はぐれていく 第ニ章 平成

鈴木 優

はぐれていく 第ニ章 平成

    はぐれていく

          第ニ章 平成

        

 アレから七年 時代も昭和から平成に変わっていた 


 あの最後に見た花火の現場も、今では誰もが知っているであろう TDL東京ディズニーランドだったのを後から知った

 建設資材を運ぶ運転手のアルバイトをしている時に、一度だけ行った事があるが、その時は未だ埋め立て整地が終えた位の時期だった気がする

 広大な土地に、土盛がしてあって所々 大きな穴?が掘られていた状態だった

 ただ、今までに無い大きなテーマパークを建設していると、現場の職人達が言っていたのを思い出す

 特段、興味も無かったし、そもそも当初は仮の名称だったと思う 確か、東京オリエンタル何ちゃらかんちゃら? 入り口には、大手ゼネコンの名を記した看板があって、彼方此方で建設機械が作業をしていた

『正に、夢の島ジャン』

 でも、臭かった あちこち目につくゴミ袋の切れっ端に廃棄されたタイヤの破片

『アソコがこうなったのか〜』

 俺が観ていたのは、お城と山だったって事みたいだ でも未だに違和感 千葉なのに東京? 訪れる人達はそんなの気にしていないようで、大した盛況らしい

 

 こっちに帰ってから、自分は夢をみていたようで、勝手にあの時のままだと思っていたが、周りはかなり変わっていた 浦島太郎?状態

 六畳一間の、あの貸間もない 勿論 裕美の姿もだ ずるい話しだ 一方的に行く事を決め 『半年経ったら』何て適当な言い訳じみた事を言ったくせにだ

 後から聞いた話だが、アレから半年位してから裕美が急に仕事を辞め 田舎に帰ったらしい それから二年位してから店を訪ねて来て結婚する事を、幸せそうな顔をして伝えに来たらしい 帰りにそっと 彼氏の名前が貴方と同じと言う事を聞かされたそうだ マスターが教えてくれた 初めて人の幸せを願っていた 二十四歳秋の事だ

 

 周りの奴等は、これ位の年になると嫁さんが居て子供もいる きっちり生活している奴もいれば、今の俺のような中途半端なのもいる 

 自身で"はぐれていく"ように自然に付き合いも遠くなっていった

 雅とも、そう言う理由で暫くと言うか何年も会っていない ダーは向こうで舞ちゃんと一緒になりダンプ屋の跡継ぎになっていた 照の事は相変わらず分からない

 俺は...俺はと言うと刑期を終えて一年が経ったいた

 道路交通法違反に公務執行妨害  

 主観だが大概、物語を文章にすると綺麗に?見えがちだが、俺の場合はそんな物じゃないのは確かだ 

『若気の至り』とかでは済まされなかったから現在の状態に居るのだ。 

 美談にはならないが色々と思い出す事がある

 

 出て来て約一年 男ばかりの集団の中で五年位が経過していた ある程度の要領とスタイルみたいなのが身に付いて来る 金の使い方 態度 接し方 佇まい 一挙一動が身に付いてきているように、生き方を勘違いしてきている事を ある意味『洗脳』のような物に似ている

 色々な事を吸収して、早く大きくなろう一人前の侠(男)になろうと必死になってもがいていた

 でもそれを否定されるのを嫌う 世間から"はぐれて"いく事の生活を選ぶしかなかった

 あの時こっちに帰ってくるのを選んだ その先の事なんか何も考えてなかった 実際、誰にも知らせなかった 勿論、親にも... 

