳴らした。

 画面の中央に出ている名は、峰岸。

 ベッドにダイブしてから指をスライドして電話に出ると、峰岸は開口一番、こう言った。


「契約者Aが誰だか分かったわ」

「……、本当に?」

「ウソをついてどうするんですか」


 電話の向こうで、くすりと笑って峰岸が答える。


「どうやって突き止めたんだ?」

「決め手は、ミチル君が送ってくれた写真でした。あれ、Xじゃないですよ」



 スピーカーにして、俺が撮った写真を表示する。

 映るのは大きなリュックを背負った、金髪の男だ。


「隣のクラスに、金髪の男なんていないぞ」

「……ミチル君、本気で言ってます? 歩き方とか見ませんでした? 足元を拡大して、よく見てください」



 言われるがままに写真を拡大して、男の足元を見る。

 だけど、これがどう決め手になったのか、まるで分からん。

 黙っていると、峰岸が呆れたような声で喋りだす。


「地面に着いた左足、内側に向かっているでしょう? それにこの靴裏の模様も、私のローファーと一致しました。Aは女学生です。髪はウィッグね」


 言われてみれば確かに、内股だ。

 変装していたってことか。

 大きなリュックの中には、学生カバンや制服が入っていたのかもしれない。


「隣に映る自販機も決定的でしたね。自販機の全長は土台を合わせても200cmほど。比較する物があれば、身長を推定するのは簡単。およそ165から170cmね」


 峰岸の特定力に絶句する。



「私ってばぼっちだけど、知り合いがいないわけじゃないの。だから聞いたわ。該当する人はただ1人。隣のクラス前列の中央、北川詩織さんよ」


「北川詩織……」


 まるで知らない名前だ。

 だが知らない方が良い。

 躊躇うことなく『宣言』できる。


「次は、ソイツが何を拒絶したかを探らないとな」

「そのことなんだけど」


 女と見抜き、身長を推定し、それだけでも驚いていたのに、電話の向こうの峰岸が更に情報の暴力で殴ってくる。


「本名や学校行事で調べてみたら、詩織さんのSNSアカウントを特定できました。コスプレアカウントもね。もう家だって分かるわ」



 もはや笑うしかなかった。

 真のストーカーは北川詩織じゃなく峰岸だ。


「SNSの呟きで、『自由に動かせる体って最高』とあったの。おかしいわよね。彼女、入院歴も無いのに。何の脈略もなく言うかしら?」


「……北川が拒絶したのは、『自由に動かせない体』ってことか。……それ、俺たちが宣言したら――」


「動かせない体に逆戻りして、魂は悪魔に喰われるわね」


「……なあ。今回は、宣言するの止めないか?」


「あはははははっ!」



 何が楽しいのか、峰岸が大笑いする。

 そして一瞬おいて、ひやりと冷たい声をだした。



「ミチル君なら、そう言うと思いました。だから私、特定したアカウントにメッセージを送ったの。『今夜0時、校庭で待っている。私が拒絶したのは、最も愛する人との別れです』ってね。きゃあ大変。このままじゃ宣言されて、私たち終わりよ。……もちろん助けてくれるわよね。私だけの王子様?」

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悪魔で拒絶し、夢を視る。 伊吹たまご @ooswnoy

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