ナゥワを返すために

くれは

ナゥワ(大事なもの)

 島に入る前の身体検査と荷物検査と消毒は念入りだった。これは、生態系を壊すような生き物、その卵、種子、菌類などが入り込まないようにするため必要なことだ。

 先生に続いて島に降りる。船はあっという間に走り去って、私と先生は取り残される。そしてすぐに、この島の人たちが何人かやってきた。

 先頭の一人は頭に木彫りの冠を載せている。そしてその冠は鳥の羽で飾られている。その人は先生を見て、顔をくしゃくしゃっとさせた。

 それ以外の人も、量はそれぞれだけれど髪や頭のどこかに鳥の羽を飾っていた。そして、物珍しそうな視線で先生と私を眺めている。

 鳥の羽を飾るのは、自分を強く見せるためのことらしい。やがてそれが正装に近い意味合いを持つようになった。特別な日には自分を強く立派に見せなければならない。

 私は先生に言われていた通りに両手のひらを下に向けて重ねて、胸の前に持ち上げた。これは「はじめまして」の挨拶らしい。元々は「クー私はムジュハ・ラー敵意を持っていない」ということを意味する仕草だそうだ。

 私の仕草を見た人たちが、冠の人の後ろで視線を交わし合った。

 先生も同じ仕草をしながら、ゆっくりと先頭の冠の人に近付く。冠の人も同じ仕草をして、二歩、先生に向かって踏み出した。向かい合って立つと、先生は自分の額に右手を当てた。それから、その手を相手に向かって差し出す。冠の人はそのてのひらをそっと撫でた。

 それから、冠の人も同じように自分の額に右手を当てて、その手を先生に向かって差し出した。先生も同じようにそのてのひらをそっと撫でた。

 この仕草の意味を、私は先生に聞いていなかった。教えてもらっていないということは、これは私はやらなくて良いということなんだろう。だから私は「はじめまして」の仕草を崩さずに、先生と冠の人が何事か話すのをただ見ていただけだった。

 後になってから、二人のそれは再会したときの仕草なのだと、先生に教えてもらった。元々は「ナゥワ大事なものを返す」という意味の仕草なのだという。


 島の人たちの邪魔をしないよう、先生と私は静かに観察をする予定だった。けれど、私たちが近くにいると、島の人たちは正装をしようとする。普段の暮らしぶりにはならないようだった。

 先生は「前は一ヶ月かかっても駄目だった。その次にきたときには三日で普段通りになってくれた。今回は初めての君がいるからまた一ヶ月、正装を見ることになるかもしれない」と言っていた。ただ観察するだけというのも難しい。

「それもまた、この島の人たちの感性だ。こちらから正装を解くようにお願いすることはできない。ただ静かに待つしかない」

 先生の言葉に溜息混じりに頷いて、正装をする人たちの姿をカメラで記録した。


 夜には冠の人(クパラこの集落の長に当たる人であるらしい)との対話の時間をもらうことになっていた。先生は頭に鳥の羽を飾ったクパラこの集落の長に当たる人と何事か話し、ノートにメモを書き記す。もちろん録音もしているが、思い付いたことなどはメモを取らなければ消えていってしまう。

 私は、この島の言葉はまだあまり聞き取りができない。

 ノワ若い人ツワ年寄りラグいなくなるオワオハ変わることグルヒ遠い向こう側、わかる単語は途切れ途切れにしか出てこない。断片的に聞き取れる範囲でその内容まで理解するのは難しかった。

 ととん、と足音がして、若い女の人がお茶の入ったティコポットのようなものを持ってやってくる。長のテクカップお茶を注げば、長がそれを一口飲んで、テクカップを軽く持ち上げる仕草をした。

 それから先生のテクカップにも同じように注ぐ。先生もそれを一口飲んでテクカップを軽く持ち上げる。

 女の人は私の前にもやってきて、私のテクカップにもお茶を注いだ。先生が私を振り向いた。

「まず一口飲むのは信頼の証だ。それからカップを軽く持ち上げるのは感謝」

 頷いて、先生に言われた通りに一口飲んで、それからテクカップを持ち上げてみせる。女の人は、私のぎこちない動作に微笑みを返してくれた。失礼なことにはならなかったらしく、ほっとする。

 お茶は苦味が強いが良い香りがする。飲むと緊張が解けるようだった。

「ペグン・パグ」

 私の前に座った女の人が、そう言った。どうやら話しかけられているらしいと、気付いたのは一瞬の後だった。私の反応がなかったからか、彼女がもう一度口を開く。

グルヒ・サク遠い向こう側からのペグン・パグ来訪者よ

ヤウィはい

 なんとか頷けば、彼女はほっとしたように笑った。

クー私はグルヒ・サー・クイタ・イー遠い向こう側の話をルグ・エク聞きたい

 彼女は、好奇心に目を輝かせていた。私や先生が彼らの話を聞きたいと思うように、彼女は私の話、島の外の話を聞きたいらしい。

 しかし、私には彼女と共通の語彙があまりない。何を話せば良いだろうか。

ヤウィはいナーでも……クー私はタンム・グ言葉をナグティ・ラー知らない

 私の発音は辿々しく、私が話せないということを彼女に伝えるには充分すぎた。彼女の残念そうな顔に申し訳ない気分になる。

ヌーセウごめんなさい

 謝れば、笑って「ヌーレ大丈夫」と言ってくれた。


 彼女はクパラこの集落の長に当たる人と血縁か何かなのだろうか。クパラこの集落の長に当たる人の家で先生と私に食べ物や飲み物を運んでくれる人は何人かいたけれど、彼女はその中の一人だった。

 クパラこの集落の長に当たる人と先生が話している間、彼女は時折現れては私のところに来て、短い会話をした。私の多くない語彙でのやり取りは、きっともどかしいものだったのだろうけれど、それでも彼女は私の話に興味深そうに大きな瞳を輝かせて、笑ったりもした。


 今回の滞在期間が終わりを迎える。明日には迎えの船がくる。その夜にクパラこの集落の長に当たる人は別れの宴をしてくれた。

 その途中で、彼女がそっと私の袖を引いた。誘われるままに中座して後に続けば、外の暗い中に連れてゆかれた。家から漏れる灯りでなんとか輪郭が見える。

 彼女は自分の胸に手を当てた後、そのてのひらを私の額に当てた。温かい。彼女のてのひらの熱が、私の体の中に入ってくる。

 その仕草の意味はわからないまま、それでも求められている気がして、私も同じように彼女の額にてのひらを当てた。ようやく暗闇に慣れてきた目には、彼女の微笑みが見えた。


 帰りの船の中で彼女と交わした仕草の意味を先生に聞く。

 それは「また会いたい」。そして元々は「私のナゥワ大事なものをあなたに預ける」という意味らしい。

 それを聞いて、私はきっとまたあの島に行くことになるのだろう、と思った。彼女のナゥワ大事なものを返すために。




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