 そんな時、声を掛けてくれたと言うか、拾ってくれたのが高校時代の先輩だ その時に所属していた兄貴分にあたる人だ 

 この人とは腐れ縁なのか、学校を辞める時もこの人がキッカケ?だった ま〜よくある話だ 

 昼間から若い奴が仕事もしないでフラフラしていたら目立つのは当たり前の事で "行くとこなきゃうちにこいよ" "はい、行きます"みたいな感じで 最初は『部屋住み』と言う形?から ま〜寝泊まりをしながら修行して"生き様"を覚えていく 

 ここで大体嫌気がさしてバックれてフケてしまう ようは、耐えきれずに逃げ出してしまうのが殆どだ

 実際、俺がいた時も一年経たないうちに六人が跳んだ 最後は俺と一緒に残った奴が一人 奴は後で兄弟分になるが 最後は奴も堅気になったらしい

 らしいと言うのは、俺の方が先に辞めていたからだ

 この十八年間の事は、あまり思い返さないようにしている と言うか、思い出したく無いと言うのが妥当だろう

 全てを否定するつもりは無いが、少なくとも我を通した事で迷惑や面倒をかけた人が居るのは確かだ

 それでも、この年になると走馬灯のように思い浮かぶ時がある 最近は特に東京から帰って来てからの事を思い出す

 

 その時には、家庭を持ち可愛い子供もいた 

 今でも思いだす 長男は俺の小さな頃によく似ていて優しい子だった 次男は女房似で笑顔が可愛い子だ

 三十年近く経っても未だに脳裏に浮かぶのが、次男がポケットに両手を入れて俯きながら寂しそうに歩く姿を思い出す

 何故だろう?

 人並みに子供達が喜ぶような事をして来たつもりなのだか、何故か"その姿が忘れられないでいる

 きっと、彼等は形では無く気持ちが欲しかったのではなかったのではないだろうか?

 親が子供に対しての無償の愛と言う物が足りなかったのかもしれない

 女房に対しても然り、きちんと向き合ってやれず、形だけだった気がする。

 恐らく今は、その子達も家庭を持ち、可愛い子供も居る事だろう 心から元気で幸せを願っている

 

 あれは確か、三十を迎えた頃、あの先輩の紹介で長距離の運転手をしていた頃がある

 北海道の小さな港町から、日本中の市場に荷を運ぶ"追っかけ"ドライバー 今では考えられないが、眠る時間も悠長に飯を食べる暇もない位に突っ走る 

 フェリーの時間を気にしながら走り続ける 唯一、あの中にいる時だけが至福の時間だった 

 昼間、荷を積み込みした時の汗を流し、ビールを流し込む 緊張からの解放で眠り込む 日本海の荒波で揺れが激しくても直ぐに眠りにつく 若かったから無理も効いて出来ていたんだろう 

 そんな時、運転手仲間からあの小さな港町で、

『漁師になってみないか?頑張り次第では三年辛抱すれば家が立つ』

 道交法も変わって来ていて、中々稼げなくなって来ていたのも事実 その時は『そんな上手い話』位にしか思わなかった

 次の週、あの小さな港町の加工場にいる兄ちゃんから話があった

 兄ちゃんは、冬の間だけ加工場でアルバイトをしていて、本業は漁師らしい あの話を聞いてみると本当らしい 

 実際、その兄ちゃんも四年目で家を建てたと言っていた

 何度か行き来している内に、自宅にも招かれるようになっていた まー気が合ったと言うか、職業柄、豪快な奴だった

 家を見て驚愕した 

 デカい! そして豪華だ

 確かに土地柄、自分が住んでいる所から見ると田舎だし小さな港町 色々と違うのは分かるがここ迄とは... 

 正直、あの家を見てから迷っていたのは事実だが、トラックを売って迄やる価値があるのか? 自信は? 覚悟はどうか?

 俺が仕事を変えるとして、家族は着いて来てくれるだろうか?

 リスクばかりを考えてしまう 雅がいたらなんて言ってくれるだろうか? 

 あの頃とは違う 今は、守らなきゃならない物がある

 でも仕事柄、留守にする事が多くなって来て、家族との時間も減っていた 

 必然的に、あの話は出来ないままの状態が続いていた と言うか、伝えた所で結果が見えている気がしていた

 

 

 身の回りも落ち着いて来ていた五十を過ぎた頃だったと思う 日本を揺がす大災害が起きた

 仕事柄と言う事もあり、方々から声が掛かってはいたが、中々決心がつかないでいた

 向こうに行けば長期になるのは分かっていたし、何より家族と離れて暮らすのが一番辛い

 普通の生活に戻すきっかけを手助けしてくれた家族とだ

 今でも思う、『どうしてあんな判断をしたんだろう』

 多分、金だったんだろうな〜 稼ぎも良くなるし、仕事も安定する 復興と言う名の元についた家族への嘘

 元々、根無草みたいな生活を送って来ていた奴が、考えそうな事だ 身の回りが落ち着いて来て、色々と楽?になってくると何だか物足りなくなり、終いには時間が、なんて馬鹿な妄想を抱き出す 本当に馬鹿な話しだ

 三年が過ぎようとしていた頃、気持ちは頑丈だったはずだが身体に変調が出てきていた

 気持ちに関しては自業自得な所は分かっていたが、身体に関しては長年の不摂生からか、腰が限界らしい 医者曰く、投薬ではもう誤魔化しが効かない状態らしい

 一人になり仕事にも見切りをつけて田舎に帰る事を決めるが、実家にも数年連絡すらもとっていなかった 

 ま〜こんな事は初めてではなかったので大して気にもせず、いつもの"俺"でいたが 今回は違っていたようだ 父親が二年前に亡くなっていたのだ 

 身内はそれなりに知らせようとしていてくれたみたいだが.....

 母親は、『優は必ず帰って来るからそれまでは』納骨を拒否していたそうだ

 正直、親父が入院中なのは知っていたが自分からは足を運ぼうとは思わなかった "年齢的に仕方ない事なんだろう"ぐらいに思っていた と言うか親父とは上手くいっていなかったんだと思う

 常日頃、根無草のような暮らしをしている事が許せなかったのだと思う

 親父は八人兄弟の長男 父親を若い時に無くし、下の兄弟達の面倒、大黒柱的に生きていかなきゃならない 進学を諦め家族の為に犠牲にした物が沢山あったに違いなかったのだろう

 そんな強い意志のもと、自分の息子がこんなんでは....

 父親が亡くなって二年位経った頃、親戚から聞いた話しだ

 『優〜お前は親父と上手くいってなかったのか?言ってたぞ 俺には孫はいないんだって』

 否定していたのか?ボケてたのか定かではないが 親父は年老いた自分自身に戒めていたんだろう思う そう思う事で逝く事を決めていたんだろう

 親不孝の極みだ 確かに、若い時から縁遠かった 親父とはよくぶつかっていた 己から"はぐれていった"のだ 

 目の前には年老いた母親だけだった

 

 人生が長くなって来ると、今迄の生き方の中で自分が関わった来た人や物に"借り"があった事に気づく そしてそれらには必ず"ツケ"も付いてくる これが後悔になる事を知った 

 数字だけなら"リセット"出来るが、生き様となるとそうは行かない これが現実

 勢いだけだった東京、ハッタリばかりだったあの頃 全てを"リセット"できたらどんなに幸せな生活が送れていただろう

 『普通が一番』な事を戒められる

 

 五十を過ぎたバカな息子と、今頃になって過ごす事になった母親の気持ちは、いくばかりの戸惑いや、決心はあっただろう

 自分もそれなりの気遣いはわかっているつもではあった

 狭い町である 色々と噂も耳に入って来ていた

 ましてや、調子が悪くなり一人前の状態では無い身体になってからなので当たり前だろう 

 早く入院が決まり、この場から消えたい気分だった

 同じ頃、母親が定期検査で異常を期しているのが判明した 癌らしい 親が癌 それが自分の母親だ

 

 タイミングと言うのは全てにおいて己が願っている物とは違い、いい調子の時は力にかえる事が出来るが、今回は違っていた 幸い、母親はとても気丈な人で普段通り自分の毎日を真っ当しようとしているのがわかった 気力、体力、精神力、全てが群を抜いていた

 不意に思う、バカな中途半端な息子がいる事で、明一杯な母親の意地だったのだろう

 "自分が頑張らないと"動ける内はなんとか頑張る

 日々そういい聞かせていたんだと思う

   『お袋、こんなんですまん』

   

 信心深い方では無いが、あの年で八時間の難局を乗り越えた 初めて感謝の念を唱えていた

 "この人の精神力は普通じゃね〜"自分が同じ立場ならここまでは出来ない、何が原動力になっているのか不思議な位だった 多分、中途半端な扶養家族がいるからだろう と勝手な想像をしていた

 それからひと月位してから今度は自分の番がきた

 医者の話しでは、股関節をインプラントに入れ替えるらしい

 想像が出来ない 人間の身体に人口の物が?くだらない妄想がよぎる、飛行機は?運動の機能は?

 思う所がある、"ツケ"は必ずやって来る やっぱり不摂生は後から祟るのだ

 

 一大イベントから目が覚めると目の前に綺麗な女性の姿、周りには見覚えのある顔

   『そうか〜終わったんだ』

 足はどうした?『お〜ある』 なんか色々と線、ホース?が身体についていた

 あの目が覚めるた時の綺麗な看護し

 がやって来て『調子は如何ですか〜少し状態を起こしますね〜』 看護師の言葉がとても良かった 白衣の天使 よく言ったものだ ここまでは良かった

『あっいけそうですね』ん?『ちょっと立ってみます』立つ?昨日手術したばかりだぞ!

 現代の医学では体力温存?慣れさす?早期回復?の為にも一日も早く日常に戻す事が望ましいらしい

 身体をずらし、後は立つ 渾身の力を込めて集中 生まれたての馬のようだった オマケに脂汗が身体中に溢れていた 目眩もしていた

 『看護師さん、勘弁して下さい これ以上は無理です』座らせて、早く座らせて

 『あっ大丈夫そうですね 一歩 歩いてみましょうか』ん? 鬼だ!コイツは鬼だ!

『明日からリハビリがありますので頑張りましょうね〜』何が始まるのか不安ながらも ホッとしているとタバコが吸いたくなった

 取り敢えず、一ヶ月の辛抱 リハビリの成果もあり順調に日々が過ぎていった 経過もいいと思い明後日、退院だ〜と思った矢先、キズ口付近に違和感?

 その旨を伝えると担当医から以外な反応が『感染症ですねー』? ようは、傷口に菌が入り化膿している、イコール処置

 最手術らしい 事が事だけに緊急を要するらしく、 もちろん退院なんてなんの話かって感じだった 本当に稀な話しらしいが、不思議にも思った事がある

 そもそも、あれだけ設備も技術も充実しているの病院 手術室だけでも八カ所位あるらしい その中でも完全無菌室が二カ所あるらしい 俺の場合はその、完全の方で行われたと言うはずなのになんで?感染?

 『稀であるらしい』何事にも完全は無いのだ

 後に医者に疑問をぶつけてみた『人も色々と出入りがありますからね〜』完全無菌室じゃねーじゃん

 最初の説明では、股関節手術では元々身体の中にある物を人口の奴に変える事になるので、装着する物に関しては完璧な状態で装着するって話し

 なのに、お笑い芸人似の医者は しらっと返しやがった

 ま〜これも所詮は人間の成せる技 失敗けと迄は言わないが、現に最手術の分は請求はなかった ただ退院が伸びたのは事実

 あ〜タバコ吸いてー なんとかしてくれー

 

 夏の盆前に入院が決まり 予定ではアウトドア三昧のはずが そとは初秋 患者達の中には長袖の奴等がちらほら増えてきてる 俺は相変わらず半袖に短パン 病院て所はなんせ年寄りが多い 最初は特にだ 七十年生きてれば身体のパーツも同じなのだ 職業、癖なんかにもよるだろうが、なんせ年寄りが多い よって、夏の空調は屁みたいなもんで"これって空調入ってんの"って感じ 多分忖度だその事で看護師をしょっちゅう悩ませた 年寄りは朝が早い 通常は六時半位に看護師がカーテンを開け『おはようございま〜す』検温、排尿確認、朝一の採血ってな感じで始まるのだが 年寄りは 五時には行動が始まる まだ薄暗い時から、髭剃りジャージャー 洗顔バシャバシャ 同室の人に対してお構い無しな強者もいた リズムを崩したく無いのか、無関心なのか? おそらく後者だ

 入院生活が長くなって来てストレスを感じているのがわかる 

 そんな時、師長が現れて、個室移動してくれていた 職業とはいえ、よく見ているものだ そんな事を繰り返すうち、秋も終わり 病室から見える景色も、すっかり季節が変わろうとしていた

 リハビリの甲斐もあり、杖が

 無くても少しなら歩行出来る迄に回復してきていた 傷口は最初、十センチ程度だったのが倍以上になっていたのがガンではあるが

 『先生、退院はいつ頃になりそう』おそるおそる聞いてみた

 『う〜ん経過もいいし、来週にでも』

 ヨッシャー やっと脱出出来る、俺は自由になれるんだ〜 大袈裟だが

 『ショーシャンクの空に』の気分だった

 先生、今迄ありがとう、師長さん我儘言ってすいません、リハビリの舞ちゃん先生可愛かった〜

 全てがベリーベストな気分だった

 その中一つ試してみたいと思う悪い欲棒が湧いて来ていた 以前、リハビリで『外への散歩をやって見ない?気分転換も兼ねて』とリハビリの舞ちゃん先生から言われていたのを思い出した 中庭までの少し傾斜がついた場所になっている 足場は良好、駐車場の影になっているから目立たない 絶好の場所である

 一度、病室に戻り秘密のアイテムをポケットへ忍ばし 一発根性を入れて向かう

 普段からあまり目立つ場所ではないと言う事もあり 思った通りだ

 太目の木の影なあるベンチに腰掛けアイテムをポケットから取り出す

 『あ〜何日ぶりになるんだろう 至福のひととき 周りに人がいないかキョロキョロ

 完全に挙動不審者だ 『まっ 退院も決まっていたのでバレても大したことばないだろう』位に思っていた 三本をやっつけて、さ〜そろそろ戻ろうかとミンティアニ粒放り込み立ちあがろうとした瞬間、突然悲劇が

 訪れた 立ち上がれないのだ ふらふらなのだ、まるで生まれたての馬? ヤバイ!

 欲求が先にいっていて そんな事は皆目 考えていなかったのだ まるで中坊だ

 脂汗を流しながら、ふらふら状態 そんな時に限って悪い事は続く 舞ちゃん先生が他のリハビリ担当者とコチラに向かってくる姿があった 

 『終わった それも舞ちゃん先生だ』

 『すご〜い!何回誘っても中々行こうとしなかったのに一人で来れたんですねー』すれ違い様に舞ちゃん先生は、笑顔と謎のウィンクをした?

 笑顔はわかる、しかしウィンクの意味は『ふっふっふ全てお見通しだぜ』の顔だ  

 舞ちゃん先生すいません反省してます

 その後、病室迄の記憶があまりない

 

 夏の終わりから、季節はそろそろ雪虫が舞い始める頃になっていた

 

 実家に戻ってからは、毎朝のウォーキングなどをしながら体力温存の為に軽い運動は欠かさないように努力していた 車庫を改造して軽いストレッチが出来るようにしていた その甲斐あってか杖がなくても多少の歩行が出来る迄に回復していた つくづく思う『継続は力』だ

 利き足ではないと言う事もうあり車の運転にも支障はないし、乗車も普通に出来る

 『何かしないとな〜』って言うか、一日中 親と過ごすって事が苦痛だった 悪いけど

 母親は、毎日日課としている家庭菜園を、と言っても季節柄収穫を終えた後片付けをせっせとしている 本当にせっせとと言う表現がピッタリだ

 "自分が母親と同じ位の歳になった時、同じように出来るだろうか?それも 五十面した、いい大人のバカ息子と今更同居なんて

 暫くして母親から聞いた事がある『いくら息子でも一緒に暮らせるね〜 私は無理だわ』なんて言うギャラリーもいたそうだ

 そりゃそうだわなー 十四歳から定一杯不良こいて、夜中に爆音のバイク 車 時には音楽に オマケに日替わりのオネエちゃん 嫁さんらしき小さい子供連れで、たま〜に現れる それも、たまに変わっているのだから

 御近所さんには本当にご迷惑をお掛けしていた 親の立場としては居た堪れなかった事だろう

 それでも、両親共健在だった頃は、ただの一度も 意見された事はなかった

 諦めていたのか、見ないフリをしていたのか?

 今になって思う 親とは有り難いもんで、言いたい事もう沢山あったろうし、時には胸ぐら掴んで張り倒してやろうと思った事もあっただろうが、多分 信じていてくれてだんだろうと

 雅が言っていた事がある『優よ〜中学の頃、よく家に来てた時あったじゃん あの時な 親父さんとお袋さんが来て、袋一杯の米と金 持って来た事あるんだぞ うちの親なんか涙流して聞いてたぞ』知らなかった

 子供の頃の事を思い出していた 

 親父が乗っていたバイクのタンクに跨り、色々な風景、姿を見せてくれ、色々な話を聞かせてくれた

 『優、負けるな 大人になっても負けるな』

 子供の俺にはよくわからなかった

 

 俺の親父は、昭和の初め まだ十代の頃に父親を亡くし、下に七人の兄弟がいた 弟、妹を学校を終えさせ、所帯を持たせて長男としての役割を全うしたと言う事を叔父から聴いた事がある

 『兄貴は大学への進学を望んでいたのに家 、兄弟 、生活の為に そうせざるしかなかったんだよな〜 感謝している』と言うような事を聞いた覚えがある

 長男と言う立場上自分の人生を犠牲にするしかなかったと言う事だ

 昭和の初めの頃にはよくあった話らしい

 生きていく事に必死で、形振り構わず 人に後ろ指挿されるような事を嫌い、生涯三棟の城(家)を建てた

 

 "悪友"の母親がたまたま親父の同級生という人が言う『明男さんの息子さん?明男さんは子供の頃からよく本を読んで勉強もよくできて、大変器用な人 ギターやアコーディオンを弾いたりしてたのを覚えているよ〜 よく級長もやったりしてたわ』

 その後、まじまじと上から下まで目を凝らして俺の事を見ていた

 バカではあるが、それくらいはよくわかった

 要するに『あの明男さんの子が』こんなんなの?

 

 そんな親父が入退院を繰り返すようになった頃、聞いた事がある

 『今、何したい』

 『家に帰りてーなー』

 断れる事を覚悟しながらも担当医師に懇願をしてみた

 『条件つきなら 外泊は認められないが、夕方迄なら』

 親父はもちろん、お袋、姉 皆が驚いているうちに車に乗せて家に向かっていた

 いいのか悪いのか、ソファーに座っている親父の顔が、姿がなぜか小さく見えた

 『優 髭剃ってくれないか』?

 『ん?おっおー』

 何十年と"息子"をやってきたが初めてだ

 お袋の顔もびっくりしている様に見えた

 支度をして、いざしようと思っても上手くいかない 不器用とか自分以外のと言う事ではなく、涙が溢れてよく見えないからだ 

 バイクに跨り『優 負けるな』もう、あの頃の親父ではなかった

 それが、親父との最後のシーンだ

 元々、自分の方か親からも世間からも、"はぐれて"いったくせに、目の前には年老いた母親の"せっせと"動く姿

 自分の行上のせいで疎遠になったくせに都合のいい野郎だ

 父親が亡くなったのを二年も知らなかったバカな息子なのに、その事で世間体が悪い事があったろうに それでも一緒に暮らす事を選んでくれた母親へは感謝しか無い

 元々、料理をするのは嫌いな方ではなく、病み上がりの母親でも食べやすいように工夫をしながら主夫?の真似事をこなしていた それが当たり前の業務なようになってくる

 "幾ら実家とはいえ今は居候の身 多少の遠慮はある

 

 人間と言う生き物は勝手なもんで十のうち九つ聴いていてくれてる内は『あの人は、いい人だわ〜なんだけど、一つ拒絶すると『奴は人の話しは聞かない悪い奴』と思われる 逆もしかりだ

 本人にはそんな気持ちは微塵にもなくてもだ

 本当に面倒くさい

 小さい事が少しずつ積み重なり、その内 ボ〜ンと大爆発! それが他人なら、それまでで言う事も出来るが、事が血の繋がり、親子と言うと中々のものだ

 それでも子供の頃、父親に怒られていた時はいつも庇ってくれ、風邪をひいては見守っていてくれた そんな母親が突然豹変した

 年はとっていても口だけは達者 タチが悪い 五徳を振り上げられ投げつけられそうになったりして 『お袋、落ち着け なんでこんな事で?[#「?」は縦中横]ただこれからの事で話し合ってるだけだから』

 お袋の言いたい事、思いもわかる

 俺は、このままではお互いによくないし、ストレスになるから別々に暮らす事を提案しただけの事

 

 最近の年寄りはキレやすい! テレビで誰かが言っていた

 気の身気のまま財布だけ持ってひとまずは俺が出て行く事にした その日はホテルに泊まって取り敢えず落ち着こう

 案の定、義兄から連絡があり『どうしたんだ?』みたいな話しはしていたが、話しは既にわかっていた様子だ

 義兄と言う人は、利口な奴で、自分も長男だが若い頃色々と親には面倒をかけた口らしい 

 今回の件で嫁の弟の事なので、それもお袋絡み 尚更なんだろう 立場的には仕方ない部分もあったのだろう それにしても 一方的には違うだろうよ!

 義兄はただ『帰って来てお前が頭を下げろ』 それで全てが上手くいく みたいな事を言っている

 『兄貴、どう言う風に聴いているかわからないが、俺とお袋の事だから中には入らない方がいいよ』とだけ伝えた 大事になるのが嫌だったからだ

 

 "俺が?頭を下げる?"なんで?

 こりゃ〜駄目だわ!事を理解しない内に"まかしとけ感覚"で来ている

 人の仲裁?に立ち入る立場はお互いの立場を尊重しながら落とし所を見つけていかなきゃならないものだと思う

 この人は自分の立場が先になっている

 義兄にそれ以来連絡はしていない 会う事もなく俺から"はぐれていく"事を選んだ 連絡先も消去した 恐らくもう会う事は無いと思った

 ついこの間、皆んなで墓参りをしたばかりだったのに

 

 行く宛なんて何処にも無い

 

 お盆が過ぎ、夜になると少し肌寒く感じていた 

  この町で過ごす最後の夜だった

        

           第二章 平成  完

      

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

  • Twitterで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

はぐれていく 第ニ章 平成 鈴木 優 @Katsumi1209

★で称える

この小説が面白かったら★をつけてください。おすすめレビューも書けます。

カクヨムを、もっと楽しもう

この小説のおすすめレビューを見る

この小説のタグ