外伝 月の導き

 高校の入学式の日は、雨が降っていた。風のない街にしとしとと落ちる雨脚は、満開になったばかりの桜を散らすようで、私は憂鬱な気分で灰色の空を見上げた。最近、この街では異常気象が問題になっている。例年より多すぎる雨は、農作物に害を与えるらしい。人々の間では、「魔法使いのせいだ」とひそひそと噂されている。

 魔法使い。それは特殊な才を持つ人間が訓練によって成るものだ。彼らは「自分が生まれ持った、ただ一つの魔法」を見つけ出し、人の科学力を超えた力を行使する。魔法使いも人間だから、当たり前のように普通の社会に溶け込んでいるが、見分ける方法はある。彼らの手の甲には、魔力が結晶してできた宝石のようなものが付いている。私はそれを、ずいぶん前に一度だけ見たことがある。実の兄が、魔法使いだった。高校を卒業してからめっきり家に寄り付かなくなった彼は、今どこで何をしているのだろう。

 式が終わった後、駅へと繋がる坂をひとりぼっちでだらだら登っていたとき、ふと背後に気配を感じた。ぎょっとして振り返った瞬間、さしている傘に別の水色の傘でこつんと体当たりされた。わけが分からず呆然とする。水色の傘の陰からひょいと顔を出したのは、傘と同じ色の髪の女の子だった。私と同じ、高校のセーラー服を着ている。新入生用のコサージュが、胸に付いたままになっていた。

「ねえ、あなた。魔法使いになる気はない?」

 その子は傘をゆっくりと回しながら、私を真っ直ぐに見つめている。その視線が強すぎて、たじろぐ。

「いきなり何? て言うか、あなた誰」

「隣のクラスの鈴木美羽(みはね)よ」

「そんな髪色で、よく式に出れたね」

 美羽ちゃんは、ふふんと鼻を鳴らして髪をかき上げた。指の間からこぼれ、すとんと肩の上に落ちる。

「私の姿は、見える人にしか見えないし、見たいようにしか見えないわ。だから、誰も髪色なんて気に留めない。……悪魔なの、私」

 色々突っ込みたいところが多いが、ややこしくなりそうなので無視することにした。

「悪魔さんが、私なんかに何の用があるの?」

「言ったでしょ」

 美羽ちゃんは傘を回す手を止め、体が濡れるのも構わず先を私に突き付けた。

「魔法使いになりなさい。あなたのお兄さんを助けるために」


 美羽ちゃんは「親に勘当されて帰る家がない」と言って、私の部屋に転がり込んだ。たまたまうちの両親が世界一周船の旅に出かけていたので、当面は大した問題になりそうにない、が。

「親、一か月くらいで帰って来るんだけど」

「大丈夫。魔法使いになる訓練は、あなたなら最短で三日もかからないわ」

 美羽ちゃんは事も無げに言って、私のお気に入りのクッションにぽすんと腰を下ろした。立てた膝の上に片肘を立てて、部屋をぐるりと見回す。今、彼女は持参した淡いピンク色のワンピースを着ている。白すぎる肌と水色の髪との三色が調和して、とてもきれいだった。しかし私も思春期の少女である。

「なんか、小学生の持ってるランドセルみたいだね。夢カワイイってやつ?」

 そんな、憎まれ口を叩いた。

「あら、それは誉め言葉なのかしら?」

「別に」

「そう言うあなたの方が、よっぽど子どもっぽいわ」

 私はため息をついて、ベッドの上に腰かけた。美羽ちゃんよりも目線が高くなってしまい、自然と彼女を見下ろすことになる。気まずかった。もじもじしている私に向かって、彼女はにやりと笑う。

「私、今まで大人にばかり囲まれてきたの。だから、同い年の女の子ってだけでちょっと贔屓目に見ちゃうのよねー」

「なんだそりゃ」

「たとえば、駅前のカフェでパンケーキをおごっちゃおうかなぁ、って思ったりするわ」

「親が金持ちだから小遣いには困ってない」

 私の身も蓋もない言葉に、美羽ちゃんは呆れたようだった。

「まあ、私もお金には困っていないわ。何しろ父が警察署の所長だもの」

「は? めちゃくちゃ偉いじゃん。て言うか、悪魔だって設定はどこに行ったの?」

 美羽ちゃんが、むっすと口をとがらす。

「血が繋がってるとは言ってないわ」

 ふ、ふーん、と私は曖昧な反応を返した。興味がないわけではないが、他人の事情に土足で突っ込むほど子どもでもない。


 夜、私はベッドで、美羽ちゃんはソファーベッドで寝ることになった。ソファーベッドを変形させるのが久しぶりで、うっかり人差し指を金具の間に挟んでしまう。

「痛っ」

 ぷくり、とつやつやした赤黒い液体が指先に膨らむ。

「って、何やってんの」

 ぎょっとする私。美羽ちゃんが、赤い舌で血を舐めとったのだ。

「なるほど、ね」

 彼女が何に納得したのかは分からなかったが、いつの間にか血は止まっていた。


 雨が、しとしとと降っている。幼稚園のプレイルームでつみきを積んでいた私は、窓越しに空を見上げた。お兄ちゃんが心配だった。仕事で夜遅くまで働いている両親の代わりに、お兄ちゃんは家事のほとんどを担っている。学校帰りにスーパーで買い物をした後、私を幼稚園に迎えに来るのもお兄ちゃんの役目だ。

 朝の天気予報では、今日は一日中晴れだと言っていた。だから、お兄ちゃんは傘を持たずに学校へ行った。今頃、たくさんの荷物を持って雨の中を走っているだろう。転んだりしていないだろうか。寒さに震えていないだろうか。

 私は願う。晴れてください、と。どうかお兄ちゃんが濡れなくて済むように。お願い、神様。私たちに日差しをください。

 分厚い雲の隙間から、一筋の光が差した。


 はっと目を覚ます。夢を見ていたらしい。水色の髪が、目の前で揺れる。美羽ちゃんが、いつの間にやら身をかがめて私をのぞきこんでいた。

「あなたの一つだけの魔法、見つけたのね」

「……晴れにする魔法?」

 美羽ちゃんは何も答えず、体を起こした。

「夜のうちに、出かけるわよ」

 私たちは着替え、しんと静かな夜の街に足を踏み出した。雨はやんでいたが、地面はまだ湿っている。湿度の高い空気が、ねっとりと体に絡みついた。丸洗いされたように澄んだ漆黒の空に、大きな円い月がぽっかりと浮かんでいる。

「魔法、使ってみて」

「え、でも。やり方なんて……」

「想うのよ。大切な人のことを」

 兄のことだ、とすぐに分かった。胸の前で両手を組む。目をつむって、あの優しい顔を思い出す。五年以上会っていないせいで、ぼんやりとしか浮かばない輪郭を必死でなぞった。

 あ、と美羽ちゃんが呟く声がした。目を開ける。円い月から、一筋の光の帯がすっと伸びていた。

「追うわよ」

 美羽ちゃんが、私の手を掴む。一瞬ドキリとしたが、彼女の足の速さについていくのに必死で、すぐに恥ずかしさはどこかに行ってしまった。

 私たちがたどり着いたのは、築五十年はゆうに超えていると思われるボロ屋だった。今にも崩れそうな屋根は、天から不自然に伸びた光に照らされて白く浮かび上がっている。

 私たちは恐る恐る、扉を開ける。

 土間の上に、両手両足を縛られた男が倒れていた。見覚えのある紺色のコートと、限定物のスニーカー。まさか。

「お兄ちゃん?」

 男が、ごろりと転がってこちらに顔を向ける。ガムテープと伸びた前髪の間からのぞく目は、確かに兄のものだった。私と同じ形をした、切れ長の目。

 美羽ちゃんと二人がかりでガムテープを外す。解放された兄は、土間の上で力なく手足を投げ出した。

「ノワールマブのしわざね? あなたを捕らえて、雨を降らせていたんでしょう」

 美羽ちゃんの言葉に、兄はうなずいた。

「ノワールマブって、魔法使いと敵対する秘密結社のことだよね」

 戸惑う私の頭に、兄がそっと手をのせる。

「お前は、何も知らなくて良い。それより、君はまさか……悪魔の……」

 美羽ちゃんが、にやりと笑う。そして、ワンピースの裾をたくし上げた。服に隠れている皮膚に、所狭しと輝く様々な色の宝石。それはまぎれもなく、魔法使いによって生み出された魔力の結晶だった。

 服を整えながら、彼女は言った。

「もう友達ではいられないわね」


 美羽ちゃんの姿が見えなくなってから、一か月が経つ。桜は散ってしまった。

 彼女と出会った坂道をゆっくりと登りながら、右手にはめた手袋をそっとなぞった。その下には、今、月のように白く輝く宝石が眠っている。私の魔力が結晶したものだ。

 私が持って生まれた「たった一つの魔法」。それは、思い浮かべた人の居場所を太陽か月の光に教えてもらえるというもの。

「友達ではいられないって……たった一日だったのに友達認定してたのか」

 ふっと、唇が解けた。

「パンケーキ、食べに行こ」

